‘素晴らしい斜面が待っていた’ 妙高前山・滝沢尾根深雪滑降 山域山名:妙高山系・前山(新潟県) 期 日:2003年3月14日(金) 参 加 者:L宮田、安藤 <計2名> 行動記録:北本(6:30)=東松山IC=妙高高原IC=赤倉スキー場駐車場(9:30/9:55) →前山第3リフト終点1500m(10:35)→1810m(11:40/11:50)→1932m前山(12:20/13:30) →滝沢尾根1510m(14:10/14:20)→1200m(14:45/14:50)→滝沢徒渉点990m(15:20/15:30) →スキー場合流点980m(15:45/15:50)→駐車場(15:55)=妙高温泉大湯 =妙高高原IC(18:20)=東松山IC=北本(21:00) 家族旅行が急遽キャンセルとなったため、冬型解消後の絶好の天気を前に安藤氏を誘い、妙高前山滝沢尾根に行ってきました。 前夜に高谷池ヒュッテ管理人の築田氏HP「火打山の風」で山の状況をチェックすると、妙高山麓ではここ数日の寒波で新たに80pの雪が積もり、今年の最大積雪量2m80pを記録とあった。2人でラッセルは少ししんどいと思っていたが、野尻湖PAから望遠鏡で滝沢尾根を見ると、前山への急斜面にトレースを発見し、ひとまず安心。 スキー場駐車場に着くと、さすがに平日のためゲレンデはガラガラ状態。ゴンドラと赤前山第3リフトを乗り継ぎ入山する。気温が上がり、ヤッケを着ていなくても汗が噴き出す。ブナ林とダケカンバが混じる広い尾根を登る。積もった深雪は1m位か。1650m付近から急斜面となり、昨日の登山者トレースをなぞり、ジグザクに高度をかせぐ。今朝と思われるスキー単独行者はほ 目の前には、ヒマラヤ襞をまとった妙高本峰東壁の大迫力だ。本峰の左手には、南地獄谷から上がる湯気が音をたてている。北側には、大きな雪庇が張り出した大倉山から神奈山の稜線が続き、日本海の海岸線も見える。南側には、たおやかな黒姫山と野尻湖が小さい。360度の大展望に大満足する。ビールで乾杯し、ゆっくりと昼食を取る。 長い休憩の後は、いよいよ標高差1000mの滝沢尾根の滑降だ。ワックスを塗り、準備万端だ。滝沢尾根への出だしはやや急傾斜ながら、無木立の大斜面の連続していた。妙高本峰をバックに深雪斜面にウェーデルンのシュプールを刻む。振り返るこの瞬間が、山スキーヤーの至福のひとときである。標高1800mからは雪面に映えるダケカンバの間を縫って行く。まだ軽い粉雪で快適滑降だ。1600m付近からは、樹林は美しいブナ林へと変わっていく。4mを超す積雪で、ブッシュもすべて隠れている。自分のルートで滑っていける、思わず声でリズムを刻んでいく。 帰路に妙高温泉大湯公衆浴場へ。番台のおばちゃんに聞くと「南地獄谷から引く約80度の源泉は、雪崩のために温度が低めで沸かしているとのこと。また、今年の妙高は雪が多く、春がなかなか来ないねー」と。15年振りに妙高高原駅に立ち寄り、駅前そば屋で腹ごしらえをして、一路、高速を突っ走った。 (記;宮田) 安達太良山・初級山スキー講習 山域山名:安達太良山(福島県) 期 日:2003年3月8日(土)〜9(日) 参 加 者:CL宮田 SL大嶋 須藤、浅見、南雲、駒崎、大山、青木 <計8名> 行動記録: 3/8<曇り> 熊谷(5:00)=あだたらスキー場(8:20)=ゴンドラ山頂駅1350m(9:20/9:35) ⇒1500m(10:25/10:45)⇒頂上直下1680m(11:26)⇒安達太良山1699m(11:30/11:40) ⇒頂上直下よりスキー滑降(12:00)⇒峰ノ辻1550m(12:25)⇒くろがね小屋1350m(13:00) 前日に中止の連絡が入るのではないかと思うほど天気が思わしくないなか、予定どおりスキー場の駐車場へ到着。ゴンドラ山頂駅は風は強いが、視界は利いている。あらかじめシールをつけておいた板を履き出発。つぼ足で登り始めた女性パーティーの脇を抜いて登っていくと、程なく息が上がり休憩をとる頃にはとても疲れてしまった。一ヶ月以上山に登っていないからと理屈をつけるが体力不足。少しの傾斜が出てくるととたんに登れなくなる。他の人達はスイスイと進んで行くのに、前の人との間隔があいていってしまう。見かねて宮田さんが登り方、ストックの使い方を根気よく教えてくれるが、思うようにならない。情けないと思っているうちに頂上直下に到着。去年ほぼ同じ日に来た時には、もの凄いアイスバーンと強風にあい恐怖と緊張で登った斜面は、うって変わって雪が20cm位積もっていて違う山に来たようだ。 板をはずしてつぼ足で山頂へ。ガスが出てきて眺望は利かないが、鉄山の方向はうっすらと望める。写真を撮り頂上直下まで降りて、いよいよくろがね小屋までスキー滑降。ガスが出てきているので、皆注意深く滑り始める。距離感や斜度がガスのためよく分からず、滑り出しは転倒するものが続出するが、すぐにスイスイと降りてゆく。後を追って行くものの転倒ばかりして時間を浪費して注意される。小屋前の急斜面を降りて板をはずした時は心底ホッとした。悪天のためキャンセルがあったという小屋は、それでも夕飯時にはそこそこ人が入っているが、ゆったりとしていた。たっぷりある時間を温泉とお喋りに使う。滑降の最中「めまいがする」と言っていた会長は「めまいスキー」について分析していた。夕食は去年と同じ「カレー」。夜半強風の音に何度か目を覚ます。 3/9<朝のうち小雪後曇り後薄日さす> くろがね小屋1350m(7:55)⇒1470m(8:20/8:25) ⇒峰ノ辻1550m(8:40)⇒1600m(8:55/9:05)⇒山頂肩1670m⇒滑降地点1630m(9:30/9:45) ⇒烏川右岸1430m・弱層テスト(9:55/10:15)⇒五葉松平⇒スキー場合流点1180m(11:00) ⇒駐車場(11:20)⇒岳温泉⇒熊谷(16:30) 今日は初めからスキーアイゼンを付けて登り始める。昨日滑ってきたルートを途中休憩をはさみ峰ノ辻を経て頂上直下へ。昨日よりは板が踏めていると言われてちょっぴり嬉しいが、スキーアイゼンのおかげ。前日はゴンドラ山頂駅のところで1パーティに会ったきりだったが、今日は2、3パーティ(いずれも登山者)にあう。 頂上直下より安全な場所へシールを付けたまま少し南へ降り、五葉松平方向へ滑降。皆まっさらな大斜面に嬉しそうで、満足そうな表情。途中休憩の時に弱層テストをする。円柱に雪を残して周りを堀り、円柱を抱え込んで手前に引くと雪がスッと移動した。移動した面が弱層とのこと。本で読むより理解しやすい。初めてスコップも使った。五葉松平の木々の枝に難儀しながらゲレンデに出て、去年と同じ岳温泉、ソースカツ丼を経由して帰途に。 同じ時期の同じ山でも天候によって山ってこんなに様子が違うんだと実感。そして自分の成長のなさも実感。山スキーは慣れもあると言うけれど・・・しかし、なぜか帰りの温泉に浸かる頃には楽しかった、となるのである。 (記;大山) 湯ノ丸山 山スキー報告 山域山名:湯ノ丸山(群馬県) 期 日:2003年2月9日(日) 参 加 者:CL浅見 SL中野 川辺、南雲、駒崎、木下 <計6名> 行動記録:鹿沢温泉(8:00/8:40)→旧鹿沢スキー場トップ(10:15)→湯ノ丸山山頂(11:30) →湯ノ丸山北東斜面滑降→鹿沢温泉着(15:00) 熊トレ初山行の報告をさせていただきます。天気が大変よく楽しい山行でした。 鹿沢温泉付近にてビーコンの練習を軽く行った後、湯の丸山へ向けて出発した。雪は硬くなった層の上に2〜3cm程度の新雪が乗った状態であった。旧鹿沢スキー場はリフトが撤去され、何もない開けた斜面となっており、きっと中上級者コースであったろう急斜面をキックターンを繰り返して上っていった。ゲレンデトップと思われるところで一服し、広く開けた湯の丸山の東斜面を詰めた。湯の丸スキー場の方から大勢のスキーヤー、ボーダーがハイクアップしてきていた。山頂では360度の大展望が堪能できた。視界が極めてよく、富士山から後立山まで一望であった。この眺めだけでも、ここまで登ってくる価値がありそうである。 シールを外し、少し北へ移ったところから滑降に入った。初めはシュカブラ混じりのハードバーンであったが、次第に新雪へと変化していった。快適なターンを刻むもつかの間、斜面はすぐに樹林帯となった。一部は密度の濃い針葉樹が壁となり、大きくトラバースを強いられた。樹林帯を抜け斜面が終わったところで大休止。美味しそうな角間山のオープンバーンを眺めながらお茶をいただく。新雪が降った翌日にぜひ挑戦してみたい斜面である。ほぼ水平となった雪原を進み、鹿沢温泉へと戻った。 「ひなびた」という表現がぴったりの鹿沢温泉の一軒宿で風呂に浸かり、雪山を後にした。 (記:木下宏文) 重雪に難儀するもスキーは楽し、雨ヶ立山山スキー 山域山名:宝川上流・雨ヶ立山(群馬県) 期 日:2003年2月8(土)〜9日(日) 参 加 者:CL宮田 SL青木 大島、石川、須藤裕、井上 <計6名> 行動記録: 2/8 江南(4:30)=水上IC=宝川温泉700m(7:00/7:35)→林道790m(8:25/8:35) →トンネル(8:50)→林道830m(9:25/9:45)→板幽沢出合手前(10:00) →板幽沢左岸1000m(10:35…<テント設営・昼食>…11:45)→尾根上1250m(12:35/12:45) →稜線1450m(13:25/13:35)→雨ヶ立山山頂1627m(14:40/15:15)→稜線1400m(15:45) →雪原1150m(16:20/16:30)→テン場1000m(17:05) 前々から気になっていた雨ヶ立山と布引山。今回は2日かけて両山の粉雪を滑るべく厳冬期に計画したが、1月までの寒冬が一転し、山の由来である季節はずれの‘雨’に迎えられてしまいました。しかし、雨ヶ立山山頂からの大展望と中腹の美しいブナ林にシュプールを刻み、ディナーと併せ楽しい山行となりました。 「宝川温泉から入山、暖かい快晴のもと、林道を黙々と歩く……」 江南某所に集合し、コンビニで行動食を仕入れ花園ICへ。午前5時前だというのに、北へ向かう車の多さに驚く。順調に高速を走り6時過ぎに水上インターへ。快晴の空に谷川山頂がよく見えた。宝川温泉に着き、さらに100m奥の駐車場に止めるつもりであったが、最近は除雪した跡がなく、仕方なく旅館の駐車場に止めさせてもらう。すぐに共同装備を分けて出発準備に入る。 上空には雲ひとつなく無風のためか、暖かく感じる。上着ヤッケはザックにしまい、林道にシールを滑らす。思ったより宝川の水量が多く、しっかり流れていた。この当たりの積雪は1m強くらいか。林道に積もった雪面の表面は硬く締まり、ほとんどもぐらない。2週間前に苦労した黒姫のラッセルが嘘のようだ。これから先約4キロの林道もそう時間を費やさずにすみそうである。最近1週間の高温のためか、林道をふさぐようにデブリが2箇所あった。少し心配していた途中のトンネルは、出入口半分程度が雪崩で埋まっているたが難なく通過。宝川から約2時間半で、雨ヶ立山取っ付きの板幽沢出合に到着する。背後には、端整な笠ヶ岳が見え、前方ちょうど20m先には、かもしかが我々をジッと見つめていた。 林道から北西(右手)に向きを変え、密の杉植林帯を登る。周りの山があまり見えず、現在地は分からなくなりそうだ。テン場を想定している板幽沢左岸を外さぬよう注意して登る。それにしても暑い。汗が噴き出し、まるで春山を登っているような気分になる。高度計が1000mを指した頃、木立の間隔が空いた平坦地に出る。当たりを少し歩き、目的地としたテン場であった。すぐに雪面を踏み固め、テント設営、昼食を取る。 「大展望を楽しみながら、ブナの大木の間を登る……」 テン場から山頂までは標高差600m、空身となって山頂を目指す。左岸の小尾根をトラバース気味に登るつもりであったが、いつしか尾根上を行く。1150mの雪原に出るまでは、藪がうるさい。布引山から南に派生する真っ白な尾根が間近に見える。この雪原までテントを担ぎ上げたら最高だろう。ここから上は原生林のブナの変わる。休憩の後、稜線に続く尾根の急登を登る。高度を上げるにつれて、谷川岳や白毛門が姿を現す。2,300年もののブナの大木もあり、上越の山の雰囲気に浸りながら登る。1本の登りで、山頂から南東に延びる稜線上に出た。反対側の山々が目に飛び込む。自分にとっては特別な平ヶ岳、幾度も滑った尾瀬の燧ヶ岳や至仏山、冬山の基礎を習った上州武尊山が大きい裾野を広げている。上空は低気圧接近の兆しを告げる高層雲が覆い出し、南東の風が強く吹きつけていた。 稜線は二重山稜となっていて、右側には大きな雪庇が張り出していた。ここから山頂までは思ったよりも距離があり、腐った雪がシールに団子状につき疲労を倍加させた。自宅でシール防水液を塗ってはきたが、ここで効力が切れたようだ。再度シールワックスを塗り頑張る。せりあがる山頂の急登を登り切ると、誰もいない山頂に到着だ。風は相変わらず強い。 見渡す限り山しか視界に入らない。それも、厳冬の奥利根源流の山々がグルッと囲んでいる。特に、朝日岳東面の威容とナルミズ沢源頭の大烏帽子山がひときわ高い。人間の匂いがする人工物は、眼下に満水の水を蓄える矢木沢ダムと山肌を無惨に削るスキー場がいくつかあるくらいだ。いつまでも眺めていたいほどの素晴らしい景色だった。 「山頂からの滑降は、モナカ雪・重雪に悪戦苦闘……」 大休止を終え滑降の準備に入る。ヤッケを着込み、スキーにはしっかりとワックスを塗る。いよいよ、宝川から5時間の登りが報いられる瞬間、のはずが、滑り出すと板が曲がらない。登りに予想をしていたが雪が重く、しかも、日射しがなくなり気温が下がったために、表面が硬く締まりだしていた。スキーにはもっとも向かないモナカ雪に近い状態だ。山頂下でいきなり転倒する者もいる。悪雪になるほど、しっかりとしたシュテムターンと斜滑降の基礎技術が重要である。 我々が往復したルートは、南または南西に開けた斜面なので余計に雪質が悪い。稜線上の北東側斜面は南面と違い驚くほど雪が軽かった。とはいっても、雪質は悪かろうがブナ林の隙間を滑るのは本当に楽しい。クラストしている箇所は、強引にスキーを跳ね上げ、出来るだけジャンプターンで頑張る。重雪のターンは、上半身を落とし膝を抱えるような感じで、板が浮き上った瞬間に重心を踏み換え、エッジ切り替えるのがコツだ。標高を下げるにつれて表面も緩み、幾分滑りやすくなった。1150mの雪原で休憩を取る。山頂から500m下るのに1時間30分もかかってしまった。ここからはブナと別れを告げて、藪スキーに移る。これもまた楽しい。登路の小尾根を巻いて、無事にテン場に滑り込む。担ぎ上げたビールで乾杯! 「‘ディナー’はおぼろ月夜の下で……」 稜線の風が嘘のように静かで、しかも暖かい。全員が入れない大きさのテント2張の環境や、乾杯のビールで酔っぱらった勢いもあり、今宵は外で夕食を作ることにした。2月の厳冬期にテントの外での夕食、初体験である。しかも、石川シェフの今宵のメニューは、チーズフォンデュとのこと。氏曰く、スイス料理らしい。長瀞では、毎日こんな洒落たものを食べているのだろうか。石川さんが食料担当をすると、いつも変わったものが食べられる。食欲も酒欲も旺盛で、一気に食べきってしまった。天には薄雲にかすむ月がおぼろげに見えていた。最後の水作りを終えて、8時過ぎに就寝となった。宝川源流からは、時々、雪崩の爆音が響いていた。 2/9 起床(5:00…<朝食・待機・テント撤収>…8:25)→板幽沢出合(8:45/8:55) →林道740m(9:45/9:55)→宝川温泉(10:15)=湯ノ小屋温泉=江南(14:40) 「厳冬期に雨に降られて……」 テントを叩く雨音で目を覚ます。標高1000mなので湿った雪と予想していたが、いきなりの雨となった。本降りであったため、朝食を食べた後に様子を見ることにする。計画の布引山は次回にしよう。ここで問題がひとつ生じていた。テントはダンロップとエスパース2張り、外張のダンロップは大きな被害はなかったが、本体+内張のエスパースはすぐに水浸しとなっていた。3月以降の山行なら、エスパースはフライを持参した方がよいだろう。エスパースメンバーからのリクエストと雨が小降りとなったため、撤収作業に移る。気分はもう温泉モードに突入していた。 滑降体制に入るが、重荷には雨でグサグサとなった雪は辛い。しかも密な杉の植林は、滑るルートを提供してくれない。ただ高度を落とすことに専念して林道に出た。傾斜のある林道前半はいくらか滑らすことができたが、途中からは、かかとを上げて距離をかせぐ。1時間強で宝川温泉に到着する。朝10時だというのに、入浴する観光客であふれていた。人混みの宝川温泉は嫌だったので、湯ノ小屋まで車を走らせ、ほかに誰も客のいない照葉荘の檜風呂で汗を流す。藤原で昼食を食べる頃には、青空が広がっていた。 雨ヶ立山と布引山は、奥深さと距離があるもの、テント泊の初級山行に適していると思う。来シーズンに計画しましょう。時期的には、積雪量と雪質がザラメとなる4月上中旬頃がベストでしょう。 (宮田記) 初めてのラッセル 黒姫山スキー講習 期日 2003年1月25日(土) 参加者 CL:宮田 SL:大島・石川・浅見 豊島 中野 須藤裕 滝澤 駒崎 大山 井上 川辺 以上12名 行程 花園4:20 = 上信越道信濃町IC 7:25 = 大橋 8:10/9:10 ... 1370m地点 11:40/11:50 ... 1619m地点(昼食)13:25/14:25 ... 大橋 15:42着 = 熊谷 21:00 高速道を降り井上君と合流、40分ほどで大橋に着く。雪が舞っているなか出発の準備を進め、いよいよ出発。歩き始めると、スキーが50cm近く埋まってしまう。ストックを突くと1m近くスポッと入ってしまう。12名が順次ラッセルをすることになった。ラッセルに慣れている人は約30mも軽やかに元気一杯ラッセルが続けられる。初めての私は10mもラッセルをすると、100m全力疾走した後のようにハァハァドキドキしてしまい汗ばむ。次の人にラッセルを頼み、端で全員が通り過ぎるのを待っている間が休息で、周囲を眺めていた。雪は降り続いている。雲間が明るくなってくることは何度かあったが、風と雪はほとんど続いていた。カラマツに花をつけたように雪が付着している。幹にも所々着いていた。 林道をゆく間はラッセルをし、景色を眺められたが、登山口以降の登りは、歩くのが精一杯で、皆様に迷惑をかけてはならぬの思いでまさに必死で歩き、ラッセルをした。スタートしてから腰を下ろしたのは1619m地点昼食時が初めてであった。このように体力を消耗したことはなかったのではないかと思っていた。風は冷たかったが、あついコーヒー・紅茶での昼食にはホッとした。 帰路、滑降に入る。新雪が深く、ターンしにくいが、スピードがでないので安心して滑ることができた。一方山スキーのスペシャリストは新雪の中を跳ぶように、リズミカルにシュプールを刻んでいく。楽しそう! 林道にでると、コギながらやっと進む状態。滑れた距離は短かったが、新雪をじっくりと味わうことができた山スキー講習会でした。 戸隠神告げ温泉「湯行館」で冷えた身体を温め、疲れた部分をマッサージできました。ここで戸隠そばを食べて車に入ると、ラジオが大相撲を中継しており、大関朝青龍が優勝を決めたとの放送中に出発し帰路につきました。 [後日談]帰ってから、歯茎が腫れ痛みました。たぶん疲れのせいではないかと思います。 (川辺記)
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