国内山行記録    熊谷トレッキング同人

晩秋の吾妻連峰縦走

山  域:吾妻連峰(福島、山形県境)
期  日:2007年11月3日(土)〜4日(日)
参 加 者:L南雲 軽石、駒崎

行動記録:
11/3 大宮=新幹線=福島=浄土平(9:00)→一切経山(10:00/10:10)→家形山(10:45/11:00)
 →兵子(11:35/12:10)→烏帽子山(12:50/13:00)→昭元山(13:40/13:50)
 →東大顛(14:42/14:45)→明月荘(15:10)

 寒気が東北地方に入った朝、浄土平に着いたときは氷点下だったろうか。広大な吾妻連峰の西の一部しか辿っていない二人と、東側しか知らない私、共に端から端まで歩こうと言う気になったのはリーダーの強い意気込みに賛同したからだ。

 観光客が多くなってきた浄土平をあとに歩き出した。火山性特有の荒涼とした景観が続き左に鎌沼、右に吾妻小富士の噴火口を見ながらの稜線は、冷たい風が吹き付けていた。一切経山まで来るとやや雲が多いながら、これから辿るルートが一目瞭然である。眼下に五色沼、その先に家形山そして烏帽子、昭元山、東大顛と続く。西吾妻山ははるかな先、ガスに隠れていた。山頂の大きなケルンには霧氷がエビのしっぽのごとくついていた。

 家形山をすぎると樹林帯に入り道はゆるやかな下りになる。平らな尾根はぬかるみの連続だが、等間隔に敷かれた平石が歩きやすい。尾根から北側に少し離れた岩峰が見えてきた。兵子と書いて「ひょっこ」と呼ぶようだ。20mほど登った岩山は展望がよく数人が休んでいた。我々もお昼とする。ここは姥湯温泉からのルートにもなっている。実際姥湯のほうから登ってきた人もいた。稜線はこの先もなだらかに続いている。ニセ烏帽子、烏帽子山とすぎると、左下遠くに谷地平が現れ木道が見えた。昭元山をすぎると湿原となり、
木道がすこしずつのぼりにかかる。池塘の周囲は枯色になって冬近しを思わせた。ゆるやかな樹林のピークには東大顛の標柱がひっそりと立っていた。この先に分岐があり避難小屋のほうに新しい木道がのびている。明月荘に着き水を確保したあと湿原の散策に出かけた。この山頂湿原は広大だ。明星湖までの間、大小の池塘のはるか雲の隙間に飯豊連峰が見えた。小屋に戻ると後続の二組が入っている。夕食後わずかな量の酒を分けて乾杯し就寝。夜半風の音で幾度も目を覚ました。

11/4 明月荘(6:50)→藤十郎分岐(8:00/8:05)→人形石分岐(8:45/8:55)
 →西吾妻山(10:10/10:20)→西吾妻小屋(10:35/11:05)→西大顛(11:37/11:45)
 →西吾妻小屋(12:15/12:20)→若女平(14:00/14:10)→白布温泉バス停(15:10)

 朝、表が気になって外に目を向けるとガスっていて、土の上が妙に白い。案の定木道はガスが氷結している。食後、ままよと踏み出した。慎重に歩を進めるが傾斜した所は地面を歩いた。木道は本線に戻ってからものびている。わずかに下っているが池塘も続くこの山は、どこまでもなだらかなのだ。藤十郎という分岐をすぎて今度は急な登りを百米ほどのぼると中大顛の一角、人形石の分岐に着いた。道は南に向きを変え、少し下ってまた現れた湿原の木道を行くと、こんもりとした樹林の中に入り、大石の道を数十米で小広い所があり端に大岩がある。梵天岩と地図にある。そばに氷雪がはりついたモミの木?が樹氷の卵となっていた。再び樹林のぬかるみを登っていくと、ようやく平らになったあたりに西吾妻山の標柱があった。これでは雪に埋まればわからないだろうと思う。少し下ると西吾妻小屋があるがその途中にはじめて数人と行き交った。小屋で休憩後空身で西大顛まで往復の際も多くの登山者がいた。西大顛には西吾妻山への最短コースとして、白布峠からのルートの他早稲沢口からの道、グランデコスキーリゾートからゴンドラを利用したものもある。なるほど山頂には大勢がいた。下山は小屋の先、湿原にかかる木道から左に下る。

 沢石伝いの道は歩きにくく、若女平辺りまでは時間がかかったけれど、白布温泉まで標高差1200mを3時間足らずで着けたのはまあまあでしょう。バス停そばの西屋温泉では源泉のかけ流しを5百円で入れたことに感激した。

 この連峰の印象は東西それぞれに特徴があり、ひと言では言えない。荒涼としたそれでいて観光地化した東、大きく静かな樹林の西、中ほどの谷地平や高層湿原と池塘群の数々、また、どこまでも続く木道はいつまでも心に残りそうだ。再び花の時期に訪れて見たいと思った。そしてこの計画をつくったリーダーに感謝し、縦走を完結できたことを喜び車中の人となった。                            (軽石記)