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晩秋の蝶ヶ岳から徳本峠越え

アルバム(上高地〜蝶ヶ岳蝶ヶ岳〜島々宿)

3つのグループに分かれての蝶ヶ岳集中山行の記録です

【上高地〜蝶ヶ岳往復】

山域山名:北アルプス南部 蝶ヶ岳
期  日:2011年10月28日(金)〜30日(日)
参加者:浅古、八木、白根、栗原(幸)

行動記録
10/28 大宮7:18=熊谷7:31=長野8:44/9:00=松本9:51=松本BT10:25=上高地12:00/13:00−明神14:10/14:25−徳沢15:25(徳沢園泊)
10/29 徳沢7:45−横尾8:45/9:05−槍見台9:45/9:55−稜線(2625m)13:00−蝶ヶ岳ヒュッテ14:40(小屋泊)
10/30 蝶ヶ岳ヒュッテ6:25−長塀山7:05−徳沢9:45/10:35−明神11:35−上高地12:20/13:20−新島々14:25/14:45−松本15:14/16:04−長野16:55/17:09−熊谷18:20−大宮18:26

 5年前の同じ時季に燕岳から常念岳まで縦走し、天候にも恵まれ槍・穂高連峰を望みながらの稜線歩きを満喫した。その時の楽しかった思い出があり、機会があれば再び訪れてみたいと思っていたところに、例会で蝶ヶ岳から徳本峠を経由して島々まで下る山行の提案があった。蝶ヶ岳は穂高の絶好のビューポイントということで、参加の意思表示をした。例会の終了後、帰りの電車が八木さんと一緒になり、蝶ヶ岳には登りたいが、体力的に1泊2日で島々までは歩く自信がないとのこと。それではと、上高地を入・下山口とし、行程を2泊3日とする体力的に負担の少ない計画を立て、健脚組とは蝶ヶ岳ヒュッテで会うことにした。

10/28(1日目)
 列車を利用して上高地に向かう。平日の朝ということで、周りは通勤客ばかり。八木・浅古は大宮から、白根・栗原は熊谷から、それぞれ長野新幹線に乗車し、車内で合流する。長野で特急に乗り換え松本へ。1日に1本だけ、松本バスターミナルから上高地へ直通するバスがあり、これに乗り込む。
 定刻に少し遅れて上高地に到着。紅葉の見頃は過ぎたというのに、上高地バスターミナルは観光客で混雑している。昼食に入った食堂も先約の団体がおり、しばし待たされる。
 河童橋では、観光客に混じり定番の記念写真。それにしても人が多い。上高地の喧騒を離れ、のんびりと徳沢を目指す。明神館を過ぎてすぐ、猿の群れに遭遇。親ザルの背中にしがみ付く赤ちゃんザルもいて微笑ましい。梓川沿いの黄色く色づいた木々と迫りくる明神岳を写真に収めながら歩く。
 上高地から約2時間半で徳沢園に到着。数年前に改築されたとのことだが、歴史を感じさせる重厚な雰囲気を残しつつも、館内は清潔感に溢れている。宿泊部屋は、個室と相部屋があるが、我々は純粋な登山目的で来ているため相部屋を予約していた。(観光旅行の延長として、徳沢が最終目的地なら、個室に泊まるのも良いでしょう。)相部屋は、他の山小屋と同じように蚕棚式の2段になっているが、畳も新しくシーツまであり清潔である。
 夕食には岩魚の塩焼きやステーキが供され、予想外の豪勢なメニューに一同大満足。風呂にも入り快適な山小屋を堪能した。

10/29(2日目)
 朝食は、山小屋としては遅めの7時。我々は余裕を持ったコース設定のため、慌てない。朝食後、身支度を整え出発。蝶ヶ岳ヒュッテへは、徳沢園のすぐ脇から長塀山を経由するルートと横尾を経由するルートがある。往路は、ウオーミングアップを兼ねて横尾を経由することにした。
 陽が差し込まない日陰の登山道はさすがに冷える。横尾では、思わず自販機にあったホットココアを購入し、体を温める。
 横尾から先は我慢の急登。展望のない樹林の中をゆっくりと着実に高度を稼ぐ。横尾を出て40分で槍見台に到着。ほっと一息だが、ここを過ぎると再び展望のない樹林の中へ。ひたす単調な登りが続く。時折、樹林の間から垣間見える対岸の屏風ノ頭との高さを見比べ、標高が上がっていることだけは確認できる。スローペースを心掛けて歩くも、途中からは各自のペースで進んだ。
 やっとの思いで稜線に出る。大天井から槍までの表銀座、穂高が一望できる。稜線上は風が強い。先に稜線に着いた白根・浅古に遅れること約1時間。八木さんも稜線に到着した。
 急登から解放され、稜線上を歩いて蝶ヶ岳ヒュッテに到着。温かいコーヒーを飲み、しばし休息した後、本日の朝出発し、上高地から登ってくる本隊の到着を待つ。
 本隊と合流すると、人数も増えてパーティーは一気に賑やかになった。蝶ヶ岳の山頂で思い思いに記念撮影をする。富士山、南アルプス、御嶽、乗鞍等々の山々を一望する。

10月30日(3日目)
 5時30分に朝食。天気は曇り。東の空は赤く、富士山のシルエットは美しいのだが、それ以外はどんよりとした曇り空。穂高・槍の姿を眺める程度の視界はあるが、朝焼けに染まる気配はない。それどころか、にわか雨も降り出した。蝶ヶ岳ヒュッテからの下山路は、すぐに樹林帯に入ってしまうので眺望はない。このような天候、ルートでは、早く下山するしかない。準備が整い次第の出発とした。ヒュッテ前で島々へ下る健脚組と別れ、長塀尾根を下る。最初はダラダラとした下りである。時折、雨粒が落ちてくるが、樹林の中でもあり、雨具は付けずに歩く。徳沢に近づくにつれ、傾斜も急になり、疲れから足元が危なくなってくる。登り同様、下りもこれだけの急坂だと体力差が出てしまう。
 やっとのことで徳沢園に到着。ここまで来れば、後は平坦な道である。体力と気力の回復のため、たっぷりと休憩をとる。
 昨夜の天気予報では日中は曇りで夜から雨であったが、降り出しが早まったのか、山間だけなのか、結構な降りとなった。雨具を着け、上高地へ向かう。初日に見た梓川対岸の紅葉の木々も霧がかかった今日の方が、雰囲気が良い。
 徳沢から先は順調に歩き無事に上高地に到着。河童橋付近は今日も観光客で大混雑。雨は降り、穂高も見えないのに。山行の締めにおいしい昼食を食べようとしたものの、初日同様の混雑である。バスの時間もあるので、のんびりと待つこともできない。売店で口に入るものを買い、ベンチに腰掛け、何となく腹の中に食べ物を入れた感じ。上高地に下山した後はなんだか慌ただしい感じになってしまったが、当初の目的である槍・穂高の景色を堪能した山行になりました。  (浅古記)



【蝶ヶ岳、徳本峠から島々宿下山コース】

山域山名:北アルプス・蝶ヶ岳、大滝山、徳本峠(長野県)
期  日:2011年10月29日(土)〜30日(日)
参 加 者:CL宮田 SL木村 駒崎、新井浩(計4名)

行動記録:

10/29 江南(4:00)=沢渡駐車場(7:45)→上高地BT(8:25)→明神→徳沢(10:10)→
 長塀山2565m(14:40)→蝶ヶ岳2677m(15:50)→蝶ヶ岳ヒュッテ(16:00)

 どうも、週末になると天気が悪くなるパターンが続いている。土曜日は夕方までしっかり天気がもってくれたが、日曜日は生憎の雨模様のなか、蝶ヶ岳から徳沢峠経由で島々宿へのロングトレイルを歩いて来ました。

<天候:快晴>
 3連休の大混雑が嘘のような閑散とした沢渡市営駐車場からタクシーで上高地へ入る。今シーズン3度目になるが、河童橋から眺める穂高は、何度見てもこの景色はあきない。今日、上高地から入山するのは、軽石パーティ3名と宮田パーティ4名の合わせて7名。

 ひんやりとした河童橋を出発。徳沢までは歩き慣れた林道を歩く。土曜日だというのに、登山者もほとんどいない。10月下旬の北アルプスはすでにオフシーズンなのだろう。

 徳沢園の緑地で、前穂高東壁を見上げて大休止。前夜に氷壁の宿に泊まった浅古パーティは、もう尾根のどのへんにいるのだろう。長塀尾根は大きなシラビソの樹林帯の急登だが、気温が適度なので汗をほとんどかくことはない。メンバーひとりの調子が上がらないので、休みを多く入れながらのんびりと登る。

 森林限界に出るとすごい大展望だ。蝶ヶ岳に登るのは、この景色があるからである。梓川の谷を挟んで、ちょうど見上げるような角度から眺める槍穂高連峰は最高だ。山頂直下で、横尾経由から登って散策をしていた浅古パーティ4名と合流。記念写真を撮りながらしばし談笑する。午後4時前に蝶ヶ岳ヒュッテに入る。


 熊トレパーティは11名で予約を入れていたので、小屋1階のひと区画全部をもらえて、スペースは十分だ。荷を下ろして、ストーブあるフロアに移動して宴会タイムへ。これだけ人数が揃うと宴会も大賑わいである。日の入りに近い4時45分過ぎに小屋の外に出る。今日は夕方まで快晴でだったので、きれいな夕焼けは見れなかったが、明神岳裏に沈む夕陽を見ることができた。


 5時30分から夕食。北アルプスにしてはちょっと質素過ぎない?という感もしなくない食事であった。今日の宿泊者は全部で25名くらい。登山道でも人に会わない訳だ。
飲み足りない面々は8時過半頃までフロアに集う。寝る前に見た、小屋の窓から見える安曇野の夜景はとても見事だった。



10/30 蝶ヶ岳ヒュッテ(6:20)→蝶ヶ岳(6:30)→大滝山南峰2615m(7:55)→
大滝槍見台(9:45)→徳本峠小屋2135m(11:20/12:10)→岩魚留小屋(13:35/13:50)→
二俣(15:30)→島々宿林道ゲート(16:50)=沢渡駐車場(17:30)
<天候:雨、時々止む>

 朝食は5時30分。外に出てみると安曇野はよく見えるのに、小雨が降っていた。でも東の地平線の雲間から太陽の光がさし、不気味な赤い朝陽を見る。水蒸気をたっぷり含んだ大気を通ってきた斜光の仕業だろう。

 小屋を出る時はちょっと雨粒が大きかったので、仕方なく雨具を着て出発。長塀尾根を下る浅古パーティと分かれて、昨日と同じ7名は大滝山に向かう。すぐに雨は気にならない程度の小雨となった。大滝山北峰手前の高展望ポイントで雨具を脱いで休憩。蝶ヶ岳を手前にした槍穂高も素晴らしい。おそらく紅葉の尾根を配した時期がベストだろう。また是非、来よう。今日は、東側の浅間山や南・中央アルプスの奥に見える富士山もひと際大きく感じる。

 大滝山北峰を過ぎた窪地にある大滝小屋は、扉も全部冬囲いしていた。三角点のある南峰で富士山を見てからは、徳本峠まで樹林帯の長い長い道のり。でも、槍見台までは無駄のないトラバースも多く、体力消耗も少ない。夏は暑くて参るだろうが、晩秋の時期は北八もそうだったがこんな樹林帯歩きも楽しい。

 槍見台に着く頃には雨も本降りになった。登ってはいけなかった?やぐらに登ったら、槍は雨雲で見えなかったが、穂高は意外とよく見えた。雨も降り出し、他メンバーは雨具上下姿だったが、自分は上着を羽織った傘スタイルで歩く。風のない樹林帯はこれが快適なのである。

 アップダウンに嫌になった頃に徳本峠へ到着。小屋は北側の食堂と宿泊棟を去年に立て替えて、新しい木の匂いプンプンしてずいぶんと明るく様変わりしていた。立て替える最後の2008年9月に泊まったのだが、あの風情はやっぱりいいな。外は雨なので小屋に入る。コーヒーを注文して、暖かい食堂で昼食を食べる。今朝、NHKで徳本峠を紹介する小さな旅をやったのだが、取材班は9月に1週間ほど滞在したとのこと。再放送を見なくては。昨日の宿泊者は20名ほどで、蝶ヶ岳ヒュッテと同じだった。ちなみに今年の営業は今日の宿泊までとのこと。放送終わって、早速問い合わせがあったらしい。

 山を歩きながら高橋仁さんと、なぜ徳本峠(とくごうとうげ)と読むのか話題になったので、峠について調べてみた。徳本峠HPによると、その名前の由来は多くの説があるらしい。峠を越えた上高地の一角に徳吾の小屋があったことから、ここへ至る峠という説。徳本上人がこの峠を越え峠路の開発にあたったという説。徳川将軍吉宗の付き医者に徳本(とくもと)という人がいた。吉宗が病気になったとき、彼がこの峠へきて薬草を集め、それを将軍に献じたことから「徳本」の字が当てられたという話など。徳本峠の文字が正式に地図に記載されたのは大正になってからのようで、それまでは島々において峠はひとつしかなかったため単に峠と記されていたらしい。それ以前において「とくごう」とは徳郷のことであり、現在の明神館のあたりに徳郷の小屋が何軒かあったとのこと。

 ちなみに、「日本アルプス」の名を広めた近代登山の父、W・ウェストンは、明治26年(1893年)の夏に島々谷のガイド・嘉門次を引き連れ、徳本峠を越えて穂高に登った。ウェストンはそのときの様子を「日本アルプスの登山と探検」で『徳本峠に向かう険しいつづら折りの登りは、如何な終わりそうにない。午後はひどい暑さで、左右に迫る笹藪には、そよとの葉ずれの音も起こらなかった。峠の峰に着くと木陰に身を投げ出して、奮闘の末にかちえた快いヒルネ(昼寝)(シェスタ)の夢をむさぼった』と記している。ウエストンはのべ11回も徳本峠を往復したらしい。

 また、梓川沿いに上高地へ道路が開通したのは1933年(昭和8年)で、バス路線が開通するとそれまでの登山道が廃れることが少なくないが、島々谷の道は、梓川沿いの道路開通後も廃れることはなかった。それは、峠を愛する人々による支援と、深田久弥が『峠に立った時、不意にまなかいに現れる穂高の気高い岩峰群は、日本の山岳景観の最高のものとされていた。その不意打ちにおどろかない人はいなかった』と書き記しているその景観にあると。確かに島々宿から登ると、峠からの明神岳と穂高岳は素晴らしい。そして、徳本峠越えという響きに何ともいえない魅力を感じてしまう。

 さぁ、上高地に向かう軽石パーティと分かれて、我々4名はいにしえの道を辿って島々宿を目指そう。雨は相変わらず降っている。2008年も1日じゅう強い雨のなか、島々宿から登ったが、どうも徳本峠越えは雨につき合わされてしまう。ジグザクの道を下って、島々南沢に出る。今年夏の台風15号だろうか、土石流の倒木や土砂が沢を埋め尽くし、何本も橋を流していた。昨今の豪雨のたびに、いにしえの古道の雰囲気が失われていくのは寂しい。

 昔は営業小屋だった岩魚留小屋も今は朽ち果てそうな感じである。雨を避けるように、縁側でのんびり休む。目の前の橋を渡って、鮮やかさはないが紅葉を楽しみながら、ふたたび荒れ気味の谷沿いの道を下る。途中で猿の群れに合いながら二俣へ。あとは長い林道を6キロほど下るのみだ。ゲートまでタクシーを呼ぼうとしたが携帯がつながらず、結局、島々宿までわずか500mほどの最終ゲートでやっとつながった。ゲート到着は午後4時50分。日没まであとわずかだった。

 タクシーは、アルピコの波田営業所から呼んだので、ほんの10分ほどで来てくれた、沢渡までは6100円なり。上高地からが4000円なので、峠から島々宿まで島ちょっと余計に歩くのも悪くない。沢渡駐車場には車は数台しか残っていなかった。

 静かな山を歩くのは、やっぱり天気が安定する晩秋がいい。でも、早く寒気が来ないのかなと、やきもきする時期でもある。              (宮田記)



【蝶ヶ岳、徳本峠から上高地下山コース】


参加者: CL軽石、SL高橋、森村

行動記録
10/29(土) 熊谷市役所(3:45)=湯ノ丸SA合流(5:10)=松本IC=沢渡P(7:40)=タクシー=
上高地(8:30)→明神(9:15)→徳沢園(10:25)→長塀山(14:35)→蝶ヶ岳(15:45)
→蝶ヶ岳ヒュッテ(16:00) (泊) 

10/30(日) 蝶ヶ岳ヒュッテ(6:25)→大滝山(7:50)→徳本峠(11:30)→明神(13:05)→上高地(14:50)

10/29(土)晴れ 

 宮田チームと行動を共にする。紅葉は時期としては遅く葉は皆落ちていた。タクシーの運転手によると、今年は暖冬の関係で綺麗に色づく前に散ってしまったとのこと。

 上高地から朝のすがすがしい空気を吸いながら平坦な道を結構速いペースで徳沢に向かう。徳沢で一休み、集合写真を撮ったり、思い思いに各自栄養補給。いよいよ本番、急坂を登り始める。登山道は樹林帯で景色はあまり良くない。黙々と登山道を登ること4時間やっと長塀山に着いた。長塀山から1時間ほどで蝶ヶ岳山頂に着く。8年ほど前に山を始めた当初蝶ヶ岳に登ったが、大変疲れた記憶がある。今回も高低差は1000メートル程度なのになぜだろう。(トレーニング不足?)

 山小屋では、浅古チームとも合流、登頂祝いに皆で一杯、楽しかった。


10/30(日)曇りのち雨

 山小屋を出た当初は曇りで穂高連峰が一望でき写真も撮れ大変感動したが、9時頃から雨が降りだし景色が見れなくなってきた。やむなく黙々と徳本峠に向かう。多少の高低はあったが下りが中心であったのでコースタイムより早めに徳本小屋に着く。宮田チームが先着しており共に昼食・コーヒーを堪能する。ここで別れて、我々軽石チームは明神に向かう。上高地13:50着と予定より早めに下山。

 タクシーで沢渡に行き、冷えた体を温泉に浸かって極楽気分で帰路に着いた。
(森村記)