インド観光記 + 所感

                      丹 野 和 信

 トレッキングを終えて、全員無事にデリーに帰ってきた。そのあと、宮内を除く若者たちに森田さんと福田先輩を加えた8人で、2泊3日の観光旅行に出かけた。日程の方はすべてサンジャイ氏が計画してくれ、今回はヴァーラーナスィーとカジュラーホーへ行く事になった。ヴァーラーナスィーでは、まずサールナートへ向かう。ここは、ブッダが初めて説法をしたところで仏教徒の聖地である。この場所は、芝生が広がる中に大きなストゥーパ(仏塔)があり、その周りに寺の遺跡がある。全体的な雰囲気は良く、ボーッとゆっくり過ごしたい時にはいいかもしれない。物売りの少年がいなければ・・。彼等は話に聞いていた通りしつこい。

 そのあと、シルク工場を見学し、待ちに待ったガンジス川に向かった。途中、かなり ハデな竹の担架を見た。きっと死んだ遺体を運んでいるのだろう。ガートに近い街中は、デリーに比べ幾分匂いがきつく、あまり広くない道に人が多くごちゃごちゃしていて、 その中に混ざっているのがなぜか非常に心地がいい。そして、ガートに着く。ここから 見るとガンガーは、まるで川の流れがないのではないかと思うほど、静かに流れている。かすかではあるが、雲の切れ間から夕日がさして、水面に反射している。綺麗である。 すでに夕方だからであろうか、残念ながら沐浴している人はいなかった。

 ボートに乗り、沖に出てみる。(船漕ぎのおやじたちは、凸凹コンビといった感じで、その中でオールを漕ぐ一人のしょぼくれたジジィはよく休むので、なかなかうまく沖に出ない。)ボートに乗って初めて気付いたが、意外にも川の流れは速い。また、ボートに乗って視点を変えてみると、色々なものが見えてきた。川で泳ぐ子供、川の水で口をゆすいでいる人、火葬されずに川に流された死体、川岸に引っかかって異臭を放っている死体、それから、火葬している場面も見えた。インドでは生があからさまであるが、それと同時に死の姿もまたあからさまであるということを痛感した。ボートの上で、柿沼先生の遺骨を、線香、花とともに川に流し、全員で合掌。冥福を祈る。

 帰りは馬車でホテルに戻る。今日は、大統領が来ているとかで全体的に道が混んでいて、帰りなんかはそのために道が封鎖され、しばらく動けなかった。そしてホテルに着き、ガイド人が馬方にお金を払うが、どうもお金が余りにも少なかったらしい。半分泣きながら、「もう少しお金が欲しい。」とお願いしている。一見怖そうで口うるさそうな親父がである。ガイドは、しぶしぶお金を馬車の上に置いていった。このとき、インドでの貧しい人々と金持ちの関係、そんなものを垣間みた気がした。  次の日の朝、カジュラーホーへ向かう。着いた空港でガイドを待つが、一向に来ない。とりあえずホテルに向かい、先にチェックインする。夜まで少し時間があるので、自分 を含めた数人で村へ遊びに行く。リキシャーに乗ると、横から自転車に乗った小さな子 供が寄ってきて、「村のガイドをしてあげる。」という。彼にまかしてみると、リキシャーと並行に走りながら、あそこに友達の何とか君の家があって何々をしているなど子 供らしいかわいいガイドをしてくれた。村の中心に着きリキシャーを降りると、わらわ らと人が集まってきて、「私の店を見に来て下さい。」と英語、日本語で話しかけてく る。このような大人数で客引きにあったのは、初めてである。それにしても、ここの村 人は日本語をうまく話せるのが多い。とにかく、この状況を切り抜けるため、近くの有 料の寺院に逃げ込む。客引きの兄ちゃんたちが諦めて帰った頃を見計らって、外へ出て 買い物をする。

 リキシャーに乗ってホテルへ帰ろうとすると、日本語の話せる兄ちゃんが寄ってきて 「明日、店に来て下さい。」と言うので、「Maybe」と答える。ガックリした表情 で「Maybe」ではなく絶対来て下さい。」「・aybe」そんなやり取りをずっとし ていた。彼は、「行くよ。」と言って欲しいらしいが、こちらとしても保証できないこ とに約束は出来ない。そうこうしているうちに、リキシャーが動き出す。彼は最後にこ う言った。「いつも『時間がない』『多分』と言う。私、日本人信じないよー。」と。 彼はどういうつもりで言ったのだろうか。彼の言葉は、今でも耳に残っている。  ホテルに戻ると、ガイドが来ていて空港にいなかった理由を聞いてみると、ヴァーラ ーナスィーのホテルのカウンターに「先にホテルに行くように」とメモを渡したらしい が、こちらには届かなかったらしい。そんな話しをしながら、ビールを飲む。

 次の日、村を観光しに行く。その中には昨日逃げ込んだ寺もあり、そこでヨーロッパ 人風のおばさんに「古い遺跡などを見るときは、時計回りに見なければならない。」と 注意されてしまった。ヒィアリングはあまり得意ではないのでよくは分からなかったが、なんでも、逆に回るとここの時間が戻ってしまうとかそんなことを言っていた。そんな ことも知らない自分が、少々恥ずかしく感じた。気を取り直して、この寺で有名なエロ ティックな彫刻を見る。ちょっとやばい交合像を見て盛り上がる。

 観光し終わったあと、ホテルに戻ると、飛行機が遅れているとの情報が入り、しばら くホテルで待機する。そして空港へ行くが、まだ飛行機が来ない。いつもの事だと思っ て、気長に座って待っていたが、さすがに飽きてきて幼稚な遊びをしながらなんとか暇 をつぶした。周りにいる一部の外人達は、変な目で見ていた。結局、5時間遅れで出発。しかし、そのおかげで思わぬ収穫があった。それは、飛行機の中からデリーの夜景が見 られたことである。とても綺麗なので、思わず見入ってしまった。なんか得した気分で ある。  そうして、我々の旅行は終わった。

*終わりに   今回、初めてインドへ、また海外へいったわけだが、行くにあたって幾つかの事を考 えた。まずは、初めてのインドなので、トレッキング前、更にその間くらいは体を壊さないように心掛けること。また、インドに対して可能な限りあさはかなイメージを持た ないこと。(そのため、必要最低限のもの以外の知識は、あえていれなかった。)そし て何よりもインドを楽しむ事である。これらのことは、初めての人なら誰でも思うこと だろうが、そんな単純なことを目標にして旅に出た。  初めてインド人に話しかけられたとき、うまく会話できなかった。多分、緊張と語彙 力のなさが原因であろう。聞きたい事があっても口からでてこない。すぐに話が途切れ る。そして会話がなくなる。思いどうりに会話できないのが、非常にいらだたしい。

 きっと自分と同じような人間が通ったであろう壁にぶちあたる。しかし、その壁が崩 れはじめるのに、そう時間はかからなかった。それは、陽気なインド人達のおかげであ る。言葉で会話できなくてもジェスチャーでもどうにか会話できるというのをライブで 教えてくれたように思う。これにより「よし、いける。」という思いがしてきて、それからの旅を気楽にさせてくれた。

 ラダック地方やザンスカール地方まで来ると、デリーとはまるで別世界になり、インドにいるという感じがしない。壮大な景色にいつも圧巻される。村を通り過ぎる度に、 近くにやってきて手を振る子供達に手を振り返す。時には、お互いの手と手を「パチン」と当てたりする。そこでささやかな交流を楽しむ。そして、何度も「この壮大な景色の 中にある村で、しばらく住んでみたい。」と思う。特に何かあるわけではないのだが、なぜかそういう気分にさせられる。残念ながら、あまり現地の人とふれあうことはでき なかったが、それでも結構楽しめた。

*ここインドは、日本に帰ったら話のタネになるようなことが毎日起こるとても面白い国だ。不幸(?)にも、インドがお気に入りの国の一つになってしまった。旅行を終わってみてまず、初めてインドに行かせていただいたのに、こんなおいしい 旅をさせていただいたことを、大変感謝したい。当初の自分の目的は、だいたい達成されたと思う。しかし、今回の旅だけでは、まだ言葉や文章に表現できるほどの経験をしていない。そう、まだまだインドに行き足りない。もっと色々な意味で、深く関わりたい。そして、何かを得て、感じたい。既に、次のインドへの旅についてのプランは練ってある。だが、いつの日のことになるかは全く分からない。この次インドを訪れるとき、はたして何が待ち受けているのであろうか。