ミャンマー旅行記(インド外伝)

諸 貫 和 豊

今年のトレッキング前、村越先生と渡辺君と共にミャンマーを一週間程旅した。細かい計画は立てずに行った、行き当たりばったりの旅であったが、それ故の思いがけない出来事もあって、かえって思い出深いものとなった。

ミャンマーについて知ってる事といえば、軍事政権で、スーチーさんが民主化運動をしているという事くらいだったので、軍人さんが幅をきかせているようなイメージがあったのだが、あまりそんな事はなかった。むしろ、インドなどよりも町の雰囲気はのんびりとした感じだった。首都ヤンゴンはさすがに人も多かったが、それでもインドのデリーほど喧騒な感じではなかった。なによりインドと違って物売りがつきまとってこない。店に入ってもぼったくったりはほとんどせず、むしろ我々旅行者ににこにこしながら親切してくれるといった感じだ。なんとなく国民の性格的に日本人と似ている所があるような気がした。今回の旅では、何人かの気のいいミャンマーの人々に色々とお世話になった。そんな心に残る彼等の事をこれから書いてみようと思う。

まずはヤンゴンで泊まったBEST IN HOTELのボーイのおじちゃん。このホテルには日本からFAXを送っておいたので、かなり夜遅くに着いた我々を暖かく迎えてくれた。そのおじちゃんには特に闇両替でお世話になった。ミャンマーでは旅行者は闇両替が当たり前なので、このおじちゃんに頼んだらけっこういいレート(1ドル=140〜150チャット、銀行だと1ドル=約6チャット)で取り替えてきてくれた。他にも我々がロビーでくつろいでると、ジュースや葉巻を持ってきて色々と話をしてくれたり、ミャンマー語を教えてくれたり、おいしいミャンマー料理の店に連れてってくれたりした。とはいえ、けっこう調子の良さそうな所もあったので、闇両替の中間マージンでけっこう儲けていたんだろうけど、それ以上に我々の世話を焼いてくれた人だった。

続いて、ヤンゴンから鉄道で丸一日かけて行ったマンダレーで出会った家族。その日(7月30日)はお祭の日だったので、マンダレーヒルという寺院でも凄い人だかりだった。そこの入り口で写真を撮っていたのだが、カメラを向けると子供達は大喜びでポーズをとってくれる。そこで、弁当を食べていた家族の写真を撮ろうとすると、我々に座って一緒に食べろと言ってきた。そこで座ってみると次々とメシをよそってくる。そして、いつのまにか周りには人だかりができている。断るわけにもいかずおそるおそる食べてみると、けっこううまい。おいしそうな顔をすると周りの人々は大喜びしてくれるので、ついつい全部平らげてしまった。まあ、腹をこわすかもしれない危険性はあったが、ミャンマーの人々の素朴さを感じられてとてもよかったと思う。

最後にマンダレーからヤンゴンまで、バガン経由で我々を車で送ってくれた、ガイド兼運転手のおじさん。当初はバガンへは寄らずマンダレーからヤンゴンへ直接鉄道で帰るはずであったが、行きの鉄道(18時間、エアコンなし)でこりたのと、バガンにも寄ろうということになったのとで、バガンに寄って飛行機で帰ろうという事になった。そこでマンダレーのMTT(ミャンマー・トラベル・ツアーズ、国営の旅行会社)に行った所、我々がヤンゴンに帰る日には便がないという。どうしようかと相談していると、MTTの職員が「300$で日本語もしゃべれるガイドつき車(トヨタのハイエース、エアコン付き)をかしてやる」と言ってきた。なんかうさんくさかったが、結局、ポッパ山にある寺院(歩き方には載ってないが日本のミャンマー大使館に写真があった)に行くことを条件にOKした。

そして翌朝ホテルに迎えに来たのが、日本語どころか英語もろくに喋れないおじさんとエアコンの壊れたハイエースであった。しかし、この車での旅行はとても良かったと思っている。なぜなら飛行機や鉄道で観光地だけを効率よく回るのと違って、車でなら時間はかかるが小さな村などを通って人々の生活を間近で見る事ができるからである。実際豊かな田園地帯を通ったり、サバンナのような平原を走ったり、小さな村の茶店でお茶を飲んだり、そしてその度に運転手のおじさんに色々と説明してもらったり、車でしか出来ない旅行ができた。さらにバガンには広い地域に寺院が点在しているので車があったおかげで半日で有名な寺院をほとんどまわれた。そしてバガンで一泊し、次の日に丸一日かけてヤンゴンへたどり着いたのである。ヤンゴンのホテル前でおじさんと別れの握手をしたときは、丸二日共に旅しただけに悲しかった。

ともかく、わずか一週間のミャンマーの旅であったがとても思い出深いものであった。先にも書いたが、国民性に日本人と通ずるところがあるのか国自体にあまり違和感を感じなかった。これは同じ仏教徒ということもあるのかもしれない。また外国人旅行者もほんとに少なく、観光ズレしていないせいもあるかもしれない。しかし、今年はミャンマーの観光元年として国自体が観光業に力を入れているらしく、これから観光客も増えていくだろう。しかし、民主化運動をしているアウンサンスーチーさんは、民主化されてから旅行に来てくれと言っているらしいが。とはいえ、近い内にもう一度行ってみたい、とそんな気持ちがするミャンマーの旅であった。

最後に村越先生、渡辺君、色々とお世話になりました。また旅行行こうね。