チベット仏教

  その狂信的な信仰のルーツを求めて

森 田 雅 夫

それはインカの古都クスコでの出来事だった。巨石を巧みに操り、高度の黄金文明を築きあげたインカ帝国が、数万の大軍を持ちながら、たった二百余りのピサロの軍門に降り、滅亡してしまったと言うことが、なんとも不思議でならなかった。

ガイドの説明はマニュアルの域を出ず、この謎はその後ずっと私の頭の中でくすぶり続けた。帰国後、インカに関する文献を調べた結果、謎の七.八割は解決することが出来た。二十年も前の話である。

そして四年前、私は退職のメモリアル行事として「聖地カイラス山とチベット巡礼の旅」に出た。

私の旅はチベットの首都ラサから始まった。町の西北の小高いマルポリの丘に、巨大でエキゾチックな偉容を誇るポタラ宮が、ラサの町を睥睨していた。

ダライラマ十四世(現在インドのダラムサラに亡命中)の居城であるこの宮殿は、チベット仏教(ラマ教)の象徴として、民衆の心の奥底までガッチリと支配している。 私の二度目の心の衝撃は、この宮殿の内部で発生した。

チベットの各地から集まってくる巡礼の群れは、大きな流れとなってポタラ宮に吸い込まれていく。暗い迷路のような宮殿の中を巡礼達は手に手に灯明をかざし、「オンマニペメフム」とお経を唱えながら、観音菩薩像をめがけて突進して行く。

この異様な光景は、もう狂っているとしか言いようがない。いったい何が彼等を狂信的なまでに、そして時にはトランス状態のごとき行動に駆り立てているのであろうか? 私はただ茫然として、この動向を眺めているだけだった。私の貧しい常識では、皆目見当がつかなかった。

これと同様な状況はバルコール(八角街)やトゥルナン寺(大昭寺・通称ジョカン)などでも見ることができる。特に身体を地面にひれ伏し、尺取虫のように進む五体投地礼(自らの罪を懺悔し、仏への帰依を誓う最高の祈りの行動)を目の前にした時、彼等の心の謎解きをしたいという衝動にかられた。

昨年の九月、インドのラダック地方を訪れた。レーを中心として、ここにもラマ教がいきづいている。ヘミス・チクセ・アルチ等の八つのゴンパを見学した。しかしながらラサで体験した、あの感動はもはやなかった。慣れのせいかもしれない。それとも内向していて表面には現われてないのかもしれない。

ラサとレーとの印象は、中央と地方のような関係に見えた。ラサではチベット人でごったがえしていたが、レーでは外国の観光客のみ目についた。

チベットのチャンタン高原は、海抜4500m〜5000mの高原である。富士山よりもはるかに高く、空気は地上の約半分。樹木は生存すら許されず、僅かに10cmほどの雑草がほそぼそと生きているだけだ。見渡すかぎり荒涼とした雪と氷と岩石だけの世界である。真夏でも時折降雪がある。こんな厳しい環境だからこそ、大自然がそのまま存在し得たのである。

チャンタン高原や、ラダック、ザンスカールなどの秘境に分け入って、白銀に輝く高峰や氷河に感動し、そして去って行くだけならばさほど困難なことではない。しかし、「ここに定住せよ」と言われたならば、状況は一変する。衣食住の確保をどうすればよいか。苛酷な自然環境にどう適応すればよいか。まさに絶望的な思いに打ちのめされるであろう。

さしずめ思い当るのは、現にヤクや羊を飼育して生きている、貧しい遊牧民の生活ぐらいだろう。自然が美しければ美しいほど、そこで生活することは反比例の関係になっている。あまりにも巨大な自然の力の前では、人間は無力で小さすぎる。かろうじて生かされていることを実感し、そこに信仰が芽生えてくる。

朝日に輝く秀峰を眺めていると、そこには超自然的な力、即ち神とか仏とかの存在を感じてしまう。チベットやラダックでの熱狂的な信仰を生み出す素地は、苛酷な自然条件のなかにあったと言っても過言ではない。

さて、チベットやラダックの人々の、ラマ教に対する狂信的な信仰心はどこから生まれてくるのだろうか。『チベット・曼陀羅の世界』(代表 色川大吉)の著作の中で、岩垂弘氏の文章に共感する部分があったので、少し記述してみる。

チベット人の信仰心の深い理由として、政府の外事弁公室の役人の解答によると

@ 仏教の歴史が長い。(7世紀以来 千余年)

A 仏教の伝来時に王様(ソンツェンガンポ)が自ら信じ、国中に広めた。

B 17世紀、宗教上の法王(ダライラマ五世)が政治上の国王も兼ね、政教一致政 権が誕生し、宗教と行政の一体化が進んだ。

以上の解答は、歴史的経過としては正しいだろうが、これだけでは充分納得しかねる。 四番目として考えられることは、チベット人の間で広く信じられいてた仏教の教義である「輪廻転生」の思想がある。前述の自然の苛酷な条件が、この思想を抵抗なく受け入れさせたものと思われる。

「輪廻転生」の思想とはなんだろうか。インドで生まれ、仏教に取り入れられてチベットへ伝わってきたものである。車輪が回転するように、人間は生死を無限に繰り返す(輪廻)。生前の善悪の行為によって、天上にも地獄にも生まれ変わる。

チベット人は死後、地獄へ行ったり、餓鬼や畜生に生れ変わることのないように、現世において、ひたすら仏に帰依し、功徳を積むように心掛け、来世の幸せを求めて祈ったのである。現世は苦に満ちた世界(チベット高原などは苦の世界そのものだった)であり、至福を来世に求めたことは、至極当然のことであった。

また、NHK取材班の岡田正大著『神秘のインド大紀行』のなかにも、参考となる記述がある。

「なぜラダック・ザンスカールの人々は、今もこれほど仏教への信仰を持ち続けているのか」という問いに対して、「信仰心の強さの土台は、この地方の自然のあまりの荒涼さ、苛酷さではなかろうか。緑が皆無に近く非常そのもの『地球月世界』では、か弱い人間たちは、何か頼り信じずにはいられないに違いない。

その時、人が頼るものはあまりにも厳しい大自然よりも、同じ人間の造り出したゴンパの中の極彩色の空間ではないだろうか。ゴンパこそ、人々に温かさと安心感を与える最高の場になるのではなかろうか」と述べている。彼等の生産性をはるかに超えている立派なゴンパを見るにつけ、信仰心の深さを改めて実感させられた。

「ダライラマはどうしてそんなに大切なのか」という質問にはインドへの亡命者が答えている。

「ダライラマ師は素晴らしい人です。私達はあの方を仏陀の生まれ変わり、即ち生き仏と信じています。しかし、彼は最近『私は仏ではなくただの人間です』とおっしゃい

ました。私達はそれだからこそ、一層あの方を生き仏だと思うのです。 (省略)」
ダライラマに対して絶対的な信頼を寄せている言葉である。完全無欠で抽象的な観音菩薩という偶像と、熱烈な信者との間に、仏陀の化身・生き仏であるダライラマを生み出したことは、チベット人の生活の智恵と考えられる。多少の欠陥を内蔵したにせよ、喜怒哀楽を持ち合わせたダライラマに、人間的な親しみを感ずる。

さらにこの本の中で、ヒンズー教におけるシバ神信仰が強烈な理由について、次のように述べている。

シバ神は最強の神である。困った時には自分たちを助けてくれる。そしてこの信仰の根源はイグノーランス(無教育・不案内・物事を知らない)のためであると。

また、ガイドの言葉も記述している。「イグノーランスであることで、人々は幸せなのです。ようするに人間はいろいろな事を知れば知るほど新しい欲望が出てくるし、不満も出てきます。ここに(デカン高原のマハデーワ山)集まって来る人々は、大半がインドの地方、いわば田舎に住む素朴な農民達です。彼等の表情、その明るさを見てください。それはまさにイグノーランスゆえの幸せなのです」

これはヒンズー教に対する信仰の状況を述べたものであるが、ラマ教に置き換えればチベットにぴたりと当てはまる。

私もうすうす感じてはいたのだが、直接言葉に出しにくい内容であった。チベットの人々がラマ教を狂信的に信ずる根底には、イグノーランスの状況が存在していたと思いたい。

私がポタラ宮で体験した謎は、完全に氷解したわけではないが、かなりの部分を納得することが出来た。先進諸国の観光客が、大量にチベットやラダックに入国し、現地の人々との交流が頻繁に行なわれていくなかで、イグノーランスの状況は解消されていくものと思う。

幸福の度合いをはかる物指しは、目盛りがまちまちである。どんな状態が幸せであるかを判定することは、非常に困難である。

経済的な発展が幸福のバロメーターと錯覚し、純朴な心を捨て去ってきた先進国と、来世にのみ幸せを求め、現世の豊かさの追求を怠ってきたチベットやラダックの人々との狭間に、未来の幸せの方向が見いだせるのではないだろうか。