'03 山スキー報告
妙高 安達太良山 湯ノ丸山 雨ヶ立山 黒姫山 八甲田 


 
 ‘素晴らしい斜面が待っていた’
     妙高前山・滝沢尾根深雪滑降


山域山名:妙高山系・前山(新潟県)
妙高本峰

期  日:2003年3月14日(金)
参 加 者:L宮田、安藤 <計2名>
行動記録:北本(6:30)=東松山IC=妙高高原IC=赤倉スキー場駐車場(9:30/9:55)
 →前山第3リフト終点1500m(10:35)→1810m(11:40/11:50)→1932m前山(12:20/13:30)
 →滝沢尾根1510m(14:10/14:20)→1200m(14:45/14:50)→滝沢徒渉点990m(15:20/15:30) →スキー場合流点980m(15:45/15:50)→駐車場(15:55)=妙高温泉大湯
 =妙高高原IC(18:20)=東松山IC=北本(21:00)

 家族旅行が急遽キャンセルとなったため、冬型解消後の絶好の天気を前に安藤氏を誘い、妙高前山滝沢尾根に行ってきました。
 前夜に高谷池ヒュッテ管理人の築田氏HP「火打山の風」で山の状況をチェックすると、妙高山麓ではここ数日の寒波で新たに80pの雪が積もり、今年の最大積雪量2m80pを記録とあった。2人でラッセルは少ししんどいと思っていたが、野尻湖PAから望遠鏡で滝沢尾根を見ると、前山への急斜面にトレースを発見し、ひとまず安心。
 スキー場駐車場に着くと、さすがに平日のためゲレンデはガラガラ状態。ゴンドラと赤前山第3リフトを乗り継ぎ入山する。気温が上がり、ヤッケを着ていなくても汗が噴き出す。ブナ林とダケカンバが混じる広い尾根を登る。積もった深雪は1m位か。1650m付近から急斜面となり、昨日の登山者トレースをなぞり、ジグザクに高度をかせぐ。今朝と思われるスキー単独行者はほ
 とんど直登のトレースを残していた。何者であろうか。相当の強者に間違いない。急登が終わった狭い尾根1810m地点で休憩し、水分を補給する。眼下には大きく広がるスキー場のコースが縦横無尽に斜面を削っている。少し登ると前山からまっすぐ北東に落ちる尾根と合流する。こちらは赤倉チャンピオン第6リフトから上がってくるルートで、こちらの方が斜度が緩く、登路には適しているようである。尾根に上がると、木立の間から妙高本峰が見えてきた。前山山頂へは、東側の雪庇に注意しながら登ろう。樹林が途切れると山頂に到着だ。
 目の前には、ヒマラヤ襞をまとった妙高本峰東壁の大迫力だ。本峰の左手には、南地獄谷から上がる湯気が音をたてている。北側には、大きな雪庇が張り出した大倉山から神奈山の稜線が続き、日本海の海岸線も見える。南側には、たおやかな黒姫山と野尻湖が小さい。360度の大展望に大満足する。ビールで乾杯し、ゆっくりと昼食を取る。

 長い休憩の後は、いよいよ標高差1000mの滝沢尾根の滑降だ。ワックスを塗り、準備万端だ。滝沢尾根への出だしはやや急傾斜ながら、無木立の大斜面の連続していた。妙高本峰をバックに深雪斜面にウェーデルンのシュプールを刻む。振り返るこの瞬間が、山スキーヤーの至福のひとときである。標高1800mからは雪面に映えるダケカンバの間を縫って行く。まだ軽い粉雪で快適滑降だ。1600m付近からは、樹林は美しいブナ林へと変わっていく。4mを超す積雪で、ブッシュもすべて隠れている。自分のルートで滑っていける、思わず声でリズムを刻んでいく。
 
標高を落とすにつれて雪が重たくなり、日陰では表面が硬くしまってきた。安藤氏は今シーズン初の山スキーで苦労しているようだ。こまめに小休止を入れる。それにしても、延々と続くブナ林滑降は本当に楽しい。標高1000m地点で尾根を離れ、滝沢への急斜面を降りて沢を渡る。この徒渉点がこのルートのポイントである。ここから急斜面をトラバース気味にスキー場へ向かう。所々雪面が穴が開け、積もった新雪が団子状に斜面を転がっていて歩きづらい。ひとがんばりでゲレンデの脇に出た。あとは、つまらないゲレンデを流し駐車場へ滑りこむ。見上げる妙高山がとても大きく見えた。

 帰路に妙高温泉大湯公衆浴場へ。番台のおばちゃんに聞くと「南地獄谷から引く約80度の源泉は、雪崩のために温度が低めで沸かしているとのこと。また、今年の妙高は雪が多く、春がなかなか来ないねー」と。15年振りに妙高高原駅に立ち寄り、駅前そば屋で腹ごしらえをして、一路、高速を突っ走った。             (記;宮田)



安達太良山・初級山スキー講習

山域山名:安達太良山(福島県)
期  日:2003年3月8日(土)〜9(日)
参 加 者:CL宮田 SL大嶋 須藤、浅見、南雲、駒崎、大山、青木 <計8名>
行動記録:
3/8<曇り> 熊谷(5:00)=あだたらスキー場(8:20)=ゴンドラ山頂駅1350m(9:20/9:35)
 ⇒1500m(10:25/10:45)⇒頂上直下1680m(11:26)⇒安達太良山1699m(11:30/11:40)
 ⇒頂上直下よりスキー滑降(12:00)⇒峰ノ辻1550m(12:25)⇒くろがね小屋1350m(13:00)

 前日に中止の連絡が入るのではないかと思うほど天気が思わしくないなか、予定どおりスキー場の駐車場へ到着。ゴンドラ山頂駅は風は強いが、視界は利いている。あらかじめシールをつけておいた板を履き出発。つぼ足で登り始めた女性パーティーの脇を抜いて登っていくと、程なく息が上がり休憩をとる頃にはとても疲れてしまった。一ヶ月以上山に登っていないからと理屈をつけるが体力不足。少しの傾斜が出てくるととたんに登れなくなる。他の人達はスイスイと進んで行くのに、前の人との間隔があいていってしまう。見かねて宮田さんが登り方、ストックの使い方を根気よく教えてくれるが、思うようにならない。情けないと思っているうちに頂上直下に到着。去年ほぼ同じ日に来た時には、もの凄いアイスバーンと強風にあい恐怖と緊張で登った斜面は、うって変わって雪が20cm位積もっていて違う山に来たようだ。
 板をはずしてつぼ足で山頂へ。ガスが出てきて眺望は利かないが、鉄山の方向はうっすらと望める。写真を撮り頂上直下まで降りて、いよいよくろがね小屋までスキー滑降。ガスが出てきているので、皆注意深く滑り始める。距離感や斜度がガスのためよく分からず、滑り出しは転倒するものが続出するが、すぐにスイスイと降りてゆく。後を追って行くものの転倒ばかりして時間を浪費して注意される。小屋前の急斜面を降りて板をはずした時は心底ホッとした。悪天のためキャンセルがあったという小屋は、それでも夕飯時にはそこそこ人が入っているが、ゆったりとしていた。たっぷりある時間を温泉とお喋りに使う。滑降の最中「めまいがする」と言っていた会長は「めまいスキー」について分析していた。夕食は去年と同じ「カレー」。夜半強風の音に何度か目を覚ます。

3/9<朝のうち小雪後曇り後薄日さす> くろがね小屋1350m(7:55)⇒1470m(8:20/8:25)
 ⇒峰ノ辻1550m(8:40)⇒1600m(8:55/9:05)⇒山頂肩1670m⇒滑降地点1630m(9:30/9:45)
 ⇒烏川右岸1430m・弱層テスト(9:55/10:15)⇒五葉松平⇒スキー場合流点1180m(11:00)
 ⇒駐車場(11:20)⇒岳温泉⇒熊谷(16:30)

 今日は初めからスキーアイゼンを付けて登り始める。昨日滑ってきたルートを途中休憩をはさみ峰ノ辻を経て頂上直下へ。昨日よりは板が踏めていると言われてちょっぴり嬉しいが、スキーアイゼンのおかげ。前日はゴンドラ山頂駅のところで1パーティに会ったきりだったが、今日は2、3パーティ(いずれも登山者)にあう。
 頂上直下より安全な場所へシールを付けたまま少し南へ降り、五葉松平方向へ滑降。皆まっさらな大斜面に嬉しそうで、満足そうな表情。途中休憩の時に弱層テストをする。円柱に雪を残して周りを堀り、円柱を抱え込んで手前に引くと雪がスッと移動した。移動した面が弱層とのこと。本で読むより理解しやすい。初めてスコップも使った。五葉松平の木々の枝に難儀しながらゲレンデに出て、去年と同じ岳温泉、ソースカツ丼を経由して帰途に。
 同じ時期の同じ山でも天候によって山ってこんなに様子が違うんだと実感。そして自分の成長のなさも実感。山スキーは慣れもあると言うけれど・・・しかし、なぜか帰りの温泉に浸かる頃には楽しかった、となるのである。           (記;大山)






湯ノ丸山 山スキー報告

山域山名:湯ノ丸山(群馬県)
期  日:2003年2月9日(日)
参 加 者:CL浅見 SL中野 川辺、南雲、駒崎、木下 <計6名>
行動記録:鹿沢温泉(8:00/8:40)→旧鹿沢スキー場トップ(10:15)→湯ノ丸山山頂(11:30)
     →湯ノ丸山北東斜面滑降→鹿沢温泉着(15:00)

 熊トレ初山行の報告をさせていただきます。天気が大変よく楽しい山行でした。
 鹿沢温泉付近にてビーコンの練習を軽く行った後、湯の丸山へ向けて出発した。雪は硬くなった層の上に2〜3cm程度の新雪が乗った状態であった。旧鹿沢スキー場はリフトが撤去され、何もない開けた斜面となっており、きっと中上級者コースであったろう急斜面をキックターンを繰り返して上っていった。ゲレンデトップと思われるところで一服し、広く開けた湯の丸山の東斜面を詰めた。湯の丸スキー場の方から大勢のスキーヤー、ボーダーがハイクアップしてきていた。山頂では360度の大展望が堪能できた。視界が極めてよく、富士山から後立山まで一望であった。この眺めだけでも、ここまで登ってくる価値がありそうである。
 シールを外し、少し北へ移ったところから滑降に入った。初めはシュカブラ混じりのハードバーンであったが、次第に新雪へと変化していった。快適なターンを刻むもつかの間、斜面はすぐに樹林帯となった。一部は密度の濃い針葉樹が壁となり、大きくトラバースを強いられた。樹林帯を抜け斜面が終わったところで大休止。美味しそうな角間山のオープンバーンを眺めながらお茶をいただく。新雪が降った翌日にぜひ挑戦してみたい斜面である。ほぼ水平となった雪原を進み、鹿沢温泉へと戻った。
 「ひなびた」という表現がぴったりの鹿沢温泉の一軒宿で風呂に浸かり、雪山を後にした。                              (記:木下宏文)




重雪に難儀するもスキーは楽し、雨ヶ立山山スキー
山域山名:宝川上流・雨ヶ立山(群馬県)
期  日:2003年2月8(土)〜9日(日)
参 加 者:CL宮田 SL青木 大島、石川、須藤裕、井上 <計6名>
行動記録:
2/8 江南(4:30)=水上IC=宝川温泉700m(7:00/7:35)→林道790m(8:25/8:35)
 →トンネル(8:50)→林道830m(9:25/9:45)→板幽沢出合手前(10:00)
 →板幽沢左岸1000m(10:35…<テント設営・昼食>…11:45)→尾根上1250m(12:35/12:45)
 →稜線1450m(13:25/13:35)→雨ヶ立山山頂1627m(14:40/15:15)→稜線1400m(15:45)
 →雪原1150m(16:20/16:30)→テン場1000m(17:05)

 前々から気になっていた雨ヶ立山と布引山。今回は2日かけて両山の粉雪を滑るべく厳冬期に計画したが、1月までの寒冬が一転し、山の由来である季節はずれの‘雨’に迎えられてしまいました。しかし、雨ヶ立山山頂からの大展望と中腹の美しいブナ林にシュプールを刻み、ディナーと併せ楽しい山行となりました。

「宝川温泉から入山、暖かい快晴のもと、林道を黙々と歩く……」
 江南某所に集合し、コンビニで行動食を仕入れ花園ICへ。午前5時前だというのに、北へ向かう車の多さに驚く。順調に高速を走り6時過ぎに水上インターへ。快晴の空に谷川山頂がよく見えた。宝川温泉に着き、さらに100m奥の駐車場に止めるつもりであったが、最近は除雪した跡がなく、仕方なく旅館の駐車場に止めさせてもらう。すぐに共同装備を分けて出発準備に入る。
 上空には雲ひとつなく無風のためか、暖かく感じる。上着ヤッケはザックにしまい、林道にシールを滑らす。思ったより宝川の水量が多く、しっかり流れていた。この当たりの積雪は1m強くらいか。林道に積もった雪面の表面は硬く締まり、ほとんどもぐらない。2週間前に苦労した黒姫のラッセルが嘘のようだ。これから先約4キロの林道もそう時間を費やさずにすみそうである。最近1週間の高温のためか、林道をふさぐようにデブリが2箇所あった。少し心配していた途中のトンネルは、出入口半分程度が雪崩で埋まっているたが難なく通過。宝川から約2時間半で、雨ヶ立山取っ付きの板幽沢出合に到着する。背後には、端整な笠ヶ岳が見え、前方ちょうど20m先には、かもしかが我々をジッと見つめていた。
 林道から北西(右手)に向きを変え、密の杉植林帯を登る。周りの山があまり見えず、現在地は分からなくなりそうだ。テン場を想定している板幽沢左岸を外さぬよう注意して登る。それにしても暑い。汗が噴き出し、まるで春山を登っているような気分になる。高度計が1000mを指した頃、木立の間隔が空いた平坦地に出る。当たりを少し歩き、目的地としたテン場であった。すぐに雪面を踏み固め、テント設営、昼食を取る。

「大展望を楽しみながら、ブナの大木の間を登る……」
 テン場から山頂までは標高差600m、空身となって山頂を目指す。左岸の小尾根をトラバース気味に登るつもりであったが、いつしか尾根上を行く。1150mの雪原に出るまでは、藪がうるさい。布引山から南に派生する真っ白な尾根が間近に見える。この雪原までテントを担ぎ上げたら最高だろう。ここから上は原生林のブナの変わる。休憩の後、稜線に続く尾根の急登を登る。高度を上げるにつれて、谷川岳や白毛門が姿を現す。2,300年もののブナの大木もあり、上越の山の雰囲気に浸りながら登る。1本の登りで、山頂から南東に延びる稜線上に出た。反対側の山々が目に飛び込む。自分にとっては特別な平ヶ岳、幾度も滑った尾瀬の燧ヶ岳や至仏山、冬山の基礎を習った上州武尊山が大きい裾野を広げている。上空は低気圧接近の兆しを告げる高層雲が覆い出し、南東の風が強く吹きつけていた。
 稜線は二重山稜となっていて、右側には大きな雪庇が張り出していた。ここから山頂までは思ったよりも距離があり、腐った雪がシールに団子状につき疲労を倍加させた。自宅でシール防水液を塗ってはきたが、ここで効力が切れたようだ。再度シールワックスを塗り頑張る。せりあがる山頂の急登を登り切ると、誰もいない山頂に到着だ。風は相変わらず強い。
 見渡す限り山しか視界に入らない。それも、厳冬の奥利根源流の山々がグルッと囲んでいる。特に、朝日岳東面の威容とナルミズ沢源頭の大烏帽子山がひときわ高い。人間の匂いがする人工物は、眼下に満水の水を蓄える矢木沢ダムと山肌を無惨に削るスキー場がいくつかあるくらいだ。いつまでも眺めていたいほどの素晴らしい景色だった。

「山頂からの滑降は、モナカ雪・重雪に悪戦苦闘……」
 大休止を終え滑降の準備に入る。ヤッケを着込み、スキーにはしっかりとワックスを塗る。いよいよ、宝川から5時間の登りが報いられる瞬間、のはずが、滑り出すと板が曲がらない。登りに予想をしていたが雪が重く、しかも、日射しがなくなり気温が下がったために、表面が硬く締まりだしていた。スキーにはもっとも向かないモナカ雪に近い状態だ。山頂下でいきなり転倒する者もいる。悪雪になるほど、しっかりとしたシュテムターンと斜滑降の基礎技術が重要である。
 我々が往復したルートは、南または南西に開けた斜面なので余計に雪質が悪い。稜線上の北東側斜面は南面と違い驚くほど雪が軽かった。とはいっても、雪質は悪かろうがブナ林の隙間を滑るのは本当に楽しい。クラストしている箇所は、強引にスキーを跳ね上げ、出来るだけジャンプターンで頑張る。重雪のターンは、上半身を落とし膝を抱えるような感じで、板が浮き上った瞬間に重心を踏み換え、エッジ切り替えるのがコツだ。標高を下げるにつれて表面も緩み、幾分滑りやすくなった。1150mの雪原で休憩を取る。山頂から500m下るのに1時間30分もかかってしまった。ここからはブナと別れを告げて、藪スキーに移る。これもまた楽しい。登路の小尾根を巻いて、無事にテン場に滑り込む。担ぎ上げたビールで乾杯!

「‘ディナー’はおぼろ月夜の下で……」
 稜線の風が嘘のように静かで、しかも暖かい。全員が入れない大きさのテント2張の環境や、乾杯のビールで酔っぱらった勢いもあり、今宵は外で夕食を作ることにした。2月の厳冬期にテントの外での夕食、初体験である。しかも、石川シェフの今宵のメニューは、チーズフォンデュとのこと。氏曰く、スイス料理らしい。長瀞では、毎日こんな洒落たものを食べているのだろうか。石川さんが食料担当をすると、いつも変わったものが食べられる。食欲も酒欲も旺盛で、一気に食べきってしまった。天には薄雲にかすむ月がおぼろげに見えていた。最後の水作りを終えて、8時過ぎに就寝となった。宝川源流からは、時々、雪崩の爆音が響いていた。

2/9 起床(5:00…<朝食・待機・テント撤収>…8:25)→板幽沢出合(8:45/8:55)
 →林道740m(9:45/9:55)→宝川温泉(10:15)=湯ノ小屋温泉=江南(14:40)

「厳冬期に雨に降られて……」
 テントを叩く雨音で目を覚ます。標高1000mなので湿った雪と予想していたが、いきなりの雨となった。本降りであったため、朝食を食べた後に様子を見ることにする。計画の布引山は次回にしよう。ここで問題がひとつ生じていた。テントはダンロップとエスパース2張り、外張のダンロップは大きな被害はなかったが、本体+内張のエスパースはすぐに水浸しとなっていた。3月以降の山行なら、エスパースはフライを持参した方がよいだろう。エスパースメンバーからのリクエストと雨が小降りとなったため、撤収作業に移る。気分はもう温泉モードに突入していた。
 滑降体制に入るが、重荷には雨でグサグサとなった雪は辛い。しかも密な杉の植林は、滑るルートを提供してくれない。ただ高度を落とすことに専念して林道に出た。傾斜のある林道前半はいくらか滑らすことができたが、途中からは、かかとを上げて距離をかせぐ。1時間強で宝川温泉に到着する。朝10時だというのに、入浴する観光客であふれていた。人混みの宝川温泉は嫌だったので、湯ノ小屋まで車を走らせ、ほかに誰も客のいない照葉荘の檜風呂で汗を流す。藤原で昼食を食べる頃には、青空が広がっていた。

 雨ヶ立山と布引山は、奥深さと距離があるもの、テント泊の初級山行に適していると思う。来シーズンに計画しましょう。時期的には、積雪量と雪質がザラメとなる4月上中旬頃がベストでしょう。                         (宮田記)





初めてのラッセル 黒姫山スキー講習

期日 2003年1月25日(土)
参加者 CL:宮田 SL:大島・石川・浅見 豊島 中野 須藤裕 滝澤 駒崎 大山 井上 川辺 以上12名
行程 花園4:20 = 上信越道信濃町IC 7:25 = 大橋 8:10/9:10 ... 1370m地点 11:40/11:50 ... 1619m地点(昼食)13:25/14:25 ... 大橋 15:42着 = 熊谷 21:00
 高速道を降り井上君と合流、40分ほどで大橋に着く。雪が舞っているなか出発の準備を進め、いよいよ出発。歩き始めると、スキーが50cm近く埋まってしまう。ストックを突くと1m近くスポッと入ってしまう。12名が順次ラッセルをすることになった。ラッセルに慣れている人は約30mも軽やかに元気一杯ラッセルが続けられる。初めての私は10mもラッセルをすると、100m全力疾走した後のようにハァハァドキドキしてしまい汗ばむ。次の人にラッセルを頼み、端で全員が通り過ぎるのを待っている間が休息で、周囲を眺めていた。雪は降り続いている。雲間が明るくなってくることは何度かあったが、風と雪はほとんど続いていた。カラマツに花をつけたように雪が付着している。幹にも所々着いていた。
 林道をゆく間はラッセルをし、景色を眺められたが、登山口以降の登りは、歩くのが精一杯で、皆様に迷惑をかけてはならぬの思いでまさに必死で歩き、ラッセルをした。スタートしてから腰を下ろしたのは1619m地点昼食時が初めてであった。このように体力を消耗したことはなかったのではないかと思っていた。風は冷たかったが、あついコーヒー・紅茶での昼食にはホッとした。
 帰路、滑降に入る。新雪が深く、ターンしにくいが、スピードがでないので安心して滑ることができた。一方山スキーのスペシャリストは新雪の中を跳ぶように、リズミカルにシュプールを刻んでいく。楽しそう! 林道にでると、コギながらやっと進む状態。滑れた距離は短かったが、新雪をじっくりと味わうことができた山スキー講習会でした。
 戸隠神告げ温泉「湯行館」で冷えた身体を温め、疲れた部分をマッサージできました。ここで戸隠そばを食べて車に入ると、ラジオが大相撲を中継しており、大関朝青龍が優勝を決めたとの放送中に出発し帰路につきました。
 [後日談]帰ってから、歯茎が腫れ痛みました。たぶん疲れのせいではないかと思います。  (川辺記)



自炊と温泉とパウダースノー

 八甲田山スキー報告

山域山名:八甲田山(青森県)
期  日:2003年1月3日(金)〜6日(月)
参 加 者:<山スキー組> CL宮田 SL大島 SL浅見 青木、須藤、豊島、川辺
<ゲレンデ&樹氷組> 高野、並木、栗原、滝沢 <計11名>
行動記録:
1/3 晴れ
 熊谷(6:00)→羽生(7:20)→酸ヶ湯(16:00)

 天気予報では、この冬一番の寒気が入って山は大荒れと言われるなか出発。東北道をひた走る。しかし北に行くほど天気が良くなり、安達太良山に2月に行く予定の鬼面山、蔵王の山々、この時期なかなか見ることのできない岩木山などもよく見えた。那須、国見、前沢、岩手山の各SAで休憩しながら黒石で東北道を降りる。ICから5分のジャスコで買い物。食材豊富の大きなスーパーだった。酸ヶ湯温泉着16時。今回は栗原さんが食料係で、4日間通して腕をふるってくれたので、おいしい料理に大満足でした。
 ★夕食は刺身、サラダ、昆布巻き、みそ汁。

1/4 雪、稜線は風雪
 酸ヶ湯(7:45)→大岳環状コース21番の指導標1030m(8:40)→地獄湯ノ沢下降点1100m(9:15)
 →稜線の下、沢が狭くなった所(9:50)→仙人岱小屋(10:25着11:30発)→酸ヶ湯(13:30)

 低気圧通過で暖気が入り込み気温が高く(0度位)雪が重い。30cmくらいのラッセル。酸ヶ湯温泉の裏山を指導標と赤布をさがしながら進む。今年はルートを見失わずに地獄湯ノ沢の下降点を簡単に見つけることができた。沢に入ると所々雪が深くラッセルに苦労する。交代しながら進むが、若い青木君のパワーラッセルについていけない。やがて、沢は狭まり岩が出てくる。稜線に近づき風が強い。硫黄のにおいがする。立ったまま小休止。さらに10分ほど岩混じりの沢を登っていくと、台地状の平坦地にでる。樹氷原で方向がわかりにくいが、赤布、竹竿をさがして進む。東に250mで大きな竹竿が立っていた。ここから北に向かうと大岳、東に直進すると小岳、南に向かうと仙人岱ヒュッテである。予定通り仙人岱ヒュッテを目指す。まつげが凍り付くような強風の中で、うれしい避難小屋に到着。
 トレースがなかったので我々だけかと思ったが、昨日から泊まっているというスノーシューのご夫妻がいた。石油ストーブのために灯油を運び上げているらしい。感謝。コーヒーと紅茶で和む。やがて、テレマーカーやスノーボーダー、山スキーヤーが我々に続いてやってきた。
 帰路は同じコースをとる。吹雪に向かっていくため目出帽などで完全武装して出発。安全のために、シールをつけたまま。かかとも固定しないで慎重に下降した。条件が良ければあっという間に滑り降りてしまうところだが、これも冬山の楽しみの一つであろう。
★朝食はご飯、納豆、たらこ、ハム。
★夕食はすき焼き、ホタテのバター焼き、大根と鮭の煮物(絶品)。

1/5 雪、山頂駅周辺は風雪。
 酸ヶ湯(8:50)→ロープウエイ山麓駅(9:10)スキー練習→酸ヶ湯(15:00)

今日は低気圧が東に抜けて冬型が強まり、気温が低く朝から乾燥した粉雪が降っている。強風のためロープウエイが止まってしまうのではと心配しながらスキー場へ。どっこいそこは八甲田、減速運転ながら15分間隔でパウダーフリークを山頂駅に運んでくれていた。八甲田は明らかに他のスキー場と客層が違い、皆それぞれにこだわりをもているような人ばかり。大別すると我々のような山スキーヤーが25%、テレマーカーが25%、ゲレンデアルペン派ヘルメットなど被っている25%、背中にスノーシューをしょったボーダーが25%といったところか。そして手段は違っても求めるものはただ一つ、「極上のパウダースノー」である。
 1本目はフォレストコース。まさにディープパウダーを歓声を上げながら滑る。先頭の大島さんが果敢につっこんで行く。深雪に入ると抵抗のない粉雪が舞い上がり、顔に当たり頭の上を越えていく。2本目はダイレクトコース。ここは最初の200mくらいが風をまともに受ける方向なので、ゴーグルのない大島さんと青木さんが苦労していた。「涙がそのまま真珠のように凍り付いていた」とは、ちゃんと二人を待っていた豊島さんの言葉。次回はコンタクトレンズとゴーグルにしましょうね。絶対滑りが変わるから。
昼食後、川辺さんも加わって再びフォレストコースへ。午後になってもコースの端の方にパウダーが残っていて最高でした。
 夕食後は、シュポッポというカラオケスナックで酸ヶ湯の最終日を満喫しました。
★朝食はご飯、大根おろし、しらす、みそ汁、ホッケ焼き。
★夕食は肉じゃが、きんぴらゴボウ、豚角煮、ウインナ、ご飯、すき焼き。

1/6 曇りときどき雪。
酸ヶ湯(9:30)→黒石IC→羽生(18:00)

酸ヶ湯は今日もふかふかのパウダーが積もっていて名残惜しいが、車の雪を下ろして、帰路につく。不思議なことに、夕方4度くらいの羽生に降りるとものすごく寒かった。昨日まで氷点下14度でもあまり寒さを感じなかったのにね。おいしい料理と楽しい語らい。極上のパウダーに恵まれて楽しい4日間でした。
★朝食は雑煮。                           (浅見記)

 八甲田・酸ヶ湯山行感想
   「ふぶきの酸ヶ湯は えがった……」

                               (滝沢 健次記)
 私にとって冬の八甲田・酸ヶ湯温泉は、1992年2月以来11年ぶりでした。前回も大雪にみまわれましたが、今回も豪雪を体験しました。特に正月4日から5日にかけては全国的に大寒波が押し寄せ、信州安曇野では26台の車が雪崩に埋まり、北アルプスでも西吾妻でも遭難が発生して死者が出たほどです。八甲田では終始降雪が続き、4日に大岳をめざした仲間たちは、強い吹雪のために難渋したそうです。しかし雪質は軽くて快適でした。私は4日、5日はゲレンデで滑りましたが、ほとんど新雪状態でスキーを楽しむことが出来ました。時々雪がやむと眼下に八甲田の山々を眺めることが出来ました。
 夜中に降った雪は、朝には車を埋めていました。私たちはまず運転席の雪をはらい、エンジンを掛け、それから屋根の雪をおろしてスキーを積み込みます。道路は朝がた除雪してあるはずですが、それでも20cm程の雪を踏んで走らなければならない。運転は目を凝らして、雪の壁を確認しながら慎重を期さなければなりません。車の走りは雲の上を行くようでこころもとないが、この感覚がまたいいのです。いい雪体験でした。

 八甲田のもう一つの楽しみは、温泉です。酸ヶ湯温泉は強い酸性の温泉で、口に含むと夏みかんの汁のように酸っぱく、顔を洗うと目にしみる程強烈です。寝る前に暖まるために入ると、温泉は湯気でくもり2m先も見えず、暗い電灯がぼんやり点っています。混浴の湯ですが、何も見えないのだから、女性も気にする必要はありません。ゆっくりと首まで浸かって入り口の方を見ると、こちらもぼんやりと灯りが見えるだけ。天井は暗くて高いのだか低いのだか、はっきりしない程です。少し暖まったら、のんびり湯槽に腰を掛けて休む。漱石の『草枕』には、山の温泉に浸かっていると突然宿の女性が入ってくるという有名なシーンがあるが、さてあれはどんな文章だったっけ、など考えていると、思わぬ長湯をしてしまうのです。こんな湯は冬の酸ヶ湯でしか味わうことは出来ないでしょう。
 今回も宿は湯治部屋をとり自前で食事を作りましたが、栗原さんや食事担当者の尽力のおかげで、豊かで楽しい食生活でした。1日目に黒石ICで高速道を降りてから、ジャスコへ寄ってみんなでより取りみ取り4万円を越す食材を買い入れました。お米は、大嶋さんが丹誠こめた佐谷田産のコシヒカリ。下仁田ネギや漬け物などは、栗原さんの手作りの逸品。主として食当が担当しましたが、私など「その他大勢」派も少々お手伝いをしました。大勢で作って大勢で楽しんでいる食事は同宿の人たちの注目を集めたらしく、廊下を行く人ものぞき込んでいきました。
 1日目の夕食は、サシミ、漬け物、野菜サラダで冷たいビールがうまかったです。2日目の朝食は、納豆、玉子。夕食は、すき焼きでお酒。3日目の朝食は、ホッケの焼き魚、夕食は、肉じゃがと野菜スープでお酒。帰る4日目の朝食は、お雑煮で正月気分。この他にハム、ソーセージ、めんたいこ、豚肉の角煮、豚肉焼き、キムチ、ニシンの昆布巻き、しらす干し、山いも、ダイコンおろし、大根・白菜の漬け物、たくわん漬け、松前漬け、ホウレンソウのおしたし、ゴマ、おかか、梅干し、ワイン、焼酎などなど。ね、美味しそうでしょう。 

 お酒を飲んだ後は、山談義をしました。特に印象に残っているのは、会の山行のあり方について。議論の大筋を私流にまとめると、以下の通りです。
 山行前の打ち合わせの際には、よく「私でも大丈夫ですか」、「私にも登れるでしょうか」また「私が行ったら皆さんの足手まといにならないかしら」という発言があります。同人には、年齢的にも山の力量の上でも色々な人が居るから、こんな発言は出やすいのです。その際、山行のチームはこの心配にどう対処して、山行中どう配慮するかということが問題です。十分な検討もなしに困難な山行に初心者を同行して、そのあげく、「あの人が参加したから途中で敗退した」という思いが残るようでは、我々の同人の作風に反します。私は今の同人にはそうした思いが生ずるような傾向は決して無いとは思いますが、この辺りのことは明確にして置かなければならないのではないかと思います。ではどうするか。
 まず山行リーダーは、山行の困難さとメンバーの力量を検討し、無理なら率直にその事を告げて参加を止めてもらう必要がある。このことは現在も実現できていると思います。リーダーからそのような指摘がなかったなら、リーダーは様々な条件を勘案してOKを出したわけで、会員は安心して参加できるわけです。こうなったら、会員は自分で山行参加を決断しなければなりません。この時大切なことは、個人として困難さは感じていても登山の基本である「冒険心」を大いに発揮して、山行に挑戦してみることが大切です。
「登山の基本は冒険心だ」という言葉は、議論のなかで高野さんがおっしゃいました。
 そうして山行になります。実際の山行では、参加者の困難から当初の目的を達成できずに終わるということはあり得ることです。それでも参加者は、全員が協力して、互いに支え合って山頂に挑戦し努力したということに喜びを感じることが大切です。自然に素直にそう感じることが望ましい。リーダーは彼なりに反省点を総括するだろうし、参加者は自分たちの弱さを実感して、次の山行に挑戦する意欲を貯め込みます。そうしてみんなが互いに健闘をたたえ合って、山をあとにする。このような作風は今の同人には実現していることで、みんな安心して良いのですが、改めて確認する必要もあるのではないでしょうか。
 こう考えると、八甲田ゴンドラで山頂駅から滑ろうと誘われた私が、それを断ってストーブにあたりながらチョコレートを食べていたのは、少々「冒険心」に欠けていたようです。楽しく学ぶことも多かった議論で、我々同人の豊かな経験の蓄積を感じました。この議論の後大挙して酸ヶ湯温泉カラオケ酒場「シュポッポッ」に繰り込んで、夜を徹して大声を張り上げました。
 3泊4日の正月の八甲田・酸ヶ湯温泉行は、すべての点で えがった です。