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絶好の快晴と大眺望~秋の穂高岳~


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山域山名:北アルプス・北穂高岳、奥穂高岳、前穂高岳(長野県松本市、岐阜県高山市)
期日:2014年9月20日(土)~22日(月) ※テント泊
参加者:2人(L金子、井上)

行程 ※―交通機関、…山中の徒歩
【19日】〈金子〉新宿駅西口バスターミナル22:30―〈高速バス〉―
【20日】 晴れ
〈金子〉-上高地5:30 →合流
〈井上〉長野市の自宅-〈車〉-沢渡・足湯公園駐車場5:10-〈乗合タクシー〉-上高地5:30 →合流…荷物デポなど…上高地6:15(スタート/8℃)…明神7:10~7:25…徳沢8:15~8:35…横尾9:20~(昼食)~9:55…本谷橋10:50~11:05(14℃)…2100m付近12:00~12:15…涸沢・幕営地12:45(泊) 
◆夕食 麻婆茄子丼、インスタント豚汁、りんご
                           ※行動時間6時間半
【21日】 快晴
◆朝食 即席ラーメン(餅入り)
起床5:20(4℃)~モルゲンロート~涸沢7:50(スタート)…北穂高岳南陵・鎖場の手前/2700m付近8:45~9:05…2970m付近9:55~10:05…北穂高岳山頂/北穂高小屋(3106m)10:35~(昼食)~11:40…涸沢岳稜線…最低コル12:35~12:50…涸沢槍13:20…涸沢岳(3110m)13:50~14:10…穂高岳山荘14:45(幕営泊)
/金子のみ山荘15:05…奥穂高岳山頂(3190m)15:35…16:15
◆夕食 トマトパスタ、スープ、梨
    ※行動時間6時間55分(奥穂高ピストンを除く)
【22日】 快晴
◆朝食 エビとたまごの雑炊(餅入り)
起床4:00(-5℃)~穂高岳山荘6:50(スタート)…奥穂高岳山頂7:30~8:00…吊尾根…3000m付近8:40~8:55…紀美子平9:25~9:35…前穂高岳山頂(3090m)9:55~10:15…紀美子平10:50~11:10…重太郎新道…カモシカの立場12:10~12:15…岳沢ヒュッテ13:00~13:30…風穴14:15~14:30…上高地・河童橋15:10(ゴール)…バス16:15-沢渡駐車場16:50―〈井上車〉-安曇野・ファインビュー室山(入浴)…松本19:10(解散) 
〈金子〉松本20:00-〈中央線・特急〉-新宿23:00
〈井上〉-長野市の自宅21:15
 ※行動時間8時間20分/3日間計21時間45分

 見えない山を探す方が難しい。どのピークに立ったときも快晴で、青すぎる秋空の下、岩の塊が悠然と座っていた。前週末は天候不順の夏の反動から、「槍の穂先の往復に6時間」「奥穂高で写真撮影待ち30分」と聞いた。そうした異常な混雑もなく、筆者にとっては山を始めて19年で初めて穂高の頂を踏むことができた。山の神は最高の3日間を用意してくれた。
 新宿を「さわやか信州号」のバス計6台が出発した。バスが上高地に着くころ、車を沢渡に置いた井上氏が乗合タクシーでちょうど到着した。下山後の荷物を預けて出発。梓川沿いに歩みを進めた。井上氏は高校時代の山岳部の1年後輩。ただ、一緒に本格的に登るには十数年ぶりだ。また、最近は互いに職場関係者との登山が主流になっており、無積雪期を3日間を歩く日程は2人とも数年以上のブランクがあった。なお、井上氏は穂高の経験があるので、実質的には彼が先導役だった。
 横尾では、昼食のつもりで中休止。先週から槍・穂高山域は遭難が相次いでおり、安全登山をさかんに呼びかけている。横尾谷に入ると、日差しに暑さを感じた。だんだんと穂高の稜線が近づいてくる。紅葉の見頃は翌週以降だろう。山肌にほんの少し、黄色が見えるくらいだ。トリカブトなどの高山植物もまだちらほらと咲いていた。
 涸沢のキャンプ地は大混雑を予想したが、、13時の受け付け開始の時点では余裕はあり、夕方になっても空きはあった。盛況だったのはレンタルにテントにシュラフ、銀マット。事前の情報で、レンタル予約に人気があることは知っていたが、涸沢定着で登る人たちには、小屋泊まりより安価で、手軽という判断だろう。また、テントの下に敷く大きなコンパネもレンタルしており、こちらも飛ぶようになくなっていた。

 翌朝、上空は雲一つない。東の空が明るくなると、稜線が赤みを帯びていく。モルゲンロートだ。2人とも夢中になってカメラのシャッターを切った。
 昨日が夜行明けだったこともあり、朝焼けを堪能してから朝食にした。ここからはヘルメットを装着する。翌日の岳沢までヘルメット行動となる。涸沢などの岩稜では、滑落時や落石時の致命傷を防ぐため、ヘルメットが励行されている。出会った印象では、ツアー登山などは100%かぶっていた。涸沢岳の稜線で出会った人たちはほとんど全員だったが、危険地帯を全体で考えると、装着率は半々程度か。個人的な感覚としては、「ここはヘルメットの必要な場所」という意識が働くことも、リスクの把握と管理につながり、安全登山へのポイントであると思う。
南陵コースは鎖場の渋滞もなく、順調に北穂高岳に着いた。以外に広い山頂では、大キレットから槍ケ岳への絶景が眼下に広がった。小屋のテラスで昼食をとっていると、大キレットを越えてきたパーティーが次々とやってくる。誰もが達成感と喜びに満ちていて、踏破祝いなのか「おはぎ」の売れ行きが好調だった。
ここからは我々も核心部に入るので、気合を入れ直す。滝谷ドームを過ぎるころから、道は飛驒側に切れ落ちている。前週、別の山でザックを岩にひっかけて滑落死したニュースを耳にしており、ザックの幅にも注意を払う。涸沢のコルまでの下りでは、後ろ向きになる場面が多い。鎖場はできるだけ鎖に頼らず、手が強固なホールドをつかんでいることを確認してから、足場を探した。昼近くになって、ガスが巻いてきたこともあり、高度による恐怖はあまり感じなかった。涸沢岳への登りがハードな印象を受け、逆方向の下りでは使いたくないと思った。
穂高岳山荘の幕営地は、到着が遅かったこともあって、すでに満杯。小屋に頼んで、ヘリポートの端に張ることになった。結局、10張以上がヘリポートにテントを並べた。日の入りまでの時間があったこと、翌朝の天気が万が一悪くなることも考え、散歩がてら1人で奥穂高の山頂をピストンした。空身で岩場を越えることができて快適だった。

早朝、目覚めると満天の星空が広がっていた。氷点下5℃。コルなので風が吹き抜け、テントの外は寒い。ただ、高校時代から使うシュラフでも、睡眠に支障はなかった。この日は吊尾根と重太郎新道という難所2つを越える。引き続き緊張感のある一日だ
前日よりも雲の少ない快晴だ。奥穂高の頂からは、白馬に立山、南アルプスに中央アルプスと山座同定が追いつかない。遠くには御嶽山も見えた。1週間後に大噴火があろうとはまったく想像しなかった。
吊尾根に入ると、長い鎖のかかる下りに2人とも涸沢岳の稜線以上の恐怖を感じた。後ろ向きで確実なフットホールドを慎重に探した。吊尾根では、じっさいに前週に死亡事故が起きたばかりだ。今年は事故が多いという。それでも、人気コースとあってか、ヘルメットをかぶらず、手足の動きに不安のある人たちもちらほら見かけた。
紀美子平からは、よじのぼるように前穂高の山頂に向かった。山頂にいる人たちは、全員が大眺望に興奮している。名残惜しいが、最後の関所である重太郎新道を下ることにした。
重太郎新道は岳沢まで標高差900mを一気に下りる。眼下に屋根が見えるので、早く着きそうだが、そうはいかない精神的な辛さも味わう。特にこの下りでは事故が多いという。吊尾根ほどの難易度は感じなかったが、逆に登りで使うには、岳沢から一気に穂高岳山荘まで行かなければいけないことから、ハードなコースと言える。
 岳沢では、1日半ぶりにヘルメットを脱いだ開放感に浸った。上高地にたどり着くと、仰ぎ見て「よくぞ歩いた」、とわがことながら感心してしまった。河童橋近くのベンチに腰を下ろし、予備食のラーメンで一息ついて、バスへ。安曇野市にある公共施設「ファインビュー室山」に立ち寄って温泉に入り、松本駅で解散した。
 すべて無事、と言いたいところだったが、細かなトラブルはあった。筆者は山の数日前からアレルギー性鼻炎(春には花粉症と呼ぶ)がなぜかひどくなり、行動中ずっと鼻をかみつづけるはめになった。また、涸沢での炊事中、右指をナイフで切った。絆創膏とテーピングで対処できる程度だったが、不注意が原因だった。手に加え、足の裏は両方とも2日目の後半から拇指球付近にまめをつくった。同じ大きさだったので、左右の荷重バランスは良かったのだろうが、原因は靴の柔らかさとテント泊の重さだったと思う。靴は1泊程度までを想定したキャラバンのトレッキングシューズ。岩場の連続、しかも荷物が増えた山には不向きだった。テーピングで処置はしたが、歩き終えると3センチ大の水ぶくれがつぶれていた。

《井上氏の感想》久しぶりの穂高で、充実したテント泊でした。3日間とも快晴で、信じられないぐらい恵まれていました。北穂高から涸沢岳へのコースはやはり上級者向けです。技術、体力ともに必要ですし、同行者のレベルも考えないといけません。なお、2度目だった重太郎新道はもう次は行きたくないな、という疲労感です。来年以降、大キレットを目指したいと思います。なお、今回、モンベルのシュラフを新たに買って臨んだのですが、軽量化にはなるものの、細身につくられており、寝るときに窮屈さを感じました。
(記・金子)