はじめに

 熊谷トッレキング同人代表 村 越 昇

中高年を中心とする私達のトレッキング・グループが今年(1995年)、「熊谷トレッキング同人」という立派な名前をつけ、3隊に分かれてインドヒマラヤに行って来ました。

1991年、とにかくヒマラヤへ行ってみたいという中高年の願いが、「お花見」トレッキングを実現させて以来4回目になります。93年の2回目は「ヒマラヤの大ふところに入る」ことを課題にチャンドラタールで夢のような日を過ごし、昨94年には「ヒマラヤの奥地の町や村を訪ねる山旅」として、外国人の入域が許されたばかりのキンノール・スピティ地域を訪れました。

予定通りにはことが進まないのがヒマラヤの旅、いずれも交通事情などの困難に見舞われ、高度障害も重く頭や胃腸にのしかかりましたが、それぞれの課題を達成して「いい山旅」を実感しました。

そして今年、一つのパーティとして行動するには仲間が増え過ぎた、という嬉しい困難を当面解決することを主目的に三隊に分かれて出かけました。「熊谷トレッキング同人」という名前は私達の師である森田千里さんに付けていただきました。

若者を中心にして、チャンドラタールを目標とした8月の「セントラルラホール隊」、年金生活者と主婦で構成され、森田千里さんと一緒にラダックの秘境を目指した9月の「ラダック隊」、前2隊の条件に合致しないメンバーが、スピティへのジープ・トレッキングやネパール観光を目的とした「インド・ネパール隊」‥‥‥‥総勢29人にもなりました。

今年もモンスーントラップは容赦なくそれぞれのチームの行動を妨害しました。 セントラルラホール隊は道路崩壊で目標のチャンドラタールには近づくことも出来ず、マナリから直接取り付くハムタパス越えのトレッキングに変更しました。 ラダック隊は、ツゥモレリ湖などラダック奥地の高地トレッキングの延長線上の最後に「私達の町マナリ」を置いていたのですが、4900mバララチャ峠が通行できず、再び飛行機でデリーに戻りました。従って楽しみにしていたマナリの休日もフイにしてしまいました。

インドネパール隊はセントラルラホール隊と同じ道路事情のために目標を変え、バララチャ峠を越しましたが何処も冷たい雨に打たれ、さらにネパールではアンナプルナの眺望のために足を延ばしたポカラでも雨にたたられました。

しかしそこはしたたかなメンバー達、セントラルラホール隊は度重なる渡渉や氷雨でびしょ濡れになり、ガスのハムタパスを越えた後には壊れた十数キロの自動車道路を歩いたわけですが、若い仲間は『ぜひ来年も行きたい』と目を輝かせています。それは今まで決して出会えなかった色鮮やかなお花畑の中に身を置き、一日だけでしたが氷河のヒマラヤの高峰を見上げることが出来た、ということだけではないと思っています。

ラダック隊はチベット国境の4500Mのツゥモレリ湖の湖畔の村に憩い、5300Mという私達の会としては最高地点の峠越えをして来たほか、予定変更で余裕の出来た日程でたっぷりとレー周辺のゴンパ(ラマ寺)巡りをして来ました。

インド・ネパール隊はスピティを諦め、旅行者がめったに入らないチャンドラバーガ川沿いに下り、森田千里さんが名づけた「隠された聖地」や中世の宿場町がそのまま残るようなウダイプルを訪ね、暖かくも貴重な体験をして来ました。またカトマンドゥでは毎早朝辻々のお堂や寺を巡り、敬虔な人々の生活に触れて来ました。

こうして3つの隊のそれぞれは、それなりに目的を達して全員無事帰国しました。

しかし、継続して参加している仲間は「何か忘れ物をしているような感じ」を旅をしている間に時々感じました。これは、3分割したためにいつも仲間がそろっていないという感傷だけでなく、「同人」となって大きくなってゆく私達のグループの「転機」の一つの表れだと考えています。

私達は、@ヒマラヤに入る、 A隊として課題を持つ、 Bそれぞれのメンバーが各自の課題を持つ努力をする、‥‥‥‥そのために集団的に学習し、トレーニングもする‥‥‥‥そして総じて「いい山旅」を継続的に体験して行く。こんなことを追求して来たのではないかと思います。

その為には、各個人の「どんな山旅がしたいのか」が基礎になるわけですが、何せ素人、行動を通じてから個人の要求もはっきりし、課題も見えてくる‥‥‥‥こんなことを実践していたのではないかと思います。

それが一つの隊ですまなくなったのですからこれから大変です。

今年の行動を通じては、「隊の分けかた」「各隊の日程の組み方」「トレッキング同人としての課題の統一性」などの課題が明らかになりました。

また、私達のグループの持っている大きな特徴として「50歳を越える年齢差」の集団が構成出来ることにありますが、今年はこの事が十分に生かされませんでした。存在感のある高年齢の仲間と、さわやかな風の源のヤングの仲間との間では、中年にもゆとりが感じられるような集団が構成出来ることは素晴らしいことであり、大切にしていこうと思います。

私達はもう来年の「ヒマラヤの山旅」のことを考え始めています。

来年はもっと「いい山旅」をするために今年の教訓を生かしていきますが、さらに「同人」として、よりレベルの高いトレッキングを追求していかなければ、と考えています。

大きくなったことはそれが出来ることだし、それが出来てこそ大きくなった、と言えるのだろうと考えます。

今年も沢山の方々にお世話になりました。

森田千里さんには、計画立案・手配からラダック隊の同行までしていただきました。

立派なガイドになったサンペル君にはインド・ネパール隊とラダック隊の同行を始めとして、状況の変化の対応して計画の変更など、森田さんと一緒に大奮闘してもらいました。

デリーのサンジャイ氏にはホテルの世話、空港との送迎、トレッキング終了後のインド観光の手配から、4回にわたる私達のデリー到着の度に歓迎の夕食会を持っていただくなど、本当にお世話をいただきました。

ガイドを始めとしたトレッキングのスタッフは一生懸命世話をしてくれました。

写真・航空券・登山用品・薬品・保険などでも多くの方にお世話になりました。

これらの方々と、今回参加出来なかったけれど3隊の行動を支えて下さった「同人」の仲間の皆さんに心から感謝いたします。

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