熊谷トレッキング同人 国内山行記録
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北海道の山旅ー大雪、利尻、知床 |
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【個人山行記録】 |
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期日:2014/06/29~7/19 参加者:山口、会員外1名 ①大雪山系~十勝山系縦走(黒岳~トムラウシ山~オプタテシケ山) ②利尻岳 ③知床縦走:硫黄岳~羅臼岳 6月29日(日)から7月19日(土)の21日間で、北海道の3つの山域に行ってきた。リーダー(会員外)と山口の2名のパーティーで、大雪と知床は縦走、利尻岳はピストンで、基本はテント泊。 荷物の重さと歩行時間の長さ、ヒグマの心配などがあり、歩き通せるか不安であったが、幸運にも天候に恵まれ、予定した3つの山域をすべて歩くことができた。 今年5月の剱岳登頂に至るまでにも、半年以上にわたって、浅間山、安達太良山、北横岳、西大巓、谷川岳(雪上訓練)、猫魔岳・雄国沼、鳥海山とトレーニングを続けて来たが、それらはすべて雪道だったので、膝には優しかった。 しかし今回は、右膝の前十字靭帯を切ってから初めての夏道での縦走である。北海道行きの直前に、少し重めの荷物をかついで蓼科山と縞枯山に登って、ゴロタ石の5時間歩行を連続2日間続けても大丈夫なのを試してからの出発であった。 北海道へはフェリーで移動。事前に基本情報は準備したものの、移動後に現地での情報収集を欠かさないようにし、一旦入ったらエスケープルートは無いに等しい所なので、2009年のトムラウシにおける事故も考えてより慎重な天候判断を心がけた。 今回の山行では、第一目標を大雪縦走に置いていたので、30日早朝の小樽着後、即、層雲峡に向けて出発した。途中、美瑛町でヒグマと天候などの情報収集と、山行用のパンを購入。上川町で交通手段についての情報収集をした。この二つの町で基本的情報は入手できたので、予定していた旭川には立ち寄る必要がなくなり、一路層雲峡を目指し、明るいうちにロープウェイPに着くことができた。 早速、ビジターセンターに行き、天候とヒグマ情報を得る。職員の方の説明では、上空の寒気が抜け、ここ1週間は絶好の登山日和だろうとのこと。また、ヒグマの住んでいる所に入って行くのだから、ヒグマには出会って当然と考え、出会った時には慌てずゆっくりその場を離れるようにとのアドバイスを受ける。 好天が続くとの判断で、即、翌日から入山と決め、早速ロープウェイ駅売店で熊よけの鈴を購入し、夕食と入山準備を終え、翌朝6時発の始発のロープウェイで出発することとした。 ①大雪山系~十勝山系縦走(黒岳~トムラウシ山~オプタテシケ山) 山行形態: 縦走、テント3泊、避難小屋1泊 日 程: 2014/7/1(火)~7/5(土) 第1日:7/1(火)晴れ 黒岳ロープウェイ6:00 = (0.07) = リフト6:25 = (0.15) = 7合目リフト -- 登山口6:50 -- (1.49) -- 黒岳1984m 8:39/8:55 -- (0.20) -- 黒岳石室9:15/9:25 -- (1.55) -- 北海岳2149m 11:20/11:30-- (1.10) -- 白雲岳分岐12:40/12:55 -- (0.35) -- 白雲岳2230m 13:30/13:40-- (0.28) -- 白雲岳分岐14:08/14:15 -- (0.25) -- 白雲岳避難小屋1990m 14:40(テント泊) 総行動時間:8時間40分 総歩行時間:6時間42分 ロープウェイとリフトを乗り継ぎ、登山口へ。登山届を提出。登り口で2匹のシマリスと出会う。黒岳までの登山道は結構雪が残っていて、トラバースも1箇所あったが、雪が残っている方がかえって歩き易い。 リフトに乗った時から沢山の花に迎えられたが、黒岳石室周辺からは、さらに本格的なお花畑の始まりで、思わず声が出てしまう。しかし後から考えれば、そこはまだ入口の門のようなものであったと思う。先に進むにつれて、こんな世界があったのかと思うような、まるで異次元の空間にいざなわれて行く。 特に、北海岳から白雲岳までの空間は格別だった。高さが1cm位の小さなイワウメの花がまるで絨緞を敷き詰めたかのように目の届く限り、はるか果てにまで一面に咲き誇っている。その白の中に所々に鮮やかなピンクのツガザクラとエゾコザクラの群落、そして紫がかったエゾオヤマノエンドウの群落。視線の届く限り、そして歩いても歩いてもその世界が続く。この圧倒的な世界の中に、我々以外に人は誰もいない。震えが来るような、鳥肌が立つような圧倒的な空間…。アイヌの人々が「カムイミンタラ」(神々が遊ぶ庭)と呼んだことがよく分かる。本当に神々が喜びの歌を歌い、音楽を奏で、踊っているようだ。それ以外に呼びようがないのだ。日本庭園だのロックガーデンだのと名付けることが、逆さまなのだ。圧倒的な自然は、どんな名前も超えてそこに存在している。 途中、白雲岳方向から来た環境省の調査委員の2人の人と出会い、花の名前を教えてもらう。今年の花の美しさは格別だから大いに楽しんで行って下さい、毎年このようにきれいとは限らないのですからと言われる。彼らも我が子を自慢するかのように、嬉しくて仕方ないように見える。 雪渓を何回か渡るが、殆どの雪渓はベンガラやロープで道案内されている。印の無い雪渓が1ヶ所あったが、対岸を探るとすぐにルートは分かった。ただし、ガスっている時には注意して探すことが必要になるだろう。最後の白雲避難小屋のテント場へも雪渓を渡って到着するのだが、何の印も無かった。ガスって行く手に小屋が見えない場合は、ちょっと苦労するかもしれない。 白雲岳避難小屋のテント場でテント泊。小屋泊の人は多いようだったが、テントは3張だった。 第2日:7/2(水)晴れ 白雲岳避難小屋1990m5:10 -- (1.00)-- 高根ヶ原分岐6:10-- (2.10)-- 忠別沼8:20/8:47 -- (0.50)-- 忠別岳1962.8m 9:37/9:42 --(0.33) -- 忠別岳避難小屋1620m分岐11:15 -- (0.50) -- 五色岳1868m 12:05/12:30 -- (1.22) -- 化雲岳1954.4m 13:52/14:10 -- (2.10) -- ヒサゴ沼避難小屋1600m 16:20(泊) 総行動時間:11時間10分 総歩行時間:8時間55分 長時間歩行なので、早出。途中、五色岳の前後では初めてのハイマツ漕ぎ。化雲岳に至る道は再びカムイミンタラ(神々の遊ぶ庭)であった。その中で、ザックの胸の所に下げた熊よけの鈴がリズミカルに鳴り出した。まるで誰かが演奏しているかのようだ。風のせいなのか。それまでとはまるで違う鈴の響きがずっと続く。辺り一帯に神々が遊び、その喜びが伝わって来るようであった。 最後のヒサゴ沼避難小屋近くの雪渓のトラバースでは、緊張して予想以上に時間がかかってしまった。化雲岳からトムラウシへの縦走路からのヒサゴ沼への分岐点は2ヶ所ある。分かり易そうな下の方の分岐を安全のために選んだつもりだったのだが、やっと沼までの雪渓を下ったと思ったら、さらにもう一つ別の雪渓に行く手を塞がれ、そこをトラバースをしないと避難小屋には行き着かないことが分かる。万一滑って沼に落ちたら命の危険にさらされる。ビビってしまい、念のためにザイルで確保してもらって無事に小屋に到着したが、先着の人に重装備だと笑われてしまった。その人の話では、もう一方の上方の分岐からの道も、途中の雪渓で道が分からなくなり、小屋の場所が分からず、着くのに苦労したとのことだった。夏道と違って、雪はどこをどちらへ歩いても自由だから、その分、自分の判断にすべてがかかってくる。その晩、ヒサゴ沼避難小屋に泊まったのは5パーティーで8人。優雅にゆったりと過ごせた。 2009年の事故の本を読んで、ヒサゴ沼とそこの避難小屋には暗いイメージを持っていたのだが、好天のヒサゴ沼は、あたり一帯に透明感と輝きがあって、上品な美しさを持つ貴婦人の姿のようであった。夕方水場に水を汲みに行くと、澄み切った柔らかな風の中に湖面が軽くそよぎ、気がついたらエゾシカが一匹こちらをじっと見ている。夕陽を浴びて、何だかどこかよその国にでもいるかのような、きれいな光景だった。避難小屋の状態も良く、2009年の事故当時、雨が吹き込んで眠れなかったという話がウソのように快適だった。山は人間にとって天候次第で天国にも地獄にもなるのだということを改めて思わせられた。 第3日:7/3(木)晴れ ヒサゴ沼避難小屋6:40 --(1.00)-- 分岐7:40 -- (0.50) --日本庭園8:30/8:45 -- (1.22) -- 北沼分岐11:07 /11:22-- (0.45) -- トムラウシ山2141.2m 12:07/12:59--(0.35)- - 南沼キャンプ指定地950m13:34(泊)総行動時間:6時間54分 総歩行時間:4時間32分 この日は、コースタイム3時間半という中休み的な短時間のコースなので、他のパーティーが出発してしまってからゆっくり最後に小屋を出た。 前日と同じ雪渓を登り返して、トムラウシへの登山道と合流する。念のためと時間節約のため、雪渓登りだけ、またザイルを出してもらう。 日本庭園、ロックガーデン、北沼分岐などでゆっくり時間をとってあたりの景色を楽しむとともに、またあのトムラウシでの事故を反芻する。 トムラウシ山頂には、ゆっくり到着だったため、一帯がガスってしまって、展望はきかなかった。しかし、数十年来の憧れの山だったので、そこで出会った人達と山談義しながら、いつになくかなりゆっくりと時間を過ごした。 その夜のテン場であるトムラウシ直下の南台キャンプ指定地は、絶好のロケーションにあった。眼前にはトムラウシがそびえ、雪渓下のお花畑の中がテント場で、真ん中を雪渓解けの小川が心地よい音をたてて流れ、良い水場となっている。水の流れの先はトムラウシ温泉方向だ。この日はテント4張り。前日は1張りだったそうだ。 第4日:7/4(金) 晴れ 南沼キャンプ指定地1950m 4:15 --(1.42)-- 三川台1749m 5:57/6:27--(1.33)-- ツリガネ山麓1650m 8:00/8:20 --(2.50)-- コスマヌプリ1626m 11:10/11:25 --(1.20)-- 双子池キャンプ場1400m 12:45(泊)総行動時間:8時間30分 総歩行時間:7時間25分 付記: この部分のコースタイムについては、昭文社の5万分の1地図『大雪山、十勝岳・幌尻岳』と『山と渓谷』2014年1月号付録の「山の便利帳」では、特に大幅に異なるタイムが書かれている。以下の通り。 ①南台キャンプ指定地→三川台: 2:20(昭文社) 1:40(山渓) ②三川台→コスマヌプリ : 4:30(昭文社) 2:40(山渓) ③コスマヌプリ→双子池キャンプ地: 2:30(昭文社) 1:50(山渓) 計9:20 6:10 上記のように、ほぼ3時間の違いがあり、キャンプ地の選定をめぐって、当初は非常に判断に困った。(結果的には、我々のタイムでは、①の区間は山渓、②の区間は昭文社、③の区間は短い方の山渓よりさらに30分 短いという結果だった。トータルの歩行時間は、両者の中間の7時間25分だった。) この日は眼下のトムラウシ温泉方向に広がる朝焼けの雲海を見ながらの早朝の出発だった。付記したように、コースタイムに3時間も差があるし、未知の道なので、早立ちとした。 南台キャンプ場から十勝山系方向に分れてからは、殆ど人に会わず、その日の8時間半の行動中で、オプタテシケ山の方からのパーティー1組(3人)と、同方向の単独行の1人、計2組4人に会っただけだった。朝早くは展望のよい尾根歩きが続き、右手から後方にかけては旭岳方面からトムラウシまでが見渡せる。振り返ると大きなトムラウシの後ろから朝日が燦然と輝き、あたり一面が朝もやの中で筋状に光を受けていて、思わず、快哉をあげてしまう。こっちの道を来られてよかったと心から思う。 三川台以降は標識が無く、山の名前も特定できず、果たしてどのピークがツリガネ山だったのか、コスマヌプリだったのか、地図と見比べて推測する以外になかった。(つまり、三川台の標識以降、オプタテシケ山頂までは、基本的に標識は何も無い。)いかにも北海道らしいところという感じであった。 双子池キャンプ場も然り。何の標識も無い。大きな雪渓の麓にわずかにテントを張った跡が2、3箇所あるだけである。その先に進むと大雪渓の登りになってしまうから、おそらくオプタテシケ山の登りであろうから、ここがテント場だと判断。途中ですれ違った3人のパーティーが前日にテントを張ったと思われる、少し乾いているサイトにテントを張る。熊笹の茂みに接した、いかにもヒグマでも出てきそうな場所だが、そこが最良のサイトなのであった。 夕食後、時間的に余裕もあったので、リーダーが、ガスって見えない雪渓の上の方まで出かけて翌日のルート探しを済ませてくれる。翌朝はできるだけ早く出発することにした。 テントは2張。途中で出会った単独行の男性が、我々が双子池にテントを張るというのを知って、その日に美瑛富士避難小屋まで行くつもりだったのを取りやめてここに一緒にテントを張ったのだ。それくらい、ここは一人でテント泊する気にはなれないような場所であった。 第5日:7/5(土)晴れ 双子池キャンプ場4:45 --(3.00)-- オプタテシケ山2012.5m 7:45/8:10--(1.30)-- ベベツ岳1860m 9:40--(1.15 )-- 美瑛富士避難小屋1654m10:55/11:50 --(1.50)-- 天然庭園1230m13:40/14:00 --(1.35)--美瑛富士登山口830m 15:35/15:45 = (0.20)= ゲート= (0.05) = 白金野営場前600m 16:10 総行動時間:11時間25分 総歩行時間:9時間10分 この日はガスっていて、あまり視界がきかなかった。その中をただひたすら登る。オプタテシケ山はかなりの登りだとは聞いていたが、最初は雪渓、次は長いお花畑、そして岩稜を登る。北海道の登山道は直登が多いと感じていたが、この山もその典型だった。視界が効かない中、いくつもの偽ピークにがっかりしながら、3時間でやっと頂上に着いた。ここで三川台以来初めての標識に出会った。 白金温泉側からはオプタテシケ山に登ってくる登山者が多く、久しぶりに大勢の人に出会う。それと同時に、オプタテシケ山が人気のある山だということが分かり、嬉しくなる。いい山だ。 私は、下山途中、軽く足をひねってしまい、20分位休憩をとった。その後無事に登山口まで下山。 最後は他の登山客の車に同乗させてもらって、コースタイムで1時間40分の歩きをカットしてしまった。反省…。 ②利尻岳 山行形態: ピストン、テント泊 日 程: 2014/7/9(水) 7/9(水)晴れ 利尻北麓野営場200m3:35 -- (4.06)(休0.20)-- 長官山1218m7:41/7:50 -- (1.53)-- 利尻山1721m9:43/10:30 -- (2.02)-- 長官山1218m12:32/12:50 --(2.40) (休0.25)-- 利尻北麓野営場15:30 総行動時間:11時間55分 総歩行時間:9時間56分 (→:5時間39分、←:4時間17分) 北麓野営場には鷲泊からタクシーで1600円ちょっと。野営場には何と、ウオッシュレットのトイレまである。水道の付いた炊事場に、きちんと分別された大きなきれいなゴミ箱もある。 管理事務所に登山届けを出して野営の手続きをする。管理人さん夫婦はとても気さくな人で、夕方のちょっとした晴れ間に、「利尻の頂上が見えるよ!」と声をかけてくれて、見え易い地点まで案内してくれる。木々の合間から利尻の頭がよく見える。明日の好天が期待できる。 早朝、明るくなる前に出発。長かったが、長官山まで登ると利尻岳が大きな姿を見せる。実にきれいな姿。見事だ。上部はガレていて、一部かなり崩壊して細くなっている。そのうち利尻には登れなくなるのではないかということを登山者が話していた。登山道の崩壊をくいとめようと、地元のひとによってよく手が入れられているのが分かる。 頂上に着くと突然お花畑が現れる。狭いところだが、20人位はいられそうだ。所々に雲はあるが、次々とあちらこちらの方角が晴れ、海までの展望が得られ、港が見える。礼文島も見えた。利尻岳は海から直接そびえる山だけあって、抜群の高度感だ。花と残雪と緑と岩、そして空と海の青さと白い雲。至福の時だ。 いつになく頂上でゆっくりしたが、登って来る人が多くなり、頂上を譲ろうということで下山開始。 途中、ガレ場にリシリヒナゲシの花も発見できた。膝をいたわりながら時間をかけてゆっくり下り、北麓野営場に3時半に到着した。 地元に「こまどり会」というボランティア組織があって、利尻岳を守る活動をやっているという説明を鷲泊の港で受けていた。「こまどり会」というのは、コマった問題をトリ除く会ということなのだそうだ。下山後、1000円の募金をしてコマドリのバッジをもらって来た。 ③知床連山縦走:硫黄岳~羅臼岳 山行形態 縦走、テント泊 日 程 2014/7/14(月)~7/16(水) ウトロには12日に到着。すぐに情報を集め始めるが、入山を羅臼岳側からにするか硫黄山側からにするか、なかなか決められない。一番の問題は入山にタクシーを使うのか、下山後にタクシーを使うのかということである。ウトロにはタクシーは一台しか無いとのことだ。それに携帯も通じないとのこと。 歩くことも考えられるが、ヒグマにも遭遇しやすいとのことだし、現地に行ってみなければイメージもわかないので、翌13日を下見と情報収集に充てることにした。 13日は予定通り、まる一日を使って下見と情報集め。知床自然センターに寄って、天候、ヒグマ、フードロッカーの使い方などについてレクチャーを受ける。センターにはフードロッカーの見本も置いてあり、それをあらかじめ見ることが出来たのは、後で実際にテント場を探す時の目印にもなって非常によかった。 その後、カムイワッカ湯の滝まで行き、登山口を下見。ここにはゲートが設けられていて、申請書を出さないと通れない。出発前にネットで用紙をプリントアウトして持参していたが、その場にも申請用紙は沢山備えられてあった。エゾシカが全く逃げようともしないで草を食べたり、我々を見たりしていた。 ここでは携帯が通じないことも確認したので、時間が確定しない下山にタクシーを使うのは難しいと判断して、早朝にタクシーを使って硫黄山から入山することにした。即、タクシーを予約。ヒグマのことを考えて、早すぎないように予約時間は6時にした。40分位でカムイワッカ湯の滝に着くとのこと。入山準備を整え、明日に備える。 第1日: 7/14(月)晴れ ウトロ道の駅6:00 = (0.40) = カムイワッカ湯の滝・登山口6:40/6:50 -- (6.44) -- 硫黄山直下の分岐13:34 -- (0.56) -- 硫黄山1562.5m14:30/14:44 -- (1.16) -- 第1火口テント場16:00(泊) 総行動時間:10時間 総歩行時間:8時間56分 (記録が大雑把で、細かい時間記録はとっていない。) 知床縦走の中で一番ワイルドでハードなのが、硫黄山であった。途中、ルートを間違えそうになったり、背丈以上もあるハイマツ漕ぎが2時間近く続いてヤニだらけになったりした。沢や雪渓登りがあったり、大きなヒグマの糞を見て緊張したり、縦走路から30分も中に入ったテント場を見つけるのに苦労したりもした。 しかし、9時間近くかかって到着したテント場は、まさに自然の作り出した円形劇場だった。背後には、硫黄山をはじめ、これから歩いていく知床連山の山々がぐるりと囲み、眼前には一面の雪渓。その贅沢な環境の中に、テントは我々の1張だけだ。広々と開けている場所なので、夜中にヒグマが現れる感じもあまりしない。 キタキツネが餌を欲しがってじっと待っている。こんな奥にまで登山客に餌を求めて来るのかと 思うと、野生を失ってしまった彼らが哀れで仕方ない。餌をもらえないと分かると諦めて姿を消した。 第2日: 7/15(火)晴れ 第1火口テント場5:10 --(0.38)-- 第1火口への分岐5:48 -- (1.44) -- 知円別平7:32 -- (2.20) -- 南岳 -- 二ツ池キャンプ場9:52/10:20 -- (0.44) -- オッカバケ分岐11:04/11:15 -- (1.50) -- サシルイ岳13:05/13:45 -- (0.45) -- 三峰キャンプ地14:30 総行動時間:9時間20分 総歩行時間:8時間01分 いよいよ知床連山の縦走。しかし、5山のうち、ピークを踏めるのはサシルイ岳だけ。あとはピーク近くをトラバースしてしまう。例えば、知円別岳なども、すぐ手が届きそうなところにピークがあるのだが、挑戦してみるとハイマツが生い茂っていて、道は無い。無理して突っ込んでも、2時間くらいはかかってしまいそうだ。 サシルイ岳からはこの日泊まる三ツ峰のキャンプ地が見える。人が2人いて、テントサイトを検討しているようだが、出発してしまった。今日もまた我々だけだろうか…。14時半に着。早速テントを張る。 15時、三ツ峰方向から男性に率いられた女性二人のパーティーが現れ、テント設営。今夜は少し安心だ。(後で、このパーティーと一緒に話しているうちに、この男性は、かつてK2の無酸素登頂をはじめとして、いくつもの8000メートル級の山を制覇した戸高雅史氏だと判明。私はちょっとした縁があって、顔に見覚えがあったので、つい名前を尋ねてしまって判明したのだ。) この三ツ峰キャンプ地からは、オホーツク海に沈んでいく素晴らしい夕陽が見られた。夕陽の柱、サンピラーとでも言うのだろうか。海面に縦に夕陽が映って柱のようになっている。最後に、雲の中に隠れていた太陽が下の部分から現れ始め、全体が見え、そして海に沈んで行く。刻々と姿を変えて行く夕日をみんなで1時間近くにわたって見つめていた。 第3日: 7/16(水)晴れ 三ツ峰キャンプ地5:00 -- (1.05) -- 羅臼平1350m 6:05 -- (1.43) -- 羅臼岳1661m7:48/8:25 -- (1.05) -- 羅臼平9:30/9:45 -- (2.20) --極楽平12:05/12:30 -- (0.57) -- 木下小屋・岩尾別温泉13:27 総行動時間:8時間27分 総歩行時間:7時間10分 5時発。戸高さんがテントから顔を出して声をかけてくれた。三ツ峰の鞍部を越えて羅臼平へ。ヒグマ対策として、羅臼平にテントを張ってその中に荷物をデポ。食べ物はフードロッカーに入れる。軽くしたザックを背負って羅臼頂上を目指した。朝6時。下の登山口からの登山者はまだ届かないから、誰もいない。最後の岩の登りを終えて頂上には8時前に着く。殆ど360度の展望で、これまで縦走して来た知床連山の峰々が、硫黄山を先端にして、ずっと連なっているのがよく分かる。ウトロ側も羅臼側もよく見える。国後島は爺爺岳も見える。羅臼側は海の上が雲海におおわれ、ちょうど天地創造の場面ででもあるかのような世界だ。その雲海も息づいて動いている。 山頂を独占して30分以上過ごしているうちに、登って来る人の鈴の音が聞こえはじめたので、羅臼平に戻る。羅臼平でテントを干して気持ちよく乾いたところで出発。今回の北海道山行の最後を慎重に下り、全行程を無事に終了した。 この山行では、よい山を歩けたということと同時に、ヒグマとの日常的な共存という難しい課題に取り組んでいる知床財団の職員の方たちの並々ならぬ努力と質の高さに触れることが出来た。そして町全体でその問題に取り組んでいる地元の人たちの姿にも触れることが出来た。 行くまでは、地図の上でトレースするだけの世界だったのが、まるで変わって自分の中に入ってきてしまった感じがする。私にとって知床はぜひまた訪れたいところになってしまった。 なお、北海道はエキノコックスのために全域で生水が飲めないので、飲料水用には水を60度以上に煮沸しなければならない。その為、思った以上に燃料を使うので要注意。因みに、今回の大雪の4泊5日の行程では、大きい方のガスカートがほぼ終わりかけてしまった。飲料水の確保を考慮して、燃料の量を慎重に決める必要がある。 ************************************************ 付記:3つの山域全体を終わってみて、計画をともかく無事に果たすことができたのは: 第一に天候に恵まれたこと、 第二にトレーニングを積み重ねて来たこと、 第三に登高意欲を高く持ち続けたこと、 以上の3点によるものだと思っている。 これからもトレーニングを続けて、できるだけ長くよい山をやって行きたいと思っている。(山口記) |