熊谷トレッキング同人 国内山行記録
トップ 海外トレッキング 国内登山 山スキー 入会のご案内 お問い合わせ

和名倉山

山域  秩父山塊 和名倉山2036m 
期日  2009/04/29(水)昭和の日
参加者 CL石川 SL木村 軽石(3名)

行動記録  羽生3:50==行田4:00==長瀞5:00==大滝・川又バス停650m 6:25→7:45 1075m尾根→スズタケ→9:43 ヒルメシ尾根1763m→10:49水場1815m→11:47川又分岐→二瀬分岐→12:20和名倉山山頂12:50→(往路を戻る)→13:41水場→17:22川又バス停==長瀞==羽生



 この4月から山岳部の顧問になりました。連休明けの山岳部の大会のコースになっているため、下見を兼ねて和名倉山を計画しました。白石山(はくせきざん)とも呼ばれる山です。笹藪の難コースとの情報もあり、心強い味方を得て、3人で行ってきました。



 結果的に今回の大滝地区川又からのコースは、ルートは明瞭でしたが、標高差、距離ともに十分ながら、得られる展望は少ない、歩くこと・登ること主体のタフなコースでした。

 昭文社の「山と高原地図・奥秩父1」では、かつてこのコースは一般向けでない破線のコースだったのが、最新のものではコース自体が表示されてないそうです。従って登山者も少なく、この日にここを歩いたのはたぶん我々だけでした。

 バス停から一旦川に降り、荒川に架かる吊り橋を渡って、和名沢の左岸の急斜面をぐんぐん登ります。踏み跡は細いけれど、山頂まで間断なく10〜20mおきに赤テープが付けられており、これを追っていけば外すことはありません。





 久渡沢の源頭部を巻いてスズタケの道になります。このあたりでしょうか、以前は笹藪で覆われ、道迷いが多かった所は。しかし、登山道を覆っていた笹藪は刈り払われており、ルートが不明瞭なところはありませんでした。さらに、ヒルメシ尾根までをひたすら登ります。ヒルメシ尾根に着くと、昔の山仕事の人たちの跡と思われる一升瓶が散乱した場所を通過します。




 その後、尾根の東側の標高1800〜1850m付近で、曲沢や金山沢およびそれらの支沢の源頭部を何度も回り込んで、細かくアップダウンしながら延々と片斜面を歩かされます。ようやく山梨県側の将監(しょうげん)峠からの道との分岐点に着きました。ここから山頂まで広くなだらかな山容が続きます。原生林の巨木の朽ちた切り株、木材搬出用のワイヤーがそこここに放置されたままでした。豊かな大自然とは言い難い状態です。


 たぶんこれらは、1969年(昭和44年)の大規模な森林火災の名残であろうと思われます。ここに登った日の翌週に、三峰神社から雲取山に行きました。右手に大きな和名倉山の山容を望みながらの登山道沿いにある、看板にそうしたことが記されていました。1969年といえば、私は中3で、たぶんその山火事の記憶がよみがえってきました。当時住んでいた秩父市内から見た遙か西の山で、夕空を赤く染めていたこと、煙の出ていたことなど覚えています。

 山頂付近はほとんど平で、濃い樹林の中にあり、標識がなければそれと解らない所でした。



 帰りは往路を戻りましたが、途中から膝が痛くなり何とかバス停までたどり着くことができました。出発から11時間の行動で、充実感の残る山行となりました。   (石川記)

追記 川又からの登山道は2008年夏のインターハイのコースでした。推測ですが、そのとき、赤テープ付けや、藪の刈り祓いが行われたのかもしれません。