インドヒマラヤに住む人たち

柿 沼 博

私達は3台のジープに分乗して、レーからインダス川の上流へと向かった。昨年から外国人の入域が許可になった秘境の山上湖ツォモレリへのトレッキングである。

広い流域をゆったりと流れるインダス川は、次第に流れの早い渓谷となる。5時間あまり走った所に橋があり、テント張りのチェックポストがあった。ツォモレリまで67Kmの標識がある。

ここで、更に奥地への入域許可のチェックを受けた。橋を渡りインダス川とわかれてからの山道がひどかった。岩石だらけのデコボコ道を揉みくしゃにされながら走る。

賽の河原のような砂礫砂漠の広大な高原を大きく蛇行しながら次第に高度をあげていく。こんな不毛の地にも生き物が居る。ときどき子兎程もあるマーモットが巣穴から首をだしては急いで穴ににげこむ。

高度計が5000mを示した峠を越えると、目の前に青い水をたたえた湖があらわれた。塩湖だそうである。ツォモレリはまだ先だ。道がやや平坦となり、タマリスクのような植物が点在する高原にでると、はるか彼方に湖の水面が望見された。めざすツォモレリである。大きな湖だ。細長い湖の対岸は水平線に消えている。標高4500mの山上湖ツォモレリは深く青い湖面に白雪をいただいた周囲の山々を映して静まりかえっている。

入江のような湖岸にきれいな小川が流れこんでいるところが草地となっており、私達はそこにテントを張った。驚いたことに、こんな地の果てのような荒涼とした高地に人が住んでいる。テント場のすぐ上の斜面に、石積みの人家が20軒ほどある。人家の上方には、2階建てのゴンパもある。ゴンパの近くには、3m程の高さのある白いストゥーバ(仏塔)が10基以上も並んでいる。

テントの近くにはヤク・牛・馬が10頭ばかり草を食んでいた。あまり人影はない。いくつか畑らしい所があり、牛馬が入らぬように石垣で囲まれている。すでに収穫が済んでいるのか、作物らしいものは見られなかった。

ここは標高4500mの荒涼とした地だ。こんな厳しい自然条件の中で自給自足の生活が出来るのだろうか。私達が訪れた9月のはじめでさえ、朝は零下4℃だった。厳冬期には零下30℃以下になるらしい。

資料によれば、この湖の周辺で生活する人たちは、120年前の10軒から、10年前には30軒になり、現在では60軒の家に100家族以上の人たちが生活するようになったらしい。

テントの周りにこども達が集まってきた。2歳位の幼児から10歳位の男の子や女の子が、7.8人珍しそうに私達を見ている。殆ど身体を洗ったことがないような黒光りしている顔や手、垢と脂のしみついたような衣服、厳しい自然環境の中に生きる姿だ。 私達の朝食のあまりもののオムレツやゆで卵やジャガ芋をあげると、皆ふところに入れてしまった。後で家族と分けて食べるのだろうか。お菓子をあげると喜んで分けるあって食べていた。しかし、彼らは物乞いはしなかった。

男達が5、6人馬にのり小川をわたりどこかに出かけていった。放牧だろうか。女が2人大きな篭を背負って小川の上の方へのぼっていった。

朝、ゴンパの上の丘に登ってみた。湖面が朝日に光っていた。しばし湖を見下ろしながら佇み思った。この人たちはいつ頃、どんな事情で、この苛酷な自然条件の高地に住みついたのだろうか。

しかし、どうであろうと、この人たちにはこの人たちの生活があるのだ。私はいつもヒマラヤに住む人たちの生活にふれると、人間のいとおしさのようなものを感じ、人間とはいったい何だと自問するのである。