国内山行記録    熊谷トレッキング同人

真っ白だった飯豊連峰


期 日:2001年11月22日(木)〜25日(日)<会山行>
参加者:CL宮田 SL青木 軽石(記)、豊島
11/23 弥平四郎登山口8:10発(160分)松平峠(105分)分岐(105分)三国小屋着15:00
11/24 三国小屋発7:30(90分)切合小屋(60分)草履塚10:00〜本山12:00/12:50〜切合小屋
    14:15(90分)三国小屋着16:00
11/25 三国小屋7:00発(80分)分岐(100分)弥平四郎登山口10:15着

  11月恒例の初冬雪山、今年は飯豊山を目指した。無理と思っていた山行だったが、 都合が良くなり足元やや不安なれど急速メンバーに加えてもらうことになった。

11/22 20時に熊谷を出発。会津、喜多方を抜け濃霧の中、山都から弥平四郎登山 口にたどり着いたのは深夜の1時過ぎであった。

11/23 6時30分起床。夜来降った雨は止んでいるものの雲が厚い。天気図に詳し いMリーダーによるとこの近辺だけが良くないのかもとのこと。濡れたテントを撤収し 装備を分担し8時過ぎに出発した。祓川山荘を8時30分に通過、見事なプナ林を通り 沢ぞいに山腹を巻きながら高度を上げて行くと、1,000m付近から雪道になった。松平峠 で10時50分着。この辺りから小雨が降り続くようになり、登山道も急坂となった。 この坂で私がザックの重さに音を上げ、リーダーとA氏に水や装備の1部を持ってもら い荷を軽くしてもらった。情けないと内心忸怩たる思いがあったがどうにもならぬ。
  12時45分にやっと稜線の分岐に出て昼休み。私がかなり足を引っ張ったため、こ の間90分以上かかったことになる。小雨は止まず、時折陽は差すものの展望はない。 ここからはリーダーとA氏はわかんを使用した。ややゆるんだ雪道に30〜40センチも足 がはまったりするので特にリーダーには効き目がある様子。疣岩山を下りなおも2つの ピークを越えると、やっと前方に三国小屋が見え心底ホッとした。小雨が雪に変わりは じめた15時頃三国小屋に到着。ここを今夜のねぐらにすることとなった。先客は1組、 4人のみである。ビールと熱燗で疲れを癒して16時から雪を融かして水をつくり始め た。私は成程と感心するばかりである。夕食はキムチ入りビーフンとまぜご飯にミソ汁 で満足し、19時過ぎ早々に就寝した。

11/24 5時30分び起床、快晴、7時30分に出発する。本山往復の日だ。小屋の前からは朝日に輝く真っ白な大日岳が正面である。ハナから氷結した下りの為アイゼンを着けた。種蒔山を越え次のピークに立つと切合小屋が眼下に見え、その先いくつかのピークの向こうには本山も望める。その右手はるかな重畳の彼方に白く浮き出ているの は朝日連峰だ。反対に眼を向けると白馬などの後立山連峰、そして槍、穂高まで見渡せる。この時期ならではの好展望だろう。小屋到着が9時、静かで誰もいない。
  10時に草履塚の2つ目のピークに達した頃、自分の異変に気がついた。スタミナが残ってないのだ。「ここで長時間休みたい」と体が叫んでいる(と感じた)。出発してまだ2時間半しか経っていないのにである。結局荷を分けて持ちましょうとのリーダーの 言葉に甘え進むことにしたが、御秘所の岩場を越え御前坂の手前まで来た80分後、とてもこの坂は無理と自ら判断し、先に切合小屋まで引き返す我がままを通してもらった。 テルモスを1本預かり小屋に戻りひとり休んだ。そしていっ時、去年の夏のここの賑わいを思い出したりした。
  戻る約束の14時30分より15分早く3人が小屋に着いた。山頂では、周囲の大展望を楽しんだ様子で皆元気である。私もいくらか疲れがとれ、三国小屋までは90分で戻ることができた。16時着は予想どおり、他の3人にもきつい1日だったはずなのに 案外ケロッとしている。やはり若いスタミナというものは凄いものだ。ともあれ小屋の外で大日岳や磐梯山を眺めながら飲んだビールは旨かった。17時に夕食作り、又々A氏が活躍、私は感謝、感心するばかり。Tさんは早寝のようだ。若い2人は飲み続けて いる。私の方はわずかな酒が効いて軽く食べるとすぐシュラフにもぐりこんだ。

11/25 5時前に起床、この日も快晴だ。後半の空模様を心配しつつ7時に小屋を出 て、アイゼンを着けて下山にかかる。たっぷり休んだせいで身が軽い。好展望が名残り 惜しくて、ポイントでスナップを撮った。分岐から急坂を下った時は、よくこんな所を 登ったものだといつも思う気持ちにかられた。この日は全く他のパーティを見かけない。 さすがにこの山域だと思った。駐車場着は10時15分と早い。早速濡れたテントを張 って干し、撤収して車に乗り込んだのは11時前だった。
  途中、喜多方の手前で、偶然懐かしいSLが通る鉄橋のバックに真っ白な飯豊連峰を 見た瞬間は一ぷくの絵になって瞼に残った。当然、宮古のソバ、温泉、そして喜多方ラ ーメンとそれぞれ満喫したのは言うまでもない。  私にとってこの3泊3日半はまさにトレーニング山行となった。問題点も見えた。そ れにも増して、3人には迷惑をかけてしまったなとの思いと、感謝の気持ちでいっぱい である