国内山行記録    熊谷トレッキング同人

2007年槍・穂高岳縦走記

山域山名:北アルプス・槍ヶ岳、南岳、北穂高岳、涸沢岳、奥穂高岳、前穂高岳(長野県)
期  日:2007年9月21日(金)〜24日(月)
参 加 者:CL宮田 SL木村 逸見、軽石、駒崎(計5名)

行動記録:
9/21 熊谷(4:45)=沢渡7:30=上高地(8:00/8:15)→明神(9:07/9:20)→徳沢(10:10/10:40)
 →横尾(11:35/12:20)→槍沢ロッジ(13:40)

<天候:快晴> 
 槍穂高の縦走計画を知り、キレット未踏の私は是非にと参加させてもらった。抜けるような青空の下、肌寒い上高地を出発した。横尾に着くころは暑い陽射しとなり山荘のメニューで昼食を済ませた。初日の目的地槍沢ロッジには13時40分着、小屋の前で明日からの健闘を祈念して乾杯した。

9/22 槍沢ロッジ(6:15)→テン場(6:50/7:00)→天狗原分岐手前(8:10/8:20)
 →幡竜上人堂(9:40/9:50)→殺生ヒュッテ(10:25/10:40)→槍ヶ岳山荘(11:20/11:35)
 →槍ヶ岳(11:50/12:00)→山荘(12:25/12:50)→大喰岳(13:30/13:40)
 →中岳(14:20/14:30)→中間点(15:00/15:05)→南岳(15:40/15:50)→南岳小屋(15:58)

<天候:晴れ後霧> 
 この日は標高差1800mコースタイム9時間以上ときつい1日になりそう。上空は晴天、テン場、大曲を過ぎると槍の穂先が見えてきた。天狗原の分岐を過ぎ幡竜上人堂で一休、殺生ヒュッテを経由、急坂に息を切らしてようやく肩の小屋に着いた。多くの人が槍本体にとりついている。我々も後に続くが頂上からの展望は期待したものではなかった。

 ここでも小屋の中で昼食を済ませコーヒーを愉しんでから、南を目指した。飛騨乗越まで下り大喰岳へ登り、中岳への登り返しと下りが続き天狗原の分岐を過ぎると南岳はすぐである。眼下に見える南岳小屋に入ってようやくハードな2日目が終わった。

   

9/23 南岳小屋(6:25)→岩稜下(7:15/7:25)→大キレット(7:50/8:00)
 →長谷川ピーク下(8:45/8:55)→北穂高小屋(10:35/11:30)→北穂(11:40)→コル(13:16)
 →涸沢岳(14:25/14:40)→穂高岳山荘(14:55)

<天候:曇り後霧、一時雨>
 いよいよこのコースのハイライトである。雲が多い。小屋の南に出ると目の前に大キレットが広がっている。迫力あるはじめて見る光景だ。北穂がよく見える。ルートは一旦飛騨側を下る。難しい上り下りを繰り返し長谷川ピークという名の岩峰にとりつく。

 またぐしかない位の狭い岩稜で鎖、鉄ピンが連続してつけられている。慎重な歩みになる。ここを過ぎると飛騨泣きといわれる急登の連続で、右側には滝谷のA沢、B沢と圧倒的な垂直な壁を見ながらの登りだ。北穂の北面に取り付くと北穂高小屋の建物が見えてきてようやくキレットを越えたことを実感した。

 ここでまたしても小屋のもので昼食を摂り食後のコーヒーと洒落込んだ。展望がいまいちの北穂をあとに涸沢岳への稜線を辿った。キレットに勝るとも劣らない?このルートは過去2回通ったことがある。特に涸沢岳直下のあたりが落石が起きやすい。ここも慎重に歩を進めた。せまい岩の間を登ると頂稜の一角で小高いあたりに人だかりがある。涸沢岳頂上だ。

 直下の穂高岳山荘前に着き核心部の3日目が終わった。小屋の前は人が多い。団体もいくつか入っているようだ。この晩も寝苦しさが予想できた。


9/24 穂高岳山荘(6:40)→奥穂高岳(8:00/8:40)→吊尾根中間点(9:15/9:25)
 →紀美子平(10:05/10:10)→前穂高岳(10:45/11:05)→紀美子平(11:30/11:50)
 →岳沢ヒュッテ(13:55/14:05)→上高地(16:00)=沢渡=熊谷

<天候:曇り> 
 4時すぎには廊下に人の並ぶ気配あり。聞くと朝食のための順番待ちという。500人の宿泊者が早い順にというのは山小屋の現実を見せられたようだ。結局6時前に食事が終わりいくつかの団体も出て行き、幾分静かになった6時半すぎ斜面の列に並んだ。

 雲も高く見通しがよくなったころ奥穂の山頂に着いた。遠望が利くようになって山座同定などをしてから吊尾根に向かった。キレット同様にここも慎重な歩みが必要だ。前穂高岳への分岐、紀美子平には10数人が休んでいた。ザックがいくつも置いてあり、我々も空身で前穂に向かった。30分で頂上に着くもガスに巻かれている。絶景を見たさに20分ほどねばったが槍穂高の全貌を見ることは結局出来なかった。しかしこれで、3000m峰8座の縦走という達成感を得ることが出来た。

 上高地に下るルートは重太郎新道という名で知られている。かなりの急降下である。遠目に白く見える岳沢そばのヒュッテは2〜3年まえの雪崩で押しつぶされたそうだ。再建途上といった建物で小屋番が一人飲み物などを売っていた。ここからゆるい下り坂を延々2時間でようやく人混みの河童橋に着いた。こうして充実の槍穂高縦走が完結した。

 思えば最難関の大キレットはじめ数々の鎖場を無事に踏破出来たことを喜んだのは、私だけではない。逸見さんも他のメンバーも新たな体験に感動を覚えたに違いない。尚、安定した歩行タイムと適度な休みを取り入れ、また、カメラマンとしても幾多の集合写真のシャッターを押し続けてくださった宮田リーダーに、心から感謝したい。ありがとうございました。                             (軽石記)



‘憧れの槍・穂高岳縦走を終えて’       逸見一恵

 槍・穂高縦走から帰ってきて、またDVDを見なおした。よく歩けたと喜びをかみしめた。

 槍・穂高縦走は夢のまた夢、憧れだけで終わるはずだった。インドへ旅立つ前、突然宮田さんから山行のお話をいただいた。びっくりするやら、嬉しいやら、でも、私が行けるのだろうかと、何と返事をしたのか覚えていない。岩稜歩きの技術も体力も二つとも私にはない。でも行きたいと思った。

 まだ二ヶ月ある。体力だけはつけようと、自分なりのトレーニングを始めた。また、昨年の山渓の「北アルプス憧れの岩と稜線へ」も読み返した。DVDも購入して何度も見た。あまり見ると恐怖心が出ると、家人には注意された。

 気持ちの良い天気の中、上高地から明神、徳沢と槍沢ロッジに向かって歩いていったがいつも3日目の景色が頭をよぎった。槍沢ロッジはお風呂にも入れたし、前夜あまり寝ていないので良く眠れたが、南岳小屋では翌日のことを考えると眠りが浅かった。宮田さんから「眠れた?」と声をかけてもらう。何時でも私の歩き方、行動を注意してみてくれている。ありがたい。

 小屋からは簡易チェストハーネスを付けて、木村さん、宮田さんに守られて出発する。いよいよだと思うと胸の動悸が激しくなる。DVDで見た、ここは、滑りやすいところだ、この下は梯子だと頭でなぞる。「そんなに緊張しなくてもいいよ」また宮田さんから声がかかる。足が届かないというと、あと5センチ下とか、もうちょっと右とか木村さんが声をかけてくれる。上では宮田さんが手の位置を指示してくれる。自分なりに岩にもなれ、気持ちも落ち着いてきて、周りの景色を見る余裕も出てきた。しかし、自分の体が重い、お尻が重い、もう少し体重管理をしなくてはいけない。

 北穂高岳山荘に着いたときは嬉しかった。どうしても一度は来たいと思っていた所だ。会山行で計画されたときは、足の負傷で来られなかった。やっと念願が叶った。それも槍から歩いてきたのだ。ここで食べた中華丼の味は、けっして忘れないだろ。涸沢岳へ向かう途中ライチョウに出会ったが、私には写真を撮る余裕はなかった。

 穂高山荘に着いたときは、心底ほっとした。山荘は人、人、であふれていた。ここに来られただけで、あーもういい。布団1枚に二人で寝ようが三人だろうと、立って寝ようとかまわないと思った。

 精も根も使い果たしてしまったのか奥穂高岳から前穂高岳、岳沢の下りはきつかった。両足の股がパンパンに張ってしまった。岳沢ヒュッテで写真を撮ってもらう時は、立ち上がるのもおっくうで、座ったままカメラに顔を向けたほどだ。どうにか上高地までたどり着けたのは、もうダメの一歩手前で必ず休みを取ってくれた宮田さん、また私にあわせて歩いてくれた木村さん、メンバーの協力のおかげだ。3泊4日で、3000メートル以上の山8座を歩くという、途方もない夢をかなえてくれた皆さん、本当にありがとうございました。また、宮田さんには、思い出に残る沢山の写真を撮っていただきました。御礼申し上げます。