トレッキング記録    熊谷トレッキング同人

2004年 B隊
チャンドラタール・南インド 行動記録

安全・快適にインドを旅をすることができるのは・・・  福田 和宏

インド交通事情  青木 理

ヒマヤラ再び  井上 貴裕


<第1日 8/5(木)>
 記録:滝沢
 天気:晴れ
 行程:成田→デリー  サンジャイ氏方宿泊

6:00 篭原始発の電車に乗った。青木さんは5:20の篭原発のリムジンバスで成田に向かった。
7:20 京成上野駅に着いたら、駅の外で福田、井上両君がたばこを吸っていた。そこへ豊島さんも合流。7:43発の急行成田行きに乗った。
9:00 空港到着、青木さんと合流。これで全員が集合した。豊島さんが大荷物を引き取ったり、両替をしたり。両替は1ドル=113.66円
10:30 チャックイン。土産物のたばこ、酒などを購入。搭乗ゲートはE70A、電車に乗らずに階下から。
11:30 搭乗開始。客は7割の入りで、かなり空いている。
12:20 離陸。
飛行機は成田空港より海に出て、北に一回りして西行。富士山上空から京都の北、瀬戸内海を飛んで、北九州、東シナ海へ出る。台風11号が昨日和歌山県を通過したが、フライトにはほとんど影響ない。瀬戸内海では瀬戸大橋がよく見えた。途中、ドリンクと昼食。インドビールを特に注文して3−4本を飲みほした。

19:20 デリー到着まもなくとの放送が入った。
19:50 デリー空港着陸。7時間30分のフライトだった。かなり早かった。
ここで<日本時間20:00→インド時間16:30>に転換。

   荷物が出てくる間に両替。それぞれ100ドルをインドルピーに換えた。
17:00 迎えのダンシン氏と合流。手配の車2台でサンジャイ氏宅へ向かう。彼の家はグリーンパーク通りで、デリー中心街の南東方向。
18:00 サンジャイ氏宅に到着。「グリーンパーク」街の表通りから2本入った、閑静な住宅街。通りに面した棟続きの三階建て。2階がリビング、食堂になっている。挨拶をした後サンジャイ、アルワリア、奥様と、冷たい飲み物をいただいた。この時サンジャイ氏が日本の自宅に電話をかけてくれた。自宅ではみんな元気のようだ。
    テーブルに移って、チャイ、サモサ、お菓子をいただく。ここにボビーさんが合流。大いに歓談した。
19:00 3階の宿泊部屋に移動。エアコンで涼しくなった部屋が2つ。ちょっと休んで、サンジャイ氏に支払いをするために会計準備。
19:30 3階の空き部屋にビール・つまみの料理を広げて歓談。
20:45 車でレストランへ移動。我々5人とサンジャイ氏、奥様、お子さん2人、ボビーさん。レストランは家の近くだが、なかなか感じがいい。ここで、シャンパン、スープはコリアンダーとジンジャー味、ホウレン草入りで、美味しかった。カリーにチャイ。たらふく食べた。
23:30 サンジャイ氏宅へ帰り。
24:00 部屋に引き取って、すぐに寝てしまった。日本時間では3時半になる。本日は23時間行動をしてしまった。

<第2日 8/6(金)> 
 記録:豊島
 天気:曇り
 行程:サンジャイ氏宅→デリー→マナリ

5:00 青木君のいれたお茶。シャワーを順に使う。
6:15 朝食。サンジャイ氏宅に1995年に招待された時のビデをを見せていただいた。サンジャイ氏とともに朝食をいただく。チャイがとても美味しかった。
7:00 空港に向けて出発。タクシー2台で、ダンシン氏が同行した。
7:45 チェックイン。荷物の重量でもめた。手荷物のサブザックまでハカリに乗せたが、彼らの上司の判断でそれはなし。結局30kgオーバーで、60ドル支払い。
8:45発が遅れているので、セキュリティー・チェックは9:50からとのこと。

9:30 コーヒーのサーヴィス。クルのブンタール空港は雨とのこと。
9:45 セキュリティー・チェック。人が多くてイスに座れず、立ったまま待たされる。
12:00 ついにフライトキャンセル。60ドルを返してもらい、キャンセルの手続き、大荷物を受け取り、外へ。福田君の言葉通り、ダンシン氏は待っていてくれた。サンジャイ氏に連絡すると、ビッグ カーを用意してくれたとのこと。なかなか現れない車を本を読みながらのんびり待つ。
14:00 やっと車が到着。TOYOTAのクオリス。何とか荷物を積み込んで、出発。ドライバーはビジェントさん、29歳。少し雨が落ちてきた。
14:45 昼食。新メトロ駅の近くの「PIZZA HUT」。チキンとマトンのピザ、まあまあの味。
15:30 出発。
17:10 ミネラルウォーター買った。6本、72ルピー。
17:45 「ナショナル ハイウェー」と書いた料金所、50Rs。
18:30 給油で休憩。
18:45 チャンディガールの分岐点。メインロードの両側に水害の影響か、畑地や道が削られたあと。
19:10 日没。大増水がひいたばかりの川を渡る。ヤムナー川か。
19:45 チャンディガールの中心部。雨が……。
21:27 ワイパーが故障。休憩…直らない。
21:50 またまた料金所、50Rs。
22:25 ワイパーを修理、ヘッドライトが点かない…。ガソリンスタンドで休憩。
0:45 チャイ休憩。雨は本格化した。

○久々に夜っぴいての車の旅。日本を出てからメリハリのある睡眠をとった気がしない。車中寝てばかりの旅だった。ちょっと残念。
○今年デリーで目に付くのは、ヘルメット売りの露天。
○空港ビルの外壁にある水場付近で車を待っていた。公園の水飲み用の水道と同じ。しかし非常に冷たい水が出るようで入れ替わり立ち替わり色々な人が利用する。みな気持ちよさそうだ。
○1995年サンジャイ氏宅でのパーティーの様子を収録したビデオをCDに焼き直し見せていただいた。5分ほどの映像だが、柿沼先生や村越先生の姿がある。予想外の大歓迎に少々緊張気味の皆の姿が懐かしい。村越先生の声もちゃんと入っている。
 サンジャイさんに感謝します。

<第3日 8/7(土)>
 記録:福田  
 天気:曇り一時晴れ   
 行程:マナリへ移動、マナリの休日

6:00 クル通過。TOYOTA QUALIS、ドライバーは、サンジャイ氏が急きょ手配してくれた車のビジェンド氏。
7:30 アシュラム到着。17時間弱のドライブでようやく着いた。
8:30 アシュラムの食堂での朝食。ビール6本、パンケーキ(料理番ギャルテンの心づくしの料理)、オムレツ、日本酒とウィスキー。
9:30 3Fテラスにて、再び歓談。その後、荷物整理、洗濯、昼寝など思いおもいに過ごす。
14:00 アシュラムの食堂で昼食。その後は、記録整理、ハガキ書き、昼寝など。
19:00 テラスでビール。
20:00 夕食。チキンカリー、サグテーズカリー、スパゲッティー、みそ汁、ライス、チャイなど。大量のbeer。
21:00 ミーティング。就寝。

○大雨による道路の決壊を苦慮していたが、メインの国道を最も短距離で通ることが出来て、ホッとした。途中大雨による被害の痕もあったが、復旧は思いの外早かったようだ。
 マナリの町に入る直前に車はストップ。TOYOTA QUARIS クラスの車は、1台300ルピーのTAXをとることになったらしい。24時間出入りの車をチェックしているのだろうか。
○マナリへの移動について
 いつも思うことだが、JAGSON航空は、飛べば快適なのだが、難が大きい。(値段が往復372USドルで、暴利をむさぼっている。)
 私たちの大きな荷物は、10kg Free に耐えられない。今回は30kg overで、1kg2ドルの計算で、60ドルを荷物代として支払うことになっていた。併せて手荷物の認識が30kgザックはどうもチェック イン バゲッジと見なされるようだ。豊島さんの顔なじみのボールペン男が、JAGSONの親分に掛け合い。結局は手荷物用ザックは計上されずに、難なきを得たが、今後毎回のこととなると、手荷物の小型化、軽量化をはからねば、毎回チェックインカウンターでいやな思いをするだろう。(帰りも同様に)
 8:45のフライトが、結局11:00に変更され、更に待って12:00直前にフライトがキャンセルになった。飛ばない可能性が大きすぎ、その後の車手配となると、要検討である。大荷物を含めて5人までならばTOYOTA QUARISで快適に移動できそうだが、6人を越える状況ならばJAGSON利用はしない方がよさそうだ、というのが私見である。最初から車でデリーを6:00に出れば、その日の内にマナリに付くことが確実のように思われる。ただ、車は交通事故の危険がつきまとう。
○アシュラムのことについて
 毎回思うことだが、インドにいながらも我が家に着いた安心感がある。森田先生ご夫妻、サンペル君ご夫妻、ギャルテンさん、みんな元気な笑顔で迎えてくれて、嬉しくてついビールの本数が過ぎてしまった。
 私たちの到着を夜中の3時前後だと見込み、明かりを付けて待っていてくれたご様子。ご配慮に感謝、感激です。村越先生も、今年はチームとしてアシュラムを訪れたことを喜んでくれていることでしょう。夕方になってからの雨は、うれし涙かな。

<第4日 8/8(日)> トレッキング1日目
 記録:青木
 天気:マナリは雨のち曇り ダダルプーは晴れ 
 行程:マナリ→ダダルプー ダダルプー宿泊

6:00 起床。
6:30 2Fのテラスでお茶と梅干し
7:00 ギャルテンがモーニング ミルク コーヒーをいれてくれる。
7:30 朝食。グリーンピース入りおかゆ、みそ汁、サラダ(トマト、キュウリ、緑の葉)、チャパティ、卵焼き。
8:00 ガイドのネギさんらスタッフが来る。
8:30 出発
9:30 Gulaba、道路の決壊ポイント。
10:00 サブザックを担いで歩きはじめる。…足場は雨でぬかるみ、靴は泥だらけ。
10:52 交通止めの上に到着。マリまで8kmポイント。車1台に乗車。
11:15 マリまで7km、もう1台の車と合流。
11:30 マリ到着。チャイを飲む。道路の開通を待つトラックが行列をつくっている。雨が降り始めた。
12:10 マリを出発。
12:30 エイトモール、ブルーポピーを2株見ることが出来た。ブルーポピーは牛が食べてしまうそうだ。
11:05 ロータンパス、茶屋がなくなってなんとなくさみしい。
14:30 チャトルに着き、昼食。ダル・ジャガイモ カリー。天気は晴れ。
15:10 チャトルを出発。
15:30 ダダルプー、テン場に到着。てんでに休憩。
17:00 ティ タイム。
17:30 ウイスキー、茶を飲みながら、パルスオキシメーターの計測。
20:00 食堂テントで夕食。クリームスープ、パパド、マカロニいため、マッシュポテトとミートソース。サラダ(キュウリ、トマト、大根、人参)、ナス・カリフラワー カリー、シーチキン・オニオンいため。
21:00 星空観察会
22:00 就寝。

 前夜より雨が降り続き、寝ている間にも屋根をたたく雨音が良く聞こえた。朝起きても雨、先行きが不安になる。マリの手前で、土砂崩れのため交通止め区間を30〜60分歩くということなので、雨だとちょっとさみしい。森田先生の話だと、下の川の色が茶色なので、ロータンパスで降っているとのこと。
 スタッフはガイドに登山学校のネギさんがいるので心強い。キッチンボーイのニマ(ネパールより出稼ぎ)、ロマ(チベッタン)は、名前が2文字なので憶えやすい。
 車はTATAの4駆が2台で出発。1時間ほど走ると、Gulabaの土砂崩れ現場に到着。トラックが列をなして止まり、開通を待っている。ポーターがあわただしく走り回り、積み荷のグリーンピース入り麻袋などを上から運んできている。我々もポーターにザックやキッチン用具、食料を運んでもらう。ポーター達は思わぬ仕事が出来て嬉しそうだ。
 ヘヤピンカーブをショートカットするため、道はぬかるみ、滑りやすい。スニーカーしか持ってこなかったことを少し後悔する。幸い雨がやんでいてラッキー。上に着くと交通止めで閉じこめられていた、マルコポーロ インディアの4駆2台に再び乗車。もしこの2台が閉じこめられていなかったら、この先どうなっていただろうか。
 マリの茶屋まで道の片側にずらっとトラックが並ぶ。道が開くまで待つのだろうから、運ちゃんは大変だよね。道端には仮設売店が設けられ、インド人の商魂のたくましさを感じる。マリの茶屋でチャイを飲んでいると、再び雨が降り出し肌寒い。各自カッパや防寒着を着る。エイトモールは雨の中。ブルーポピーがかろうじて2株咲いていたが、牛が食べてしまうため数が減っているらしい。実際咲いていた場所も、牛の口の届かなそうな場所だった。ロータンパスにあった茶屋群は姿を消して、標識の文字も消え、教典を印刷した布が強風にあおられているだけで、なんだかさみしい場所になっていた。ガスが出ていたので景色も良くない。
 ロータンを越えてもしばらくは雨が続く。しかしチャトルに着く頃にはあがり、青空が顔をのぞかせていた。チャトルの茶屋の前では子どもたちが走り回り、青年達がクリケットを夢中になってやっていた。ダダルプーのテン場には、先客の馬が草をはんでいる。テントは5張り(キッチン1,食堂1,我々3)で、トイレ用テントも立ててくれた。しかし風が吹いているので、肌寒く、マットを広げてひなたぼっことはいかなかった。井上は1人で高度順化を兼ねて、上の滝まで行って来たようだ。他の4人はテントでごろりん。夕方から福田先輩テントでウイスキーをいただく。
 夕食は品数豊富でどれもとても旨かった。パパドが出たのにビールで流し込めないのが残念。代わりにスープでいただく。トレッキング中の食事としては、今までで1番旨かった。ニマとペマに感謝。うますぎてちょっと食べ過ぎた。食堂テントを出ると一面の星空、やはりヒマラヤの中では星の数が違う。

<第5日 8/9(月)> トレッキング2日目
 記録:井上
 天気:晴れ    
 行程:ダダルプー→チャンドラタール往復 ダダルプー宿泊

6:00 モーニングティ
6:30 パルスで測定。滝沢さんは調子が悪く、計り直し。
7:00 朝食。スープ、卵焼き、パンケーキ。
8:00 ダダルプーを出発。
8:35 チョトダラ通過。
9:35 バタル着。いつものおばさんに会う。ミントティがおいしい。
10:00 バタル発。
10:35 村越先生の遺影を撮った場所に到着。一人一人、スタッフと同じ場所で写真撮影。10:50 出発。
11:20 チャンドラタール到着。風雪に耐えて、2年前と変わらずエメラルドグリーンの湖面。
11:30 第1ケルン。
12:00 第2ケルン。
12:15 第1ケルン側で昼食。先生のケルンにお酒をさしあげる。
13:30 井上・青木は、第1ケルンからチャンドラタール一周コースへ。他の3人は湖畔の茶屋へ行き休憩。
14:20 茶屋へ全員集合。
14:40 チャンドラタール出発。帰還。
15:50 バタル到着。
16:15 バタル発。
17:00 パンク修理のため、少し停車。
17:50 ダダルプーのテン場着。
19:30 ディナー。フルーツ、なすの唐揚げ、ポップコーン、フライドポテト、イタリアンパスタ、インゲンの和え物。
22:00 Good night。

 朝起きたら快調だったので、高山病の心配はないと思ったが、やはりなってしまった。今度は頭に来てしまった。
 10年前先生が立って写真を撮ったあの場所で、一人一人写真を撮った。同じ場所で撮れたことが嬉しかった。
 村越ケルンは風雪に耐えていた。前回は気づかなかったが第1ケルンはチャンドラタール、ムルキラを眺められるいい場所に立っていた。

 夜中に雨が降った。周りに見える山々の頂が白くなっていた。どうやらここより高いところでは雪になったようだ。
 モーニングチャイと朝食の間にパルスで測定。すぐに80以上の値を出す人や、全く出ない人がいた。測定時に最高記録を出すことが目的のようになってきた。滝沢先生以外はそれなりの記録を出したので、その値を公式の値にする。滝沢先生も7:25に再測定をした。
 8:00にダダルプーを出発。ヒンディ語の他にサンスクリット語が目立つようになってきた。ここはもうチベット圏であると再認識させられた。バタルではいつものおばちゃんを見ることが出来て懐かしい気持ちになる。息子さんはどうなったのだろうか?
 ネギさんの力をお借りし、村越先生の遺影の地を見つけた。10年前に同じ場所に先生が立っていたと思うと、何千キロも離れた異国の地で、10年前の先生に会えたようで、何とも不思議な気持ちになる。先生の写真を手に一人一人写真を撮った。この写真は一生の宝物になるだろう。
 2年前に壊れていた橋も乗り越え、チャンドラタールに着いた。湖は、2年前と同じエメラルドグリーンだった。この不思議な色はどうやって出てくるのか不思議だ。何時来ても美しい。
 チャンドラタールに着くと自然に足が第1ケルンに向かっていた。なぜかはわからないが、自然に足が速くなる。2年間の風雪に耐え、鳥の侵入にも負けず、形は若干崩れていたものの確かに存在していた。線香を手向け、第2ケルンにも同じように線香を手向けた。 このケルンの丘は西にムルキラ、東にチャンドラタールと絶好なview pointにあった。目の前を通り過ぎる鳥や、羊、人、季節の変わり目、いろんな物を見てきたに違いない。
 先生のケルンを囲んで昼食。上質のパンがおいしい。
 井上・青木の2人でチャンドラタール スタスタ1周コースに行った。北岸で羊飼いと記念撮影。しかしちょっと無理したようで、その後ひどい頭痛に見舞われた。チャンドラタールを発ってからがまさに地獄のようだった。車が揺れるたびに、頭に響く。今回は大丈夫だと思っていたが、それが間違いだった。ここは4200m、なめてかかると痛い思いをする。
 ダダルプーに帰ってからすぐに寝てしまった。皆さん申し訳ありません…。


<第6日 8/10(火)> トレッキング3日目
 記録:滝沢
 天気:晴れ  
 行程:ダダルプー→マナリ  アシュラム宿泊

6:30ごろ目が覚めた。晴れて、日差しがまぶしい。頭痛が少し残っている。昨夜は、頭痛で食欲がなかったため、皆さんより先にシュラフに潜り込んでしまった。
7:00 チャイ。
7:30-8:15 朝食。おかゆ、フライ、スープ、卵焼き、チャイ。
8:30 スタッフはテント片づけ。羊が山から下りてきて、我々は撮影に忙しい。
9:15 撤収準備が終わり、出発。
9:35 チャトルを通過。
10:45 グランプ(分岐点)通過。この付近にはエンドウ豆の畑が増えて青々している。
12:00 ロータンパス通過。ここからは突然のように南からガスが湧き出ていて、視界が悪くなった。
12:30-13:15 マリ、休み。チャイを飲んで、下に残っていたスタッフと合流した。ガスは取れて晴れている。
13:45 道路崩壊の上で、渋滞のためストップ、休み。往く時と同じで、この下に大規模は崩壊がおきていて未だ開通していない。荷物を積んだトラックが道をふさいでいる。車から降りて下をのぞくと、つづら折りの道路が2本、黄色のトラックが長蛇の列を作っている。手持ちぶさたの運ちゃん、荷物運びの人夫で結構賑わっている。
14:30 結局、崩壊部分は歩いて下りることとなって、準備。山で世話になった運ちゃんなどスタッフにもチップを渡してお礼を言う。
14:45-15:00 斜面を歩いて下る。崩壊箇所をのぞき込むと、数人で補修をしていたがらちがあきそうにない。
15:00 下の車に着いて、荷物を積み込んで出発。下の崩壊場所はこの頃一部通過したようだ。今夜には全面開通するだろう。
15:50 バシスト村、アシュラム下に到着。
16:00 アシュラムに到着。森田先生夫妻、ギャルチャンに迎えられた。荷物を部屋に入れたまま、2階のテラスでビールで下山祝いの乾杯。これから延々とビールと酒を飲み続けた。
19:00 サンペル君が来て、また乾杯。
20:00 夕食。
サンペル君が電話でケーキを注文してくれたらしく、じゅん子さんがケーキを届けてくれた。夕食時、急遽福田さんの39歳のバースデーパーティーになった。みんなで写真を撮って、インドで初のケーキを食べた。甘さが控えめでなかなか美味しかった。
 夕食はみそ汁、サラダ、マトンカリー、スパゲッティ、野菜カリー。マトンカリーとスパゲッティが美味しかった。大分飲んだにもかかわらず、よく食べた。
 その後、森田先生と談笑。シャワーはその後で、何と3日の山の後シャワーも浴びずに5時間も飲み続けたのだった。
 シャワーの後は2階広間で、化石を見せてもらいながら、森田先生の話を聞いた。23時就寝。

<第7日 8/11(水)>
 記録:豊島
 天気:晴れ   
 行程:マナリ滞在 アシュラム宿泊

7:50 日本茶、梅干しでお茶。全員元気。
8:00 チャイ。
8:50 朝食。みつ葉のみそ汁、おかゆ、うす焼き卵、サラダ、パンケーキ。
   ☆栗原さんから差し入れの白玉入りのおしるこ・塩昆布を頂いたが、美味しかった。
9:20-12:00 フリー時間。サンペルとじゅん子さんの新居の新築現場を見学。石屋が石を叩いて割っていた。橋本先生他へ、滝沢先生代表でハガキ。
12:00 マナリの町へ出発。

リグジンさんのお宅訪問。4階建ての新居。リンポジェの滞在した仏間を見せて頂いて、奥様、アンドゥ夫人と共に記念写真。
13:10レストランチョップスティックで、今回のガイドのネギさん、95年のガイドのナナックさん、サンペル君、じゅん子さんと我々5人で昼食会。いつものモモ、スプリングロールから始まり、冷えたビールに話も大いに弾む。結局サンペル君にごちそうして頂いた形となった。申し訳ない。
15:00レストランを出たら通りで、今回のコックのペマさんに会った。無事マナリに帰れたようだ。じゅん子さんの案内でショールなど買い物を楽しんだ。
 その後分かれて行動。滝沢・豊島は「CYBER CAFE」(チョップスティックの2階)から、インターネットで同人の掲示板に投稿した。
18:00滝沢・豊島はアシュラムに帰着。今日は一日中雨も降らず、洗濯物がよく乾いた。この後、福田・青木君は17本のビールを町から荷揚げしたそうだ。
20:00ビールを飲んでそのまま夕食。にらスープ、マカロニ、サラダ、しそ天ぷら、カリフラワーとキャベツの煮物(塩味)、鶏肉のこぶ煮。何とおつまみにサラミソーセージ、シャケの薫製・・・。サンペル君と森田先生ご夫妻が加わり、話は尽きない。森田先生の「ヒマラヤくじら節」を聞かせて頂いた。
23:00 各部屋へ。

○朝からよく晴れた。今日はデリーへの飛行機が飛んだだろうか。何はともあれ、洗濯日。山で使ったもの全てを洗う、気持ちいい!
○マナリの「休日」満喫。昼食会では、福田君の一生懸命の会話に、ガイドのお二人も大いに答えてくださる。サンペル君もじゅん子さんも最後まで付き合って下さる。しかも、サンペル君にご馳走になってしまった。心優しいマナリの皆さん、ありがとう。
○とにかくよく飲んだ。「熊谷は友だちだ」と来るたびにサンペル君に言っていただき嬉しい限り。これからもどうぞよろしく。
○明日も晴れますように。

<第8日 8/12(木)>
 記録:福田
 天気:晴れ  
 行程:マナリ→デリーへ

6:00 チャイ・梅干しでお茶。歓談。
7:00 朝食。大根チャーハン、キャベツとにらのみそ汁、うす焼き卵、サラダ、チャパティ。
8:00 みんなで記念撮影した後、アシュラムに別れを告げて出発。森田先生ご夫妻、サンペルご夫妻、ギャルチャンが手を振って送ってくれた。
9:40 ブンタール空港到着。QUALISの運ちゃんに100ルピー。
10:50 のフライトはデリーに出発出来ず。途中の天気がよくないとの説明。12:00に最終決定とのこと。
12:30 JAGSONのオフィスでキャンセルの確認と証明。
13:05 デリーまでの長距離ドライブ開始。9500(6000+3500)ルピーのQUALIS。
15:15-16:00 ドライブインで1回目の休憩と昼食。バターチキンとナン。チップ含めて700ルピー。チャンディガールまで170km。
16:17 デリーまで409km。チャンディガールまで156km。
17:46 チャンディガールまで100km。
18:05-18:14 茶屋で2回目の休憩とチャイ。18ルピー。チャンディガールまで95km。18:30 デリーまで335km。チャンディガールまで81km。
20:30 ドライバーが交代。彼の家によってチャイをいただいた。心付け100ルピー。親戚の青年に替わった。
21:00 税金ゲート、11ルピー。
22:05-22:50 レストランで3回目の休憩。チャイニーズ、フライド ヌードル他、600ルピー。
 午前2:30 サンジャイ氏の家に到着。サンジャイさんやスタッフたちが全員で迎えてくれた。深夜に申し訳ない。運ちゃんに心付け100ルピー。交代でシャワーを浴びて寝込んだ。

○今日は往復ともに天候に恵まれず、フライトはキャンセルになってしまった。結果、車での移動となったわけだが、皆半分は飛ばないと思っていたから、ショックは少なかった。さもありなん、の境地である。車は贅沢していい車を選ぶ方が快適だし、万が一の時でもダメージが少なくて済むかも知れない。安全を買った方が大事なようだ。
○JAGSON航空のことについて
 クルーのエアポートで待たされるのはいつものこと。ただ、デリーからの飛行機が飛んでいない状況では、空港内に職員もろくに居らず、何の説明もない。カウンターにも誰もいない。空港外の事務所へ行くのが、正確な情報をつかむベストの方法のようだ。
 サンペルの友達もいるので、様々な疑問、質問に答えてくれる。空港の外への行き来は、顔なじみになっておくと、セキュリティーもフリーパスで、たばこを吸いに行くことができる。

<第9日 8/13(金)>
 記録:青木
 天気:晴れ  
 行程:デリーの休日

9:40 起床。福田先輩は既に手紙を書いていた。
10:00 お茶。梅干しと共にいただく。
10:25 アルワリア氏来室。
11:10 朝食。リンゴ、洋なし、サンドウィッチ、カリー付きパン、フルーツジュース、チャイ。
11:35 タクシーでショッピングに出発。サンジャイ氏方のスタッフを1人つけてくれた。
11:45-12:30 サウス エクステンション(マーケット)散策
12:50-13:10 サガ デパート。ここは高級品。
13:30 カニシカ ホテル跡を車から見た。懐かしい建物も改装中。
13:40-14:10 コンノートプレスで買い物。
14:25 昼食はアルワリアと待ち合わせて、彼お得意のKATE DE HOTEL。タンドリーチキン、ナン、チキンカリー。繁華街の大衆食堂だが大変美味。
15:40 じゅうたん屋を見る。
16:35 セントラルコテージで買い物。
18:15 サンジャイ氏がトレーニングしているスポーツセンターへ行って、子どもたちとバトミントン、ゴルフ、シューティング。
20:35 サンジャイ氏宅に戻る。
21:10 3回の広間にビールとおつまみを並べて宴会。福田さんの誕生日祝いもやってくれた。
22:45 宴会は終了。片づけてシャワーを浴びる。
23:00 会計会議。サンジャイ氏に対しての支払いについて。
23:30 屋上でサンジャイ氏とお話し会。

○昨夜は思いもよらぬ再度の長距離ドライブのため、起床は遅め。緑茶と梅干しを楽しんでいると、アルワリアがやって来てキャンセルになった航空券を回収した。往きの車代を除いて、1人306ドルの返金となった。朝食はサンジャイ氏の奥様と共にとる。パンにカリーとオニオンを載せたインド式カリーパンは美味。 
 昼前にショッピングに出発。最初に行ったサウス エクステンションは、ちょっと高級だが、普通の商店街といった感じ。特にこれだという目につくものはなし。
 次は、青木の希望で、『地球の歩き方』に乗っていた「サガ デパート」へ。品質の良い家庭用品が買えるということだったが、実際行ってみると、ツアーが必ず立ち寄る、外国人向けのおみやげ屋という感じ。とにかく値段が高い。同行してくれたマヘッシュも、その値段に驚いていたようだ。
 途中カニシカホテル跡を通過。建物はそのままだが内装をすべて替えて、2005年にシャングリラ ホテルに変わるという。たぶんあと2〜3年はかかりそうだ。カニシカからコンノートプレイスまでの道は大渋滞。インドは最近、車の種類も、数も爆発的に増えているようだ。豊島さんは赤いセリカを見つけて喜んでいた。昼食まで時間があったので、コンノートプレイスをぶらついたが、とにかく暑い。気温は熊谷の方が高いこともあるそうだが、湿度が高いことにはまいる。20分程歩いただけなのに、汗びっしょりになってしまう。コンノートプレイスでも地下鉄の工事が行われており、渋滞に拍車をかけている。でも完成が楽しみだ。
 昼食はアルワリア氏と一緒に、おすすめのタンドリーチキン屋へ。大変美味しく骨までしゃぶりつく。食後は、21(31ではない)アイスクリームで、アイスを食べさせられる。味は日本と変わらない。
 久しぶりに行くセントラルコテージは、相変わらずの適正価格と、品揃えで満足。やはりおみやげを買うなら、ここがベストだと思う。
 ショッピングの後は、サンジャイ氏一家と、スポーツセンターで、バトミントン、ゴルフ、シューティングをする。サンジャイ氏の息子シュレイ(15歳)とショーリャ(8歳)は、バトミントンがとても上手。我々も参加させてもらうが、久しぶりの運動で汗だくになる。ゴルフはサンジャイ氏一家もあまり得意ではなさそう。日本人ビジネスマンが結構多い。インドでも接待ゴルフはビジネスの必需品なのだろう。シューティングは、エアガンで的をねらう。みんなあまり経験はないが、それなりに当たる。井上が一番上手い。その他このスポーツセンターでは、テニス、サッカーボール、ホッケー、プール、卓球、スカッシュなど多くのスポーツが楽しめる。まるでインドではないみたいな環境だ。改めてサンジャイ氏の生活水準の高さを思い知らされた。
 帰宅後シャワーを浴び、福田先輩の誕生日祝いを開いてもらう。サンジャイ氏の友人アルワリア、ボビーさんも同席して、にぎやかな飲み会となった。就寝前に、サンジャイ氏と4階の屋上で夕涼み。空は曇りで星は見えないが、夜風が気持ちよかった。
 

<第10日 8/14(土)>
 記録:滝沢
 天気:晴れ、小雨(トリバンドラム)
 行程:青木・井上はデリーでショッピング、夕方デリーより帰国の途。他の3人は、南インドへ。デリー → トリバンドラム、観光。宿泊は同地、プーバー ホテル。

<滝沢・福田・豊島3人の記録>
6:00 起床。各自に荷づくり。朝食。
6:30 福田・豊島・滝沢の3人はサンジャイ宅を出発。
7:30 空港到着、アルワリアと合流。彼は奥さんの車に送ってもらっていた。今回は彼が同行してくれることになった。
9:15 フライト「IC167」便、離陸。
10:15-12:00 ムンバイに着陸、給油。空席はほとんど埋まった。離陸したら再び機内食が出た。しかし、しっかり食べる。
13:15 トリバンドラム着陸。
14:20 予約のタクシーと合流、トヨタのクオリス。
 その後観光は
 @シャングルタン ビーチ
 Aケララ エサングリ(州政府ビル)
 Bナピア ミュージアム・・・アートギャラリー、旧王様のコレクション
 C動物園
 Dコーラン ビーチ・・・インドで最も美しいと言われるビーチ。白い砂浜で学生たちが歓声を上げていた。
18:30 ホテルの船着き場に到着。
小さな事務所と四阿があり、何人かの船待ちの家族客がいた。ボートが来て静かな水路を数分走った後、プーバー ホテルに到着。チェックイン。
 我々の部屋は、湖に浮かぶ小さないかだのコテージ2棟。湖面の向こうには、砂浜、その先にはアラビア海の波が音を立ている。砂浜には地元の漁師の木造船が並んでいる。いかにもヨーロッパ人好みの高級リゾートホテルだ。荷物を運び込んだ後、湖を眺めるテラスにイスを引っ張り出して、乾杯。大分ビールを飲んだ。
21:30 本館に移動してディナー。腹一杯だったが更に食べた。
23:00 シャワーを浴びて就寝。

<青木・井上2人の記録>
6:00  起床
7:00  朝食 コーンフレーク チョコフレーク リンゴ 洋ナシ マサラライス milk
7:30  南インド隊を送りだす
9:00  空手見学
10:00  空手終了
10:30  サンジャイさんのお店へ
11:30  買い物終了
12:20  メトロの駅へ
12:45  TVタワー見学
12:55  Netagisubash place 駅
13:10  Rohini west 駅
13:45  Kashmere GATE 駅
14:45  マクドナルドで昼食
15:10  セントラルコテージ
15:45  茶店で買い物
16:10  ANSAL PLAZA見学
16:50  サンジャイさん宅に帰宅
17:25  サンジャイさん宅発
17:50  Air port 着 19:30までbarでくつろぐ
19:45  Security check
21:30  離陸

8/15
8:40(日本時間)成田にland on

 ついに最終日になってしまった。名残惜しかったがここまでおおきなトラブル?がなかっただけよしとしよう。
7:30に南インド隊を送り出した後、再びベッドへ・・・。
9:00頃、空手の発声で目を覚ます。そいうえば、サンジャイさんが空手の型をやっていると言っていた気がする。サンジャイさん曰く、息子のシュレイに礼儀やマナーを覚えさせるためにやっていると言っていた。こんな異国の地で空手を目にするとは・・・。礼儀作法を身につけようとする姿に感心してしまった。その姿を見て見習うべきところがあると、ひとつ勉強をした。
 先日、目にしたメトロに乗った。地下鉄だとばかり思っていたが、一向に地下を走らず・・・。ずっと高架橋の上を走っており、デリーの町並みを見るには格好の場所だ。デリーの町は若干ながら起伏があるようにも見える。駅には自動改札、車内には電光掲示板、自動ドア、三菱製の車体・・・。なかなかのhigh
technologyだ。しかし、窓ガラスが割れていたり、乗る度にセキュリティチェックを受けるなど、インドらしいところもある。
 青木先輩が行きたがっていたマクドナルドで昼食を食べた。インドのマクドナルドはこれで2回目であるが、やはりカレー味で日本の味に慣れている我々の口には若干合わないか・・・。
 セントラルコテージ、マヘシュさんに紹介された茶店で買い物をした後、昨日見かけたデパートらしき場所にいった。どうやら「ANSAL PLAZA」というらしい。デパート内は日本のような屋内というイメージはなく、大きな窓が一面にあり、太陽光が差して明るい雰囲気であった。
 サンジャイさんのお宅に帰宅し、荷物をまとめて空港に向かった。今度サンジャイさんに会えるのはいつになるのだろうか・・・?
 空港内で森田先生に教えてもらったbarで気の済むまでニコチンの補給。これからしばらくは禁煙状態・・・。

 いつもながら、インドを飛び立つ瞬間が一番悲しい・・・。今回を含めて4回インドに来たが、それでもこの瞬間だけはいつも嫌だ。デリーの夜景はオレンジ一色で日本で見かけるような色とりどりの夜景とは違う。その単色さがいつもさみしさを倍増させる。今度はいつインドにこられるのだろうか?いや、来年も絶対来る!!

 8/15日本時間の8:40に成田に着いた。無事帰ってこられたという安心感と、自分はもうインドに居ないといいう寂しさが入り混じった複雑な気分だ。
ONライナーに乗り、帰路についた。

<第11日 8/15(日)>
 記録:豊島
 天気:晴れ  
 行程:トリバンドラムから南へ、カニャクマリ、最南端の岬めぐり プーバー ホテル宿泊

6:45 滝沢・豊島、南の砂州までボートで送ってもらって、南東の漁村まで散歩、撮影。 福田・アルワリアも遅れて合流。
7:50 ボートで部屋に戻る。
8:30 朝食。ホテル本館のレストランでバイキング方式。
9:45 ホテルをボートで出発。昨日のタクシーが待っていて、
10:00 観光に出発。
11:10 近くの旧王宮に着くが、休日でお休み。   豊かな水田とバナナ畑、ハス畑が続く。
11:40 カニャクマリに到着。休日ですごい人出だ。
12:00 ボートのチケットを買って、岬の先のヴィヴェーガーサンダー記念堂へ。インド各地からの観光客が来ていて、サリーが美しい。ベンガル湾・インド洋・アラビア海が一望できる。
12:50 ボートで岬に戻り、散策。コモリン岬のガートへ。大きな波に大喜びのサリーの娘たち。土産物屋をひやかして歩く。竹のテーブルクロスとドーティを買う。近くのレストランで昼食。地元の料理だそうで、エビが美味い。
15:40 見学を終わり、帰途につく。また旧王宮の町へよって、周辺で写真撮影。
17:55 ホテルのボートに乗り込み、帰着。部屋ではそれぞれ休憩。
19:00 福田部屋でビールで歓談。
20:00 ホテル本館へ移動して夕食。皆さすがに食欲がない。
21:30 就寝。

○独立記念日で日曜日の今日は、着飾った女性たちが町のあちこちから出てきて、美しい。
○ヤシ畑・・・一家で100本はあるそうな。印はないが財産だから間違わないそうだ。完熟前に収穫するので、落ちてくることはない!
○カニャクマリの賑わいはすごい。ボートへの乗り込み、これがインド人かと思うほどエネルギッシュ。
○ヴィヴェーカーサンダー記念堂、素足ではいる。焼け付くようだが、気持ちいい・・・地域性豊かなサリーが潮風になびいて美しい。初めて裸足でトイレを使ったが、清潔そのもので助かった。

<第12日 8/16(月)>
 記録:福田
 天気:晴れのち曇り、一時雨  
 行程:トリバンドラム→アレッピー  宿泊はボートハウス

7:00 起床。日本茶をいれようとしたが、アルワリアさんによってチャイに変身してしまった。
8:15 朝食。ホテルのビュッフェで。福田は腹の具合が悪く、軽く済ませた。
9:05 2日間世話になった水上ホテルを船で出発。
9:25 船着き場でクオリスが待っていてくれて、同じ顔ぶれで出発。
10:10 トリバンドラムの市街。ガネッシュ テンプル、タクシーの事務所による。
11:50 コタヤムのレストランでチャイ。運ちゃんは朝食か。
12:40 フィッシング マーケット通過。
13:43 たこの加工工場を見学。日本や米に輸出用とのこと。
14:14 アレッピーの船着き場に到着。
14:37 豪華な屋形船にて水郷めぐりの旅に出発。すぐに停泊してランチ。インゲンのカレー煮、野菜サラダ、魚の揚げ物、ライスなど。
16:25 船上でチャイ。
17:25 水郷を一周めぐりして、今夜の宿泊場所となる地点に船を係留。
 アルワリアさんの勧めで食前ビール。腹にこたえる。
20:30 船上で優雅なディナー。チキン、魚カリー、オニオンポテト、エビの唐揚げ、ヨーグルト、チャイ。川面に蛍も登場した。
22:00 就寝。

○水上ホテルは使い勝ってはあまり良くないが、リゾート気分を味わうことができた。
 アレッピーの近くの道路脇のたこ加工工場を見学。インド人はたこは嫌いで、食べないとのこと。エビは高価で普通は食べられないらしい。いずれも大量に日本へ行くとのこと。
○村越先生と何年か前に共に歩いた地。忘れてしまった部分が多いのだが、ところどころで、「アッ、ここだ」と振り返ることができて、懐かしかった。
○今日訪れたアレッピーは、村越先生と一緒に、ボートレースを観戦した。もっともタイミングがjastだったのだろう。今回は観客席を取り外しにかかっており、祭りの後の片づけ中といった感じ。
○水郷を豪華屋形船で行く旅は、周辺の人々の生活がかいま見ることができて興味深い。4人のゲストに3人のスタッフとは、贅沢なものだ。三食昼寝付の気ままな時を過ごす。


<第13日 8/17(火)>
 記録:滝沢
 行程: アレッピー→コーチン、コーチン観光・宿泊

6:00 ボートハウスの中で起床。
湖面に朝もやが出て美しい、小舟が水路を行き交っているのをゆっくりとながめていると、6:30にチャイ。アルワリアと船首に座ってチャイを楽しんだ。船が動き出して、バックウォ−ターの湖面に出て、走りながら朝食。パンと卵焼きにティー。
8:10 水路に戻って下船。昨日のタクシー運ちゃんの車で移動。
9:45 コーチンでセント・フランシスコ・チャーチ見学。ヴァスコ・ダ・ガマの墓を見た。
10:30 チャイニーズ・フィッシング。妻沼の福川の四ツ手を大きくしたもの。
11:00 「ダッチパレス」のミュージアム見学。
ラマーヤナの壁画が立派だった。続けてユダヤ教会(シナゴーグ)見学。内部の床は中国陶器のパネル。天井を修理中。
12:00まで周辺のみやげ屋街を見学。
ユダヤ人街の雰囲気が残っているといわれているところ。骨董屋とスパイス屋が多いが、スパイスのサンプルを買った。
12:40 ホテル「パーク・イン」到着。
部屋に入ってバスを使う。日本を出てから初めてバスタブに張った風呂に入った。さっぱりしてからビールで乾杯。
14:30 歩いて出てランチへ出かけた。
ホテルの近くの小食堂に入りフライドライス3種(1つは中国風チャーハン、1つはビーフ入り)。インドでビーフを初めて食べた。ムスリムは食べるそうだ。ビーフは夕食にも出た。ランチ後街を少し歩きホテルに戻った。
15:50 ホテルに帰った。部屋でビール。
17:20 車でマリーナビーチへ行って散歩。木陰のあるいいビーチ。
18:00〜19:20 湾内のクルーズ。後半はナイトクルーズになった。海風がすずしかった。
19:30 ホテルに帰ってビールで喉を潤す。
20:30 アルワリアは、バンガロールの友人に会って用事のため出発した。今夜はバンガロール泊りになる。
21:00〜22:00 ディナー。
ビュフェタイプで、各種カリー、チリ味の魚、ビーフ、ヨーグルト、フルーツ、コーヒー。ビールは別料金。部屋に帰って会計作業。各自180Rsの支払。これは、運ちゃんやディナーのチップなど。
22:50 作業修了。
23:00すぎ 就寝

○今回の旅はアルワリアの企画だが、湖畔のイカダのコテージにしても、アレッピ−のバックウオーターのボートハウスにしても、リゾート気分満点の贅沢な内容だ。ボートハウスはむかし米運搬船を改造し、2―3部屋とテラス、トイレを付けた小さいが豪華なホテルボートであった。岸に船をつけて、ランチを食べたり、湖面を移動しながら朝食をたべたり、カヤを付けたベットに寝たり、気分が良かった。夕方船べりに腰をおろして、水路を行き交う小舟を見ていると、時間が経つのを忘れてしまう。
○コーチン(コチ)は、古い港町で、ここもいろいろ楽しむことができた。特に、「聖フランス チャーチ」のヴァスコ・ダ・ガマの墓の墓石は、古色蒼然としていて、歴史を感じさせる。1524年に死亡したそうである。
○ユダヤ教のシナゴーグ前のみやげ物屋街も楽しかった。特に多いのは、骨董屋とスパイス類。骨董の中には、スパイス用の小箱もある。ここで目について買ったのは、15種のスパイスがサンプル状に入ったもの。初めて名前を知るものも多く、さすがはコーチンという気がする。乾燥生姜の問屋も覗いた。

<第14日 8/18(水)>
 記録:豊島
 天気:曇り
 行程:コーチン→マイソール

8:00 日本茶、梅干
8:30 朝食。昨日と同じ2Fのレストランビュフェ
9:00 それぞれ荷造り。
10:00 QUALISで出発。安い買物ができるところをリクエストするが…一番南の半島へ。
10:40「サガデパート」デリーより小さいが、白い瀟洒な建物。安いみやげ物はない。もう一軒行くが安いものあまりなし。小さな敷物を買う。
11:15 出発一路空港へ。空港の周りは、水田が一面に、所々にヤシ畑と水牛。
13:40 空港着。運転手の「プラサン・ナン」さんとはここでお別れ。空港は、南国風で清潔な感じ。「IC909」40分遅れ。
13:10 チェックイン。13:30セキュリティー通過、待合室は、軟らかいクッションの豪華な椅子、広々と過ごしやすい。
14:25 搭乗。14:45離陸。
15:05 ヤシの海岸が見えてきて、トリバンドラム空港へ着陸。なんと遠回り!
15:55 トリバンドラム空港やっと離陸。安定するとすぐに軽食(オクラカリー、サンドイッチ、ココナッツミルクのデザート)
16:50 バンガロール到着。雨が強い。
17:10 アルワリヤさん空港の外で手を振って待っていてくれる。
17:15 新しい運転手と共に出発。(バンガロール〜マイソール 175Km)
19:00 マイソールへの途中(中間くらい)休憩。ビール2本。アルワリヤさんはチャイ…少し疲れているかな…。
21:30 活気ある街マイソール。ホテル着。「HOTEL Ramanashree Myore」4ツ星だそうだ。
22:15 夕食。
ホテルの外から地下のレストラン。塩しょうが味のスープ、チキン・魚のケチャップフライ、焼きそば…久しぶりでうまい、ダル、ライス。
23:10 就寝

○コーチンからマイソールまで遠かった!コーチン空港からまたトリバンドラムに向かい、バンガロールへ、町なかの空港で飛行機が遅れたためラッシュアワーにぶつかる。空港から町をぬけるまで大渋滞。マイソールまでずっと左側車線の拡張工事中。かなり乱暴な運転だがみんな疲れて眠る。

<第15日 8/19(木)>
 記録:福田
行程:マイソール→バンガロール

7:00 起床 滝沢先生にお茶を入れていただく。緑茶がうまい。
7:45 朝食 昨夜のホテル付属レストランでビュフェスタイルの朝食。
8:30 ホテル発。ドアマンのとっちゃんのスタイルがかっこいい。
   ・St.Philomena's church
9:15 ・SRI CHAMUNDE SHWARI TEMPLE
9:40 ・BULLの像 シヴァを運ぶ動物
素足になってお参り。子どもたちの物売りしつこい。
9:49 展望台から町を見渡す。
10:00 ZOOLOGICAL GARDENS
10:30〜11:30 PALACE
12:15 ダムのそばで田植えの様子を撮影
12:45 お偉いさん(ミニスター)の歓迎に出くわす。バンガロールまで120Km
14:20 昼食 KAMAT Jolada Roti Meal
15:00 出発
16:00 バンガロールまであと8Km
16:12 Tipu Sultan's Palace
16:40 BULL TEMPLE
17:30 ホテル探しに時間がかかりながらもチェックイン。
20:10 中華レストランでインド最後の夜を過ごす。
ビールとラーメン、ワンタン、シュウマイ、アルワリアさんは口に合わない様子。滝沢先生はインディアンのご様子でインド食の方が食が進むみたい。豊島・福田は、まずまず。

○南インドの旅最終日。ちょっと慌ただしい感と、ホテルの選択の甘さがあったものの、中々味わえない興味深い旅となった。アルワリアさんの存在でスムーズな旅ができたことを感謝します。また、同行の旅なれた仲間にも感謝感謝です。

<第16日 8/20(金)>
 記録:滝沢
 天気:晴れ
 行程:バンガロール→デリー、デリーでshopping 帰国

4:20 起床。外はまだ暗い。昨夜福田さんは遅くまで生徒にはがきを書いていたから、ほとんど寝ていないのではないのかも知れない。出発準備
4:40 パン、オレンジジュース、ティーの朝食が部屋にとどいた。急いで食べるが、食欲がない。
5:00 部屋を出てチェックアウ、トヨタのタクシーで出発。
5:20 バンガロール空港に到着。すぐにチェックイン。フライトはIC804便。
6:30 フライト
8:50 デリー空港着陸
9:20 手続きを終わり迎えのタクシーで空港出発。
デリー市内の交通渋滞がひどい。アルワリア氏の自宅などに寄った後、コンノートプレス近くの「デリー事務所」近くで彼を下ろした。エンポリウムに到着。このあたりで、みやげ物を買う計画。しかしサンジャイ氏は、自宅で我々を待っていてくれたそうで、申し訳ないことをした。この後12:20まで、「セントラルコテージ」で買物をし、12:30「KATA de Hotel」の大衆レストランへ行った。待ち合わせのアルワリア氏は、遅れてバイクで現れた。
12:45〜13:45 レストランでランチ。辛くてうまいタンドリーをたくさん食べて、チヤパティーとチキンカリー。
14:00 サンジャイ氏宅へ到着。
使用人たちが出迎えて、荷物を運び入れてくれた。サンジャイ氏にも挨拶をし、チャイをいただいた。早速帰国準備のパッキング。予定は30分しかない。サンジャイ氏、アルワリア氏にお礼をさしあげて、山の残りを使用人たちにあげた。福田さんは、さっぱり着替えて、今回使用したものは全て使用人たちにあげてしまった。
14:30 お別れのお礼を申し上げて、乗ってきた車で出発。
途中アルワリア氏が店の前で待ち構えていて、私たちに紅茶のプレゼントを買ってくれた。サンジャイ氏からのみやげである。
15:10 空港到着。送ってくれたマヘッシュさんとお別れを告げて、中に入る。
16:30 チェックアウトを終えて休み。
18:20 離陸。16日間訪問したインドともお別れである。30分程で暗くなった。約1時間後、ジュースと夕食の機内食。
21:45〜23:15 タイ・バンコク空港。上から見るバンコクの夜景が素晴らしい。

<第17日 8/21(土)>
 記録:滝沢
 天気:晴れ
 行程:→成田 帰国

インド時間3:30に目が覚めた。
<日本時間7:00に変更>
8:15 成田着陸。ほぼ期間どおり。今日の日本は涼しそうだ。
9:20 発のONライナーで、大宮へ、
11:20 大宮着。ここで解散。お疲れさまでした。






安全・快適にインドを旅をすることができるのは・・・

福田 和宏

 毎年夏、恒例となっている私たちのインドへの旅。一緒に旅する仲間たちの存在と、そして、それを支えてくれる多くの方々がいてくれるからこそ、今まで私たちは安全・快適に旅を続けてこれたことを感じます。そして、安全・快適な旅の積み重ねが、仲間を増やしまた行こうという思いにさせてくれるようです。

 何度インドを訪れたかはもはや定かではありませんが、最初に訪れたのは1987年の夏、私が大学3年生のときでした。高校時代からの恩師である村越先生が夢を実現させてくれたことに始まります。縁というのは不思議なもので、あれから17年、その間ずっとお世話になり続けている方々がいます。

 まずは、インドへの航空券を手配してくださる旅行会社「鈴晃」の中村社長さんをはじめ窓口の林さんです。インドのみならず、私自身の今までの海外旅行の航空券すべてをお世話になっています。私たちの立場にたって条件のいいフライトを安価で提供してくれます。出発間近になっての、ちょっと言いにくいような追加やキャンセルにも誠意をもって即対応してくださることは大変ありがたかったです。一番頭が下がるのは、テニスの大会が天候不順で何度も流れてしまったことが原因による1998年のキャンセル事件です。出発の直前になって2度続けてキャンセルしてしまいました。おまけに、せっかくねじ込んでくれた予約を翌日にはまたキャンセルしてしまうのですから。一般的にこんな客はお断りですよね。でも、事情がわかってくれているので、いやな顔一つせず、先発した仲間たちに一日でも早く合流できるようにと親身になって繁雑な作業をやっていただきました。

 次に、デリーのサンジャイさんご家族と従業員の方々です。このまま甘え続けてしまっていいのだろうかと恐縮してしまうのですが、私たちにいい旅をしてほしいとの思いで家族ぐるみで献身的に世話をしてくださるんです。宿泊先から移動の交通の手配など一切合切を面倒みてくれるとともに、何かあったとなれば、それこそ親友として喜怒哀楽をともにしてくれるんです。2002年遺骨を抱いて村越先生のケルンをチャンドラタールに築こうと訪れたとき、共に涙を流してくれたのも彼らでした。私が野良犬にふくらはぎをかまれて負傷したとき奔走してくれたのも彼らでした。

 最後に、マナリの森田先生ご夫妻並びにサンペルさんご夫妻をはじめ山荘アシュラムの関係の方々です。私たちのヒマラヤトレッキングの拠点を提供してくださるとともに、私たちをヒマラヤへと導いてくださいます。今までどれほどすごい景色を見、その中に何度身をおくことができたでしょうか。私たちにとって、インドを訪れる原点はここにあります。森田先生の存在があったからこそ私たちも憧れや夢を実現していくことができたのだと感じます。自分にとっては心の故郷となっています。山荘アシュラムで過ごすと、心がおおらかになると共に満たされた思いになれるのです。

 インドを訪れることを通して、私たちの先輩方の代から信頼を積み重ねてきた、たくさんの魅力たっぷりの方々に出会うことができました。今私たちはその恩恵を受けてとても幸せです。今までに感謝するとともに、これからは、少しずつでも恩返しがしたい。そう思うのです。







インド交通事情

     青木 理

 成田―デリー
 デリー行きのエアーインディアは予想に反し空いていた。機内の我々の前のブロックは丸々空席で、詰め込まれた形の我々のブロックも8割ほどの混み具合、最近インドはあまり人気がないのだろうか?機体は相変わらずボーイング747の貨客機、もう20年くらい使っていそうだ。離陸後、富士山・瀬戸内海を左に見て中国大陸へ。ビールとワインをしっかり飲み眠りにつく。9年ぶりに来たデリー空港は何か雰囲気が違う、全館禁煙でトイレに入ってもチップを求めてくる守番みたいなおっちゃんがいないのだ。両替も極めてスムーズ、金額もごまかさず、札もホッチキス止めしていない。空港を出てさらに驚く。依然当たり前のようにあった、客引きと出迎えと見学者の黒山のような人だかりと鋭い視線がない。あまりの整然さに安心するとともに、ちょっとさびしかった。

 空港―サンジャイ氏宅
迎えの車はタタのコンパクトカー、形と大きさはトヨタのスターレットと同じくらい。空港を出ると行きかう車の車種の多さに驚く。以前はアンバサダーとマルチスズキぐらいしか走ってなかったが、日本車も含め外国メーカの車も目立つ。中流階級が自家用車を持ち
始めたのだろう、女性ドライバーも目に付く。以前は職業ドライバーが大半だったが、今は自家用車が増えたため事故も増加しているとのこと。街中も信号が増え、ロータリーになっている交差点にも信号が付いている。そして信号待ちの渋滞。インド経済は確実に発展している。
 デリー―マナリ
朝7時にサンジャイ氏の自宅を出発、1台は昨日のタタ車で、もう一台はトヨタクリオスという8〜9人乗りのランクルの子分みたいな車。今インドではこの車に人気があるらしく、よく見かける。エンジンは2800ccなのでエアコンを入れると上り坂がきついらしい。30分ほどで国内線空港に到着。見送りのダンシンとはここでお別れ。国内線ターミナルは2つあるようで、1つはインディアンエアライン専用で、もう1つはジェット航空と我々の乗るジャグソン航空用となっている。ジェットは便数も多く、チェックインカウンターなども近代的できれいなのに対して、1日1〜2便のジャグソンはすべて手作業、荷物用の量りも一昔前の巨大なもの。すぐにチェックインしたが荷物の計量でトラブル発生。重量オーバーに加え、機内持ち込み用のサブザックも大きいから量りに載せろというのである。結局、毎年乗っている豊島さんが彼らの上司と顔見知りらしく、サブザックはOKと判断してくれる。それでも30Kgオーバーで60$取られる。
 
 8時45分のフライトのはずが時間を過ぎてもチェックインは始まらない。どうやらクルの天候が悪いらしい。結局9時45分にチェックイン開始。金属探知機のチェックが厳しく、ライターを取られてしまう。しかしまたもや待合室でいくら待っても搭乗案内がない、
 期待が不安に変わりそして失望に変わった。12時にフライトキャンセル、気落ちしながらもセキュリティーチェックでしっかりライターを取り返し、チェックインカウンターでチケットにキャンセル印を押してもらい、60$の返金を受ける。

 空港から出ると福田先輩の予想通り、しっかりダンシンが待っていてくれた。感謝とともにサンジャイ氏の心遣いに頭が下がる。すぐにタクシーを頼み、空港発は14時。車はやはりトヨタのクオリス、運ちゃんを含め6人と荷物が載ると車内はぎゅうぎゅう詰め。久しぶりの長距離ドライブのスタートだ。デリーの街中はすべてのリキシャと路線バスが緑と黄色のツートンカラーに塗り替えられ、ガス車を表すCNGマークが入っている。政府が数年前、強引に変えたそうだ。交通取り締まりも厳しいらしく、運転席と助手席は必ずシートベルト、バイクは皆ヘルメットを被っている。道沿いの露店でやたらヘルメット屋が多いのもうなずける。昼食はデリー郊外のピザハット、味はまあまあ。店の前には高架の上をメトロが走り、大きなテレビ塔が建っている。
ドライブは順調に進み、久しぶりのインドの車窓を楽しむ。途中スピードを落としたかと思ったら、スピード違反の取締りをやっているとのこと。

 チャンディガールを通過する頃には辺りは真っ暗、山道に入るとエアコンが切られるとともに雨が降ってきた。その時である、ガコッという音とともにワイパーが動かなくなる。雨は降り止まず、対向車が来るとフロントガラスがギラギラ光ってしまうので危険すぎる。1時間ほどそのまま走り、道端の修理屋で見てもらう。ワイパーは修理が難しいらしく、なかなか直らない、すると今度はヘッドランプも点かなくなる。結局修理をあきらめそのまま出発、時刻は23時を過ぎようとしている。運ちゃんはハザードを点けつつ目を凝らしながらの運転。あまりのゆっくりスピードのため、トラックにも抜かれてしまう。

 午前1時前にチャイ休憩を取る、運ちゃんの疲労もピークのようだ。再び走り始め、結局2時ごろに運ちゃんもあきらめようで、マンディーの少し手前で道端に車を止めて仮眠する。薄明るくなってきた4時すぎに出発。しかしまだはっきりは見えないので、石をふんづけたりしながら進む。5時を過ぎるとほぼ前が見えてきたので気合を入れてとばす。クルの街をすぎ、もうすぐマナリという所で料金所ができており、1台300Rsの観光税を取られる。結局アシュラムには7時30分に到着。17時間ドライブお疲れ様でした。

 トレッキング
 8時30分アシュラムを出発。ガイドのネギさん、キッチンボーイのペマ・ニマさんとともに2台の車に分乗する。車はタタのパジェロの様な外観のジープ、左右の前扉にはマルコポーロインディアのロゴが入っている。途中橋が壊れており、川の中をゴロゴロと渡ったりしながら1時間ほどでGulabaの道路決壊ポイント下に到着。ポーターに大荷物を持ってもらい、サブザックをかついで歩き出す。道はぬかるみグチャグチャ。今回はスニーカーで来たのであっというまに泥だらけになってしまう。ヘアピンカーブの間を直登して1時間ほどで上の道に到着。開通待ちのトラックの脇を10分ほど歩くと、大嶋先生グループが乗り捨てた車が見えた。同じくタタのジープが2台、しかし1台はエンジン音がグオングオンと不規則でどうも調子が悪そうだ。

 足止めを食った運ちゃんや観光客でにぎやかなマリの茶屋でチャイを飲んだ後エイトモールへ。お目当てのブルーポピーはあまり元気のない2株だけ、どうやら牛が食べてしまうらしい。雨が降っているので早々に撤収してロータンパスへ。最近ロータンパスは政府の方針で茶店がすべて撤去され、峠の下に移されてしまったため、霧の中峠の石碑とチョルテンがはためくだけの寒々しい所になってしまった。もっとも晴れていたら、何もないほうが景色としてはいいかもね。峠下の道の分岐点グランプー周辺には、石壁で囲まれたグリンピース畑がいくつも作られていた。途中チャトルでダルジャガイモカレーの昼食、シンプルでうまい。テン場のダダルプーには3時30分に到着。通行止めのため、行きかう車もほとんどなく静かだ。

 翌朝は8時にチャンドラタールに向けて出発。1時間でバタルに着き、羊に囲まれてチャイを飲んだ後再び出発。途中2台の車、自転車2台、徒歩2名とすれ違う。その後、ネギさんの協力のおかげで村越先生の遺影撮影地を発見。皆で村越先生と同じポーズをとりシャッターを切る。福田先輩の持参した遺影の写真を見ていると、今にも先生の「オーイ」という声が聞こえそうだ。チャンドラタールの手前では道が細く急になり調子の悪い1台がエンストを繰り返している。
11時20分にチャンドラタールのすぐ脇の丘の上に到着、思えば便利になったものだ、11年前はバタルから1日半歩いたのに。村越先生の第一ケルンは車を止めた丘から10分ほど、各々がビールや酒をかけ、線香を手向ける。その後また10分ほどで第2ケルンへ、ここからはムルキラと氷河がよく見える。第一ケルンに戻って昼食、あまったビールと酒をいただく。4000mでの飲酒はまた格別だ。ケルンの石を積みなおし帰途に着く。村越先生またね。

 調子の悪い1台も下りは快調、バタルでチャイの後、チョトダラの手前で元気だったもう1台の左前輪がパンク、さすがにインドの車はただでは帰してくれない。手馴れた手つきであっという間にタイヤを換え、17時50分にダダルプのテン場に到着する。

 翌朝はマナリに帰るだけで気楽だが、通行止めが直っているかが気に掛かる。9時15分に出発。調子の悪い1台はエンストを繰り返しながらもグランプーへ、そして最大の山場、ロータンの登りは5~6回ボンネットを開けての修理を繰り返し、だましだまし登りきった。

 対向車があまり来ないのでまだ通行止めは続いているようだ。12時にロータンパスを通過、マリで昼食の後通行止めポイントへ、百台以上のトラックが開通を待っている。車とはここで別れ歩いて下る。大雨で沢が増水し、ヘアピンカーブの真ん中を何箇所も流してしまったそうだ。15分で下に到着、待っていてくれた1台のジープでアシュラムに帰った。

 マナリ―デリー
 我々の出発日(7日前)以来飛行機は飛んでいないらしい。今朝はクル谷に雲が掛かっていないから期待できそうだ。8時10分アシュラム発、トヨタのクオリスで出発。マナリ、クルの街を通過し9時40分ブンタールの空港着、我々以外に客らしき姿はない。しかし、出発時間の10時50分を過ぎても、一向に飛行機が来る気配がない。係員らしき人に聞いてみると、まだデリーを出発していないとのこと。クルの天気はよいのだが途中の天気が悪いらしい、迂回して飛べばいいのにと思いながら最終決定の12時を待つ。滑走路を使えるのが2時までらしく、遅くともデリーを12時に飛ばなければキャンセルとなるのだ。空港内は禁煙のため、ライフルを持った警備の軍人を横目で見つつ空港の外までタバコを吸いに行く。そして12時、空港事務所に誰もいないので、空港の外にあるジャグソンのオフィスに行きキャンセル印を押してもらう。

 空港の門の前にタクシーオフィスがあり、そこでタクシーをチャーター。デリーまでクオリスで9500Rs、行きと同じような状態で13時5分再びドライブスタート。あまりの憂鬱さに、会話も少ない。運ちゃんは初老の話好きそうな人で、助手席に座った福田先輩が一生懸命話を聞いている。15時15分道端の食堂でバターチキンカレーとナンの昼食を取る。チャンディガールまで170Km。18時5分チャンディガールまで95Kmの所でチャイ休憩。我々があまりにも休憩をと口に出さないので運ちゃんが進言した休憩だ。行きの時はワイパーとヘットライトがない夜間の極限状態であまり気づかなかったが、けっこうアップダウンのある長い山道である。見通しの利かないカーブでも平気で追越をかけるので肝を冷やす。

 20時30分チャンディガール郊外の運ちゃんの自宅、ここで運ちゃんの甥にバトンタッチ。チャイをもらった後、再び同じ車で出発する。デリーまであと250Km。22時5分ドライブインで中華の夕食をとる。今度の運ちゃんはテリーに住んでいたことがあるらしく、サンジャイ氏の自宅のあるグリーンパークもなんとなく解るらしい。22時50分出発、時速90Kmナショナルハイウエイを突っ走る。うとうとしかけた1時過ぎ、突然パンという音とともに車が路肩に停車、パンクだ。やはりインドの車は何かが起こる。スペアと交換後、近くの修理屋ですぐにパンク修理、これでまた何時パンクしても平気だ。2時過ぎにデリーに入り、途中2~3度リキシャの運ちゃんや道端にいる人に道を聞き、案外スムーズに2時30分サンジャイ氏宅着。深夜にもかかわらず、サンジャイ氏が迎えてくれた。

 デリーのメトロ
 サンジャイ氏の使用人マヘッシュとともにメトロに試乗した。開通しているのはデリー北部の高架部分10駅間ほどで、中心部のコンノートプレース周辺では地価工事の真っ最中だ。駅には金属探知機が設置され、セキュリティーチェックは空港並み、カメラを見つかると絶対撮るなと念を押される。料金は距離に応じて7〜20Rsぐらい、コイン型のトークンを自動改札にかざして入る最新式だ。車両は三菱と外国企業の合作のようだ。車内放送も英語とヒンディー語がテープで流れる、エアコン完備の快適な車両だ。行きに昼食をとったテレビ塔脇の駅で下車してテレビ塔を見に行くが立ち入り禁止、写真撮影も禁止で遠くからテレビ塔とメトロを写真に撮った。

 デリー―東京
 空港には出発の3時間前の18時に到着。早々にチェックインと出国手続きを済ませ、森田先生に教えてもらった2階のバーでビールを飲みながらタバコを吸う。1時間ほどのんびりした後セキュリティーチェックへ。前回の経験上ライターは財布の小銭入れに隠しておいた。待合室では小柄なインド人のおじさんが話しかけてきて、日本のどこから来たと聞く。埼玉だと答えると熊谷に友人がいるという。驚きながらよくよく話を聞くと、熊谷のインド料理店タンドールキッチンの経営者ラビンさんの経営する川崎支店のコックさんで、ラビンさんのことをシャチョーと呼び話好きな人懐っこい人だった。お盆の日曜日本着だというのに機内は8割ぐらいの混み具合、やはりインド旅行は最近人気無いのだろうかと気にしつつ、ビールとワインを楽しみ眠りについた。






ヒマヤラ再び

    井上 貴裕

 2年前にヒマラヤに来て以来、インドに魅せられてわずか2年間に4回もインドに来てしまった。そろそろ入国審査でうるさく言われるのではないか、と不安を抱きながら入国した。2年前に初めてきた時は空港に着いた瞬間、香辛料の匂い、インド人の彫りのある目に囲まれ恐怖を感じたものだ。しかし、さすがにこれだけ来ていると、不思議と家に帰ったような気がして安堵の感がわきあがってきた。不思議なものである。2年前の緊張した感じは微塵も感じられなかった。それだけインドに慣れてしまったのか、それともインドに行く事が当たり前の儀式と化してしまったのか・・・。我が職場でもインド・バンガロールのとある会社と共同で開発を行っている。どうやらインドとは切っても切れない関係になりそうである。
 サンジャイさん、そのご家族、スタッフの皆さん、アルワリアさん、ボビーさんの手厚い歓迎を受けた。うれしい限りである。彼らのような人がいるから、またインドに来たくなってしまうのかもしれない。
 デリー〜クル間の飛行機がキャンセルされ、車でマナリに向かう事となった。諸先輩方から「お昼に出て次の日の朝に着いた」、「24時間かかる」なんて脅されていたが、不思議と絶望感のような感情は湧き上がらなかった。飛行機であっという間に過ぎ去ってしまう距離を、何時間も掛けていくのだ。どことなく楽しみが湧き上がってきた。おそらく、これから一度も降りる事のない、泊まる事のない街を通っていくのだ。それだけインドの色々な顔を見る事ができる。自分で言うのも何であるが、結構旅好きである。それも地図を見ずに、ぶらぶら歩くのが好きなのである。知らない街に行く事が好きなのである。車窓から見えるインドの風景、人の顔を見るのを楽しんだ。
 トラブルの無い旅はつまらないが、大きいトラブルに巻き込まれるのも勘弁である。雨の夜、ライトも付かない、ワイパーも作動しない。命の危険を感じた。ワイパーが音を立てて壊れた瞬間のドライバーの顔は生涯忘れる事は無いだろう。
 マナリには無事に?着いた。森田先生ご夫妻、サンペルさんご夫妻、ギャルチェンさんの顔を見た瞬間、またヒマラヤに来る事ができた事をうれしく感じた。

 ロータンパスまでは霧の中だった。途中、道路の決壊箇所を歩いて通過した。峠を越えると、2年前に見たヒマラヤが視界に入った。うれしかった。もう2度と来る事はできないだろうと思っていただけに、余計にうれしかった。
 しかし、まだ安心はできなかった。前回、高山病とも食べすぎとも言えない強烈な腹痛に悩まされたからだ。そのため、山1日目は大量に食べる事を抑えた。チャトルでのカレーも、ダダルプでの夕食も・・・。高山病対策のため、一人で背後にある300m程上がった所にある滝までいった。途中、馬に威嚇された。今回、初めて馬に対して恐怖心を覚えた。その時も空腹感を感じながら、何も食べなかった。夕食時、腹いっぱい食べられない事がこれほど辛い事であったとは・・・、と思った。「世の中にはお腹いっぱい食べられない人がたくさんいるのよ。」おふくろがそう言っていたような気がする。決して「世の中には高山病で苦しんでいる人がたくさんいるのよ。」ではない。飽食の国、日本に生まれて、何か大事な事を忘れていたようだ。毎日、食べる事に困らない事は、高山病にかからない事よりも幸せな事である。言い換えれば高山病になってでも、食えるときに食っておいたほうがいいのである。そんな哲学的な事を思いながら、湧き上がる食欲に負けそうになりながら、必死で抑えた。せっかく作ってくれたコックさんに申し訳ないという懺悔の念をいだきながら。
 2年前は、2日目の朝に体調を崩した。お腹が痛かった。今回は朝の空気がすがすがしかった。勝った・・・。今回は「高山病体験記」なる物を書く必要がない。ヒマヤラを歩く自由が約束された・・・ような気がした。
 チャンドラタルは2年前と同じ佇まいをしていた。そして村越ケルンも形がやや変わっていたものの、確かに我々が2年前に建てた場所にあった。2年前、ここに来たときは、涙が出てしまったが、今回、涙はなかった。なぜなら、ここに来ればまた会えるからである。実に単純な事である。来年も再来年も・・・。
 村越ケルンに参拝した後、青木先輩とチャンドラタルを一周した。歩幅の違いからだろうか、青木先輩の歩くのが早い。息を切らして付いていくうちに頭が痛くなった。高山病である。後になって、その時とった写真を見てみると、顔がむくみ、必死になって笑っている自分がいた。
 その日の夜、頭痛で夕食に参加できなかった。食欲が無かったわけではないが、座っているのも億劫だった。しかし、もう2度とヒマラヤに来たくない、という気持ちは湧き上がらなかった。またここに来たい。
 一晩寝た後、頭がすっきりしていた。ヒマラヤにまだ居たいという気持ちを抑えながらマナリへの帰路についた。
 
 インドの町は、いつ来ても面白い。ただそこにいて、人見物をするだけでも面白い。買い物をしつつ、値切り交渉をし、店を冷やかす・・・。楽しみ方にマニュアルはない。とある骨董屋で値切り交渉をした。確か色々かって600ルピーぐらいだったと記憶しているが、これを必死に値切り400ルピーぐらいで決着した。店のおばちゃんの顔は笑っていた。交渉に負けた・・・。ある本で読んだ事がある。値切り交渉をして相手が笑わなかったら、それは適正な値で買えた証拠である。なぜなら儲けがそれほど無いからである。しかし、相手が笑ったら、それはツーリストプライスで妥結した事を意味する。なぜなら、儲けが多いからである。
 帰りの便も結局飛ばなかった。さすがに帰りとなると、やや嫌気が差した。しかし、そうは言っても下で行く以外道はない。これもインドだと納得させた。
 夜中の2時くらいにサンジャイさん宅に到着した。それでもわざわざ起きて迎えてくれてすごくうれしかった。

 最終日の空港で飛行機を待っている時、そして離陸した瞬間が一番悲しくなってくる。楽しい時間は早く過ぎるというが、正にその通りである。機内から見えるインドの夜景はオレンジ一色で綺麗だったがなんか寂しかった。毎回インドに行く度にお世話になる人が増えるような気がする。まだインドに居たかった。それでも帰らなくてはいけない。旅の最後はいつも非情だ。

 また、近いうちにインドに行きたい。そしてまたインドの空気に抱かれたい。

 現在、サンジャイさん、ボビーさんから村越先生の遺稿集をぜひ読みたいという要望があり、現在、英訳の作業を行っている。さすが村越先生というか、難解な表現が多く、辞書片手に格闘している。しかし、そんな事をしていると、一文一文の意味が深く伝わってくる。全部英訳するのは困難な作業となるであろうが、そこにある真意を理解するのにはいい作業だと思っている。来年、届けるために、かんばりたい。