1999年 7/258/22インドヒマラヤ登山隊
(ラホール山域6184m無名峰)

登山報告   隊の構成行動記録   グーグルアースで見る


ご挨拶
                     隊長 澤入 保忠

過去9年間蓄積してきたインドヒマラヤトレッキングの成果に基づいた、『同人』結成以来初めての海外登山は、昨年の偵察で設定した「あの氷河を登って、その奥にあるピークを登攀する」と言う課題を達成することができました。

しかし、もう一つの目的としていた「未踏の無名峰6184mへの登頂」という課題を果たすことは、残念ながらできませんでした。これは、偵察時点で設定した氷河そのものが無名峰6184mへ続くものとは異なり、6184m峰への氷河を取り巻く尾根の一部にできた副次的な氷河で、計画段階で我々が入手した衛星地図(30秒メッシュ)にも記載されておらず、地形的に多少の疑念を抱きながらも、これを6184mに続く氷河と誤解してしまっていたことが原因です。

更に、我々の計画した地域については、地図情報の完全な空白域であり「マナリの登山学校」における(1/50000地図)にも記載されていないことも付記しておきます。

このような地域の登山を計画するとき、いろいろな手法がありますが、偵察にかける時間的な余裕と情報収集の手段の少ない我々の場合は、「偵察時の視覚情報(写真)」に基づく計画というアバウトなものにならざるを得ませんでした。

計画を進めてゆく時点でも、日程・現地要員の計画などでの判定材料として、現地との折衝の際使われていたのは「写真」情報でした。

このような経緯から、登山の開始時点でのガイド・ハイポーターの対応も当然のように偵察時に決めた「氷河」を対象としてのものでした。その結果の所産が「あの氷河は登ったが、6184m峰には登れなかった」ということなのです。

詳細な情報の得られないままの計画で実行した登山でしたが、それにしても最高到達高度5600mのピークを5人もの人間が踏みました。天候の悪化が予想され、一次のサミットでうち切らなければ、この人数はもっと多くなったと思います。

会として初めての海外登山でもあり、会員の皆さん、関係する地域の皆さんから、大変多くのご援助、ご声援を頂き、誠に有り難う御座いました。登山報告と併せて厚く御礼申し上げます

終わりに、今回の登山を契機にして、一度ねらった6184m峰にこだわった、計画の整った登山も今後の課題として行きたいと思います。宜しくご指導賜りますようお願い申し上げます。

 

隊の構成

隊長

澤入 保忠 

 的確な判断・統率力でアルピニストの本領を発揮。終始一番元気で、キャンプでは釜揚げ素麺で皆の心と身体を癒してくれた。

副隊長 装備

相澤 鎮夫 

 裏方に徹しつつも、明解な言動で結果的には重要な牽引力となる。苦しいモレーン上の荷揚げには何度も先頭に立つ。

副隊長 記録

山崎 晃 

 行動中ビデオ、カメラを駆使して活躍。氷河上では往年の心身を再生させた。美しい挿し絵は皆の気分を高揚させた。

登攀隊長 総務 

村越 昇 

 登攀・組織運営の最前線で精力的に活動した。当会の欠くべからざる人物。次回遠征でも、核となるであろう。

記録 渉外

高荷 信夫  

 英語力で難しい交渉や現地スタッフとの意志疎通に活躍、寡黙だが、目立たない気配りが後で効いてくる貴重な存在。

医療 会計

豊島千恵子 

 小柄で静かな存在であるが、心身タフでおおらかな紅一点。朝夕の健康チェックを楽しみながら受けることが出来た。

総務 会計

石川 邦彦 

 パソコンを駆使して情報を収集し、煩雑な申請や業者の交渉をまとめ上げた。穏健な印象だがなかなか情熱的。

輸送 食料 

福田 和宏 

 誕生日に登頂し、パンケーキで祝福された。忙しい中学の先生。技術トレーニングの遅れを最後まで独習していた。

装備 輸送

安藤 太郎  

 環境問題に詳しい緻密な理論派の力量が装備担当として発揮された。優しい気配りで心身を癒された隊員が多い。

記録 医療

宮内 浩志 

 山旅大好きな地球物理学専攻院生。粘り強さで結局課題をやり遂げ、村に入るといつも子供達に取り囲まれている。

装備 輸送

本田 

 "本田がいない"の長老達の心配をよそに、岩陰の植物を見つめているマイペース派。氷河の登肇では力量を発揮。

食料 会計

KA

 その探求心と情熱で準備段階から隊の先頭に立っていた。高所での食糧を成功させた。

リエゾンオフィサー ガウリ・スウィニ    ガイド(サーダー)パサン

ハイポーター プラカッシュ 、 ディナナク

キッチン ラタン

ポーター オンパルカッシュ、 スレンダー


行動記録

7/25先発7名出発  成田→デリー

7/26
   2名(村・高)デリーでの登山手続き(31)
5名(澤・相・宮・本・K) デリー→マナリ

7/27
28マナリで準備活動

7/29
31高度馴化トレッキング(バララチャ方面)  

7/31
後発5名(山・豊・石・福・安) 成田⇒デリー 村・高と合流しチャンディガルへ

8/1
後発5名と村・高 チャンディガル⇒マナリ
全員マナリに集結

8/2
   マナリで準備活動

8/3マナリ⇒ジスパ

8/4ジスパ⇒チッカ→パラモ→ザンスカル・スムド手前のキャンプ地

8/5キャンプ地→BC(4100m福・安・本は上部4300m付近まで偵察

8/6 曇り時々雨  村・宮・KはBC→ABC(4500m)
 左岸を詰め、氷河舌端を左から巻いて、細かな石粒に覆われた氷河上にでる。落石の危険のない上部をABCに決定。

他の隊員はデポ地(4400m)まで荷揚げ
 先行隊の付けたガレ場続きルートを行く。ガイドの作ったケルンが、これほど頼もしく思えるとは。

8/7 曇り時々薄日、または雨
村・宮・KはABC→C1(4980)
 急傾斜のモレーンのガレ場、グズグズの斜面、まさに一歩一歩、深呼吸を繰り返しながら慎重に登る。C1予定地に着いたときはフラフラだった。

相・福・安・本はBC→ABC
 昨日のデポ地を通過、氷河を割って流れる融水の渡渉にてまどる。

他はBCで休養

8/8 晴れ  宮・KはC2偵察
 天候良く、行動に最適な日となる。氷河上の雪はザラメで、ブラックアイスもさほど固くなく、アイゼンがよく利く。所々クレバスがあり、避けながら登る。右手の雪壁にフィックスをはる。登り切った所をC2とする。ここからピークが望めた。

相・福・安・本はC1へ荷揚げ後ABCへ(本はC1にとどまる) 
他の隊員はBC→ABC

8/9 曇り時々雨 村・本はC2(5500m)
 昨日偵察の予定地より100m上部にC2を決定。夕方より本田に高度障害がでて、隊長及び医療係と対応を協議、明朝まで様子を見ることに。

宮・KはC1で休養
相・山・高・豊・福はABC→C1
澤・石・安はABCで休養

8/10 曇り時々雨(上部は雪) 村・本はC2から、宮・K・福はC1からピーク(5600m)登頂
 本田の体調が回復。村越とともにピークへ、午前11時登頂。視界不良。宮内・は午前4時にC1を発ち、ピークにて合流。C2へ下山。その後、福田がピークへ向かう。明日以降の天候悪化が懸念されたため、C2を撤収。

澤・石・安はABC→C1
相・山・高・豊はC1で休養
隊員全員C1に集結。

8/11 晴れ、夕方より雨 澤・相・山・高・豊・石・安は氷河上5300m地点へ

村・福・宮・本・KはC1で休養

午後全員でC1撤収、ABCへ

8/12 曇り時々雨 ABC撤収→BCへ

8/13 雪、みぞれのち晴れ BC撤収→パラモ キャンプ地

8/14パラモ→チッカ⇒マナリ 山荘アシュラム帰着

8/1518マナリに滞在 村は急病で8/16夕方マナリ発、8/18帰国

8/19マナリ⇒デリー

8/20デリーに滞在

8/21デリー→(機中)

8/22→成田      

氏名略字  澤=澤入 相=相澤 山=山崎 村=村越 高=高荷 豊=豊島
 石=石川 福=福田 安=安藤 宮=宮内 本=本田