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月日 |
曜日 |
行 程 |
備 考 |
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1 |
8/1 |
(木) |
成田→(JL471)→デリー |
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カニシカ身売りの為パークホテル |
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パークホテル泊 |
サンジャイ氏と会食、村越先生を偲んで黙祷 |
2 |
8/2 |
(金) |
デリー→クル→マナリ |
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クルの空模様眺めで1時遅れの出発。 森田先生スピティーへ出かけ留守、奥様が歓待してくださる。 |
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アシュラム泊 |
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3 |
8/3 |
(土) |
マナリ滞在 |
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リグジン氏をお見舞い |
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アシュラム泊 |
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4 |
8/4 |
(日) |
マナリ→チャトル→ダダルプー |
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ジープにて出発。道路事情非常に順調 |
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チャトルで森田先生と出会う |
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テント泊 |
6人対岸の滝まで高度順化 |
5 |
8/5 |
(月) |
ダダルプー→バタル→クンザン ラ |
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クンザンラの少し上からダライラマが座ったという椅子を経て尾根道を行く。キャンプサイトは、チャンドラタールから数キロ戻った所、歩き始めて約9時間やっと到着 |
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→チャンドラタール→キャンプサイト |
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テント泊 |
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6 |
8/6 |
(火) |
キャンプサイト→チャンドラタール |
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チャンドラタールの丘に村越先生のケルンを造る |
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→キャンプサイト |
テント泊 |
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7 |
8/7 |
(水) |
キャンプサイト→バタル→チャトル |
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森田ご夫妻の出迎えほっと一安心 |
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→マナリ |
アシュラム泊 |
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8 |
8/8 |
(木) |
マナリ滞在 |
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現地の友人とチョップスティックで昼食会 |
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アシュラム泊 |
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9 |
8/9 |
(金) |
マナリ→クル→デリー |
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1時間30分遅れでクル出発 |
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セントラルコテージで買物 |
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パークホテル泊 |
ゲイ・ロードでサンジャイ氏と夕食 |
10 |
8/10 |
(土) |
デリー滞在 |
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観光組と休養組に分かれる |
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タージマハル観光 |
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(滝沢・逸見・宮田・井上) |
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福田隊長誕生日、サンジャイ氏達も一緒に祝う |
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パークホテル泊 |
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11 |
8/11 |
(日) |
デリー滞在 |
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福田隊長B隊を待ってそのまま滞在 |
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デリー→(JL472) |
機中泊 |
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12 |
8/12 |
(月) |
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→成田 |
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8名元気に解散 |
第 1日 8/1(木)
天気:晴れ
行程:成田 → デリー
記録:滝沢
7:56 熊谷駅発の電車に乗る。駅には加藤俊夫さんが見送りに来てくれて、旅行保険の証書を頂き、お茶の差し入れを頂いた。
高崎線の中では、熊本から帰省中の金子君が合流し、上野駅まで見送りしてくれた。彼の話では、昨日帰省して8/5には任地に帰るとのこと。高度障害の薬についても教えて頂いた。
9:26 京成上野駅より特急に乗る。
10:45 成田空港の到着。宅急便窓口で大荷物を受け取り、両替え。両替は1ドル=122円。
11:30 JALカウンター前で宮田さんたちと合流。9人全員がそろった。搭乗手続き、大ザックを荷物カウンターに預けてから、そば屋で食事。旅の前途を祝して、生ビールで乾杯。
13:00 再集合して出国チェック。免税店ではインドに土産の酒・タバコを購入。
14:05 JAL471便に搭乗。機内はかなり空いていた。
14:15 インドへ向けて離陸。
16:15 北九州上空を通過、東シナ海に抜ける。この後、飛行機は真っ直ぐ西に飛び、中国の重慶、昆明あたりを通過。
20:45 バングラデッシュのダッカを通過。
〈日本時間20:45 → インド時間17:15に変換〉
17:30 インド上空に入る。
18:55 インディラガンジー空港に着陸。入国チェック、荷物受け取り、両換え。
19:50 迎えのアルワリア氏に会った。彼はいきなりビールの栓を抜いて大歓迎。タクシー3台でホテルに向かった。
20:25 パークホテルに到着。チュックイン。
21:00 少し休んだ後、レストラン クワリティへ。インド料理で夕食。ここへ宝石屋のサンジャイ氏、その後友人のボビー氏も合流。彼の提案で村越先生をしのんで黙祷。
22:30 ホテルに帰り、風呂に入って就寝。
・私にとっては5年ぶりの今回のインド行きは、ようやく出発の日を迎えて胸がおどった。・JAL471便は、ビールやワインを飲みながらの快適なフライトだったが、やはり客は少なく、全体的には3分の1の乗客という感じであった。昨年9月の「同時多発テロ」、今年5月からのインド・パキスタンの緊張は、まだまだ影を落としている。つい先日までJALの定期便は運行を止めていたし、今年の夏は、日本の大手旅行社のインド観光ツアーは全面キャンセルとなったままだから、他国からのインドツアーも推して知るべしということだろう。観光収入は激減ということになるだろう。
・ニューデリーに着いて案内されたホテルが、予約してあったカニシカ・ホテルでなくて、パークホテルであったことは不審に思っていたが、夜の会食の場で明らかになった。サンジャイ氏の話によると、カニシカホテルは政府系のホテルであったが、つい1週間前にある外国資本との合弁会社に身売りされてしまって、ホテルは閉鎖されてしまったとのこと。今は電気も無いので宝石屋もジュウタン屋も営業できない状態だという。仕方がないので2日前にこのパークホテルを予約したとのことであった。カニシカは今後取り壊されて新しいホテルに生まれ変わる予定だという。
世の中、政治も経済も大激動の時代だが、インドも例外ではない。我々の旅行事情までその大波を受けることになろうとは。ニューデリーでの我々の拠点を失ってしまうわけだが、サンジャイ氏は「私がいる限り大丈夫」と言ってくれた。
・村越先生の逝去はインドの知人たちにも大きなショックを与え、悲しみをもたらしていた。サンジャイ氏は大変ショックを受けたと言い、今でも毎日想い出さない日はないと言った。友人のボビー氏は、会食会に来てくれて、「彼はいい人でした」と言い、先生のために黙祷しようと提案してくれた。宮田さん持参の先生の写真をみんなで見てから、全員が起立して黙祷した。この遙かな異国の地での黙祷は、インドの人達の暖かい気持ちが心にしみて、思わず目頭が熱くなった。
第 2日 8/2(金)
天気:晴れ
行程:デリー →クル →マナリ 山荘アシャラム宿泊
記録:高野
5:30 モーニングコール
6:00 ロビーのレストランで朝食
6:30 ホテルを出発、空港に向かう。
7:00 国内便空港に到着。搭乗手続きをとるが模様眺めで出発が遅れる。
9:00 1時間遅れで出発。
10:30 クル空港に着陸。
10:45 車2台でマナリに向けて出発。相変わらずインドのドライバーの運転はすごい!
11:25 マナリ到着
11:35 山荘アシュラムに入る。休憩、ビールで乾杯。森田千里さんは日本人を案内してスピティに行って不在で、奥様が歓迎してくれた。
14:30 昼食。冷やしつけ麺がおいしかった。
各部屋に分かれて休息。荷物整理。
この間、宮田さんたちはマナリの町へ出て散策、滝沢・豊島さんは2階の大広間で酒盛り。高野は昼寝をしたあと、雑談に参加した。話しに花が咲く。これがこの旅の良い処だ。
19:30 夕食。食後に会計処理
とりあえず1000ルピー集金。
その後また、2階のテラスで酒盛りと雑談。
21:00 解散、各部屋へ。
・いよいよ今日は、問題のマナリへの国内航空のフライトである。これが飛ばなければ、20時間にも及ぶ車でのマナリへのドライブとなる。
国内線空港での搭乗手続きが済み、しばらくすると「空の模様眺めで、少し遅れる」との放送である。「いよいよ来たな!」とあやしげな雰囲気である。でも今回は、その心配が不要となり、1時間遅れで離陸することが出来た。幸先良い出発となった。
・インドのトイレには余り良い印象を持っていなかった。水洗トイレの水が出なくてバケツで流したり、公衆トイレでは少年が入り口に立っていて紙を差し出され、その代わりにチップを要求されたり、どうもインドではトイレに行くのがおっくうになる。だから昨晩ホテルの部屋について真っ先にトイレに向かった。何と水の流れの良いこと、今までの心配が吹っ飛んだ。今朝の空港での待機中もそうだった。滝沢先生がトイレに入るのが目に入ったので出てくるのを観察してみた。ゆうゆうと出てきたところを見ると、どうも問題なさそうなので、私も入ってみた。何と考えていたのとは大違い。きれいに掃除され、水の流れも問題なし。インドも年々発展しているんだと感じ入った次第である。待ち合い室でわが女性陣に「インドのトイレはきれいになったネ」と話した途端、女性陣がまとまってトイレに向かって行ったのでした。「やはり思いは私と同じだったんだな」と変に関心しまったのである。
・山荘アシュラムは2度目である。1回目は私のインド紀行の最初の時だったので、夢中で、周りの景色を眺める余裕もなかったようだった。今日、2階の広間での酒盛りに呼ばれて、部屋から外の眺めをつくづく見ることが出来た。なるほど、アシュラムがここに建てられた意味が分かったような気がする。
そして、昼食には、日本で言うところの「つけ麺」の大好物である。これがまたアシュラムの魅力の一つである。インド料理に飽きた頃、日本風の食事にありつける喜びは、ここでしか味わうことが出来ないからである。
第 3日目 8/3(土)
天気:曇り後晴れ 気温:30℃
行程:バシスト・テンプル、裏見の滝、リグジン氏宅訪問
記録:吉田享子
5:30 起床 他まちまち
7:00 健康チェック、皆さんの血圧・脈は全体的に高めだったが、低めの人もあった。皆良好。
8:00 朝食。野菜入り粥、ニラ入り卵焼き、キュウリとトマトのサラダ、オクラとネギの味噌煮、食後のフルーツ(バナナとりんご)。デリシャス。
9:05 バシスト・テンプルに向けて出発。
10:05 ヘビの神様の祠見学。
11:00 裏見の滝見学。
12:10 アシュラムに帰着。
13:00 マナリの町のレストラン「チョップスティック」にて食事。ヌードル、モモ、ハルマキなど。大汗をかいたのでビール・飲み物などで水分を充分に補給でき、美味しかった。
14:30 ガイドの親方・リグジン氏宅訪問。ウィスキーなどのお土産を渡し、息子のアンドゥーと明日からのトレッキングの打ち合わせ。
15:30 二手に分かれて一方はアシュラムに直行、他方は買い物など。
18:00 明日からのトレッキングの打ち合わせ。明日は8:00朝食、9:00出発予定。
19:00 夕食。小豆ご飯、天ぷら(散歩で採取したリングリングリ)、キュウリとトマトのサラダ、肉じゃがなどみな美味しかった。特に井上君の食べっぷりは気持ちのいい位見事。吉田のみ頭痛のため食欲無し。
20:30 解散。明日に向けてパッキングなど。
・今日はフリーなので、ガイドのプルカッシュにバシスト・テンプル、裏見の滝を案内していただく。バシストの村は意外に賑やかで、石や木を交互に積み重ねた古い建築様式の寺や滝の下にヘビの神様が祀られていて、靴を脱いでお詣りするなど興味深く見学した。裏見の滝はこの所雨が少なく、水量は例年より大分少ないとのことだが、豪快な流れは見事なものだ。
出かけるとき森田先生の奥さんに、リングリングリ(ゼンマイに似たもの)を採ってきてほしいと頼まれた。プルカッシュに教えてもらい、道中は山菜採りに夢中になり、ビニール袋一杯の収穫に意気揚々と帰る。帰りの松林の中では「きのこ」も採れ楽しく過ごした。・昼食はチベッタン料理。マナリの行きつけのレストラン「チョップスティック」で、ヌードル、モモ、春巻きなど、とても美味しくいただいた。
・病気あがりとの話しを聞いたが、元気になったとのことなので、お土産を持参しリグジン氏宅を訪問した。左半身が少し不自由とのことだが、顔色もよくとても元気そうで安心した。帰りに階段を下りてきて集合写真におさまった。アンドゥーと明日からのトレッキングの確認をしたが、すべてノー・プロブレムとのこと。
・夕方、福田隊長より明日の予定を説明。7時朝のお茶、8時朝食、9時出発予定。
・バシスト裏見の滝は往復に予想外に時間がかかり、上り下りに3時間もかかってしまった。陽射しも強くなり、大汗をかいてしまったが、油断して水筒を持たなかったためか、私は頭痛をおこしてしまった。これが食欲不振につながったようで、反省した。ご心配をお掛けしました。頭痛は夜半に回復。
第4日 8/4(日)
天気:曇り、雨、のち曇り。青空も見えた。気温:朝21℃
行程:マナリ → ダダルプー
記録:栗原幸子
6:00 起床
7:00 健康チェック
8:00 朝食。野菜入りご飯、チャパティ、緑茶。
9:00 ジープ4台でトレッキングに出発。
10:15 マリーの茶屋で休憩。3370m。チャイを飲む。
11:00 ブルーポピーの写真を撮影。大雨が降ってきた。
11:37 ロータンパス通過。
12:15 分岐点グランプー通過。
13:15 チャトルの茶屋で休憩。昼食。ダルカリー、ポテトケリー、ご飯、チャパティ、チャイ。この時茶屋の中で、森田先生と会った。森田先生はスピティからの帰り。
14:35 今日のキャンプサイト・ダダルプに到着。3500m。コーヒー、紅茶をいれて休憩。
15:50 6人は目の前の前山へ出かけた。高度順化と山を見るため。
18:00 下山の後お茶。
18:15 健康チェック。
18:30 夕食。サラダスープ、野菜カリー、鶏肉のカリー、ポテト、カリフラワー・ピーマンの煮物、ご飯、デザート。
19:00 ミーティング。
20:00 各自テントへ。
・トレッキングの初日、皆さん元気で出発。3人づつ3台のジープに、スタッフが1台で合計4台の車で出発した。昨年より道はいいのかなと思って出かけたが、相変わらずだった。途中からガスがかかってきて、ロータンパス手前でブルーポピーを撮る頃には大雨になってしまった。雨は昼食を摂ったチャトルでも降り続いていたが、テン場に着いたらやんでくれた。
・チャトルで会った森田先生は、日焼けしてほこりよけのマスクをして、お元気そうだった。ここで森田さんのスピティから帰ってきたスタッフの内2人は、我々の山行に合流した。森田さんは、チャンドラタルの手前で自動車道が壊れているという情報を知らせてくれた。
・高度順化のために6人は目の前の前山に登った。高度差は約200m。沢沿いには花も見られ、遙かにテントが見下ろせた。
・山に入って初めての夕食は、味付けも良くて皆さんお代わりして食べた。健康チェックも良好。明日の晴れることを願ってシュラフに潜り込んだ。
第 5日目 8/5(月)
天気:曇り後晴れ
行程:ダダルプ→クンザンラ(峠)→チャンドラタール→テン場
記録:逸見一恵
5:00 起床、チャイ。
6:00 健康チェック
6:30 朝食。食パン、卵焼き、ダイコン・ニンジン・キャベツの野菜サラダ、五目ガユ。体調の悪い井上君には日本食のカユ。
7:35 ジープで出発。
9:25 バタルの茶屋で休憩。ここからは氷河の谷を見ながら峠道を登る。
10:40 クンザンラ(峠)で休憩。ここには中学生の少女たちを含めて多くの観光客がいた。ここからはジープは今夜のテン場に直行させて、我々はチャンドラタールまで歩く。
11:13 4570m地点
11:25 ダライラマ14世が来たという丘。4660m。ここには仏塔やダライラマが座ったというイスが作られてあった。ここで休憩。
11:40 小休止
12:15 小休止
12:45 このコースの最高地点4660m地点通過。
12:50 昼食。朝テン場でもらったトースト、マンゴー・ジュースなど。 井上君の体調がますます悪い。
14:20 小休止。4510m。
15:00 小休止。4400m。
16:23 小休止
17:03 小休止
17:47 小休止
18:15 チャンドラタール到着。湖畔のテントの茶屋でチャイを飲んで休憩。18:30に出て、ここから更にテン場まで下る。
20:10 テン場に到着。途中で日が暮れてし まって、スタッフが迎えに出てくれた。
20:30 夕食。疲れていたため健康チェックは省略。
21:30 テントに入って就寝。
・トレッキングも今日は2日目。お天気の心配はなさそうだが、若い井上君が朝から不調で心配だ。
・昨日同様4台の車で出発。いつ石が落ちてくるか分からないものすごい山道をひたすら走る。バタル茶屋ではマナリから来た家族にあった。チャンドラタールにハイキングに行くという。写真を撮らしてもらった。
・クンザンラ(峠)4570より車と分かれていよいよ歩き出す。左にCB山群、右にスピティ・ラホールの山々を眺めながらゆっくり歩く。山のスケールの大きさは言葉にならない。ダライラマが来たという丘で小休止。チャンドラタールが青い湖面を見せていた。あそこまで歩いていけるのだろうかと不安になる。
12時45分、今回のトレッキング最高地点を通過する。自分の足で4660mを踏めたと思うと感無量だ。
・その後黙々と歩き、チャンドラタールの湖畔に到着。チャイをいただいた後、最後の力をふりしぼってテン場に向かって歩いた。午後8時10分、テン場に着いたときは心底うれしかった。長い長い1日でした。
第 6日目 8/6(火)
天気:晴れ
行程:キャンプサイト→チャンドラタール、村越先生のケルンを造る
記録:滝沢健次
7:00 起床。昨日は長い歩きで疲れたので、今朝はゆっくりとお休み。何人か朝の山の写真を撮りに散歩。
8:00 朝のチャイ。
8:30 朝食。キッチンからは卵焼き、インド風お粥、野菜サラダ、チャイが出たが、昨日の歩きの疲れから不調を訴える人が多かったので、栗原さんが日本米のお粥、ラーメン、梅干しとおかかの和え物を作ってくれた。こちらの方を中心に食べた。
10:00 キャンプサイトを歩きで出発、チャンドラタールに向かう。自動車道路を歩いて、橋が壊れたところは石の上を渡渉。
12:05 チャンドラタールを見下ろす丘の上に到着。しばらく休んだ後、村越先生のケルンを造り始めた。
12:30 石を拾い集めてケルン完成。その中に遺骨を散骨、お線香・お酒・ビール・ウィスキー・野の花を手向けてセレモニー。同人会長の吉田さんが「先生を送る言葉」を朗読。金子君の熊本みやげのお菓子も供えた。
13:00 若者たちはケルンの丘の北西の岩山に登った。
13:30 全員がチャンドラタールの沼尻のテントの茶屋に集まって昼食。昼食はテントサイトから1人の料理係が担いで届けてくれた。チャパティ・ジャガイモ・りんご。ふかしただけのジャガイモが美味しかった。茶屋でチャイを作ってくれた。
14:30 キャンプへの早帰りのグループ、高野・福田・吉田・栗原・滝沢とガイドのプラカッシュはキャンプに向けて出発。他の人は夕方まで湖畔の散策をするという。
湖畔散策グループはこの後、湖の東側に沿って北上、一番上流まで行って、帰りは西側の丘をいくつか越えて戻ってきた。湖の上流側では湖に流れ込む水流はなかったとのこと。湖水は伏流水が湧き出ているのかも知れない。最後に村越ケルンに寄って別れを告げてきた。
16:00 先発隊はキャンプサイトに到着。テントに潜り込んでお昼寝。福田さんは大きな岩の上に寝ころんで寝てしまった。
18:45 後発隊がキャンプサイトに到着。
19:00 栗原さんがお餅を焼いて、海苔を巻いてくれた。うまかった。
19:40 夕食。キッチンからはご飯、肉カリー、野菜カリー、焼きそば、スープ、トマトサラダ。我々手作りの日本食はラーメン、ラッキョウ漬け、高菜漬け。健康チェックも今夜はみんな好調。井上君も回復してきた。
20:00 高野さんが、この旅も目的を果たすことが出来て良かったとご挨拶して、食事は終了。各自テントに入った。この頃は強風でテントはパタパタ鳴り、雨も降ってきた。夜半には大雨。
・村越先生のケルンはチャンドラタールを見下ろす丘の上に立派に出来ました。西方向にはチャンドラ側の源流、その奥にはムルキラ山(6517m)、サルンダルダプー氷河、南方向にはCB13の雪のピークが望めます。その丘にみんなの手で石を集めて積み上げたわけです。
ケルンには真ん中に散骨し、丘に咲くダイコンソウの花を手向け、行田高校卒業生有志から贈られたウィスキー、JALの機内でゲットしてきたビールなどを注ぎました。吉田さんの朗読した「送る言葉」は、心のこもった感動的なものでした。インドの人達は敬虔な人が多いから、知人のガイドたちはこの丘を訪れる度にお詣りしてくれるだろうし、私たちの仲間も今後ここを訪れることになるのではないかと思います。
はるばると共に訪ねしチャンドラ湖
いまひとたびと君は言いたり
彗星の落ちる夜もあらん岡の上
天の川北をさしたる小ケルン
風強き岡の上なる小ケルン
石積んで故人しのぶや盂蘭盆会
ダイコンソウ手向けて眺む雪の山
・チャンドラタール湖畔を散策してきた宮田さんたちの話では、夕方このケルンを立ち寄ると、一人の羊飼いがケルンの側に座り込んで横にもたれかかり、黄昏の山々をぼんやりと眺めていたそうです。あのケルンの最初の訪問者と言えそうです。それにしても村越先生の気に入りそうな、絵になる光景です。
寄り添って山を眺める小ケルン
羊飼いケルンにもたれ星を見る
第 7日目 8/7(水)
天気:曇り
行程:チャンドラタール下のキャンプサイト→バタル→ロータンパス→山荘アシュラム
記録:豊島千恵子
5:20 モーニング・チャイ。みんなこれで起こされた。健康チェック。
6:00 朝食。ゆで卵、雑炊、日本食のお粥。
6:20 撤収作業始まる。
7:00 スタッフ全員と写真撮影の後、出発。
7:38 クンザンラとの分岐点に出る。
7:45 バタルの茶屋で休憩。寒いので石積みの小屋の中でチャイを飲む。
8:55 チョトダラ通過
9:30 ダダルプ通過
9:50 チャトルに到着。女性たちはトイレに困った。チャイ。
10:15 チャトル出発。
11:00 グランプ手前でブルーポピーを発見、撮影。
11:20 グランプ通過
12:00 ロータンパス。インド人観光客が馬に乗って散策している。ここから下るにつれて霧が濃くなって寒々している。
12:35 エイトモールで再度ブルーポピーの写真撮影。
13:20 マリーの茶屋で昼食。往きに見たタンドリーで焼くじゃがいも入りナンを食べてみたいとリクエストした。これはタンドリー・アル・プランタ。アルはじゃがいものこと。ヴェジタブル・スープとチキンチョーメン。これは焼きそばのこと。
15:35 アシュラム下に到着。メインザックはスタッフが担いで上げてくれた。
アシュラムに着くと森田夫妻が歓迎してくれた。みんなほっとして歓談。
その後シャワーを浴びたり、洗濯したり、昼寝をしたり……。
20:00 夕食。冷えたビールでまず乾杯。改めてトレッキングの無事を祝った。食事は、鳥のカラ揚げ、特製コロッケ(食パンの上に野菜に混ぜたマッシュポテトをのせ揚げた物)、レタス・バジリコサラダ、トマト・キュウリのサラダ、京菜の漬け物、バジル・スパゲッティ、昆布とナスの煮物、昆布・ニンニク・ショウガ・ニンジンの唐辛子漬け、ライス、みそ汁。
森田先生お手製のあんず酒(40度のラム酒漬け)をいただいた。
食事の後、会計も済ませてそれぞれ就寝。
○昨夜の強い雨で道路が壊れていないか心配だったが、道路は無事だった。ロータンパスからスピティへの道はずいぶんと良くなった。土砂崩れや出水のきまった場所は頑丈な石組が出来、放水管が整備されていた。これもダライラマが通ったおかげだろうか。
○モンスーンが強まったのであろうか、雲がなかなか晴れない。ロータンパスのお花畑を前景にした雄大な山々をもう一度振り返ることが出来ずに残念。それでもエイトモールでは往きに雨のために撮れなかったブルーポピーをしっかりカメラに収めた。今年は昨年より花の残りが良いようだ。
○何とか雨に降られずにアシュラム下に到着。森田ご夫妻の出迎えでみんなホッと一安心。玄関に座り込んだまま、話が尽きない。またまた気を使っていただいてビールがたくさん届く。
少しだけと言いつつ一階ホールで歓談の続き。「村越先生のケルンが、その日の内に羊飼いの休息の場になっていて、いかにも先生のケルンらしい」などなど、お風呂も忘れてくつろいだ。
○夕食は心づくしの料理で、旅の疲れをいやしていただく。森田先生のお話も相変わらず面白く、アイルベーダ医学(薬草としてブルーポピーも使うらしい)の話から、スピティのターボ・ゴンパに残る回教の絵の話、奥地のトレッキングの極意である人とのつながり……。あゝ帰ってきたな……。
たった三泊四日だったが村越先生のケルンを造り、皆それぞれの思いが一杯のトレッキングでした。
第 8日目 8/8(木)
天気:小雨
行程:マナリの休日
記録:福田和宏
6:00 起床。2階のホールの祭壇にお詣り。
7:00 2階テラスで思い思いにモーニング・ティ、日本茶。健康チェック、皆さん快調。日本よりも良いみたいだ。
8:30 朝食。雑炊、卵焼き、色々な漬け物、みそ汁。しとしと雨が降り止まない。サンペル君は婚約者を送ってデリーに出かけた。
11:00 陽が出てきた。
12:30 昼食会のためにみんなでマナリの町へ。
13:30 チベッタン・レストランの「チョップ スティック」で昼食会。ガイドのプラカッシュ、ネギさん、アンドゥー君を交えて賑やか。チキンとマトンのヌードル、チキンとマトンのモモ、スプリングロール、フライドチキン、ビールとラッシーとチャイ。村越先生の奥様からいただいたお餞別で支払い。
この後ショピングする者、オールド・マナリの散策に出かける者、真っ直ぐに帰る者に分かれて、休日を楽しんだ。
19:00 夕食。五目ちらし、マスの焼き魚、みそ汁。ビールに日本酒のおかん。
20:00 屋上で日本から持参の線香花火。満天の星空を観察して、夏の大三角形を探す。天の川がはっきり見えた。
・今回の旅の第一の目的である“村越先生遺影の地での追悼”をみんなで果たし、先生もさぞ喜んでくれていることだろう。体調を崩していたメンバーも回復もしくはその方向に進んでいるようで、今日一日思い思いにマナリの休日をのんびり楽しんだ。
・昨夜から降り続いていた雨も、我々が昼食会にチョップ・スティックに向かう頃にはすっかり止み、全員でてくてく足取り軽く歩く。アンドゥ君、ネギ氏そして今回のトレッキングを率いてくれたプラカッシュ氏を交えて、総勢12名で大昼食会。支払いは村越先生のお宅から頂いた分で、みんなでご馳走になった。なじみのウェイター・カルー氏もてきぱきと的確に、我々のオーダーをこなしていく。なじんだ味に箸も進む。余った分はネギさんとプラカッシュさんに持って帰っていただくことに……。様々な思いで話しに花を咲かせ、あっという間に90分を過ごすことが出来た。
・昼食後は各自気ままに休日を楽しんだ。三々五々、アシュラムに帰着。いつものテラスで余韻を楽しむ。
・夕食はサンペル君が用意してきてくれた「マス」を、ギャルテェンが料理。美味であった。五目ちらしもインディカ米を使用しているにもかかわらず、日本の物より美味しく感じられた。
・今までの出来事の話をさかなにマナリ最後の夜を楽しんだ。ひとしきり話を終えたところで、屋上にて満天の星を堪能。天の川、流れ星……。滝沢先生が星座早見表で解説。パチパチと線香花火の火花とその懐かしいにおいと共に、村越先生もふとかたわらにいるような気がしてならなかった。何か私たちの手で一つ大きな役割を成し遂げた気がして、みんな、これで良かった……、そう実感した。村越先生、私たちもちょっとは成長したでしょ。
思いで深い旅になりました。ありがとう。またこのヒマラヤの地に、先生の大好きな物をいろいろ持って、会いに来るからね!
第 9日目 8/9(金)
天気:曇り後晴れ、デリーは曇り、にわか雨
行程:マナリからタクシーでクルへ、飛行機でニューデリー、パークホテルへ、その後買い物
記録:宮田幸男
5:00 起床
5:30 朝食
6:00 アシュラムに別れを告げて出発。森田夫妻が送ってくれた。
アシュラムの下でタクシーに乗り込む。
7:30 クル空港付近のジャグソン航空のオフィスで今日のフライトのチェック。他の人は近所のレストランで待機。チャイ60ルピー。
9:00 空港到着。ボディチェック。手荷物チェックは厳重。荷物のオーバー・チャージは80ドル。
10:00 飛行機が離陸。
11:20 デリー空港着。アルワリヤが出迎えてくれた。
12:10 パークホテルに到着。
13:30 チェックインし休息してビールを飲んだ後、ランチへ。約1時間。この後福田さんが不調になった。
15:30 政府物産館(セントラル・コテッジ)へ行って買い物。
17:30 ホテル・カニシカのサンジャイ宝石店で買い物
18:30 パークホテルの到着。休憩。
20:30 夕食はレストラン「ゲイ・ロード」でインド料理。
22:30 ホテルに帰着。その後就寝。
・朝5時起床。まず空を眺める。高層雲があるものの、クル方面は青空も見える。今日のデリーへのフライトは問題なさそう。Very lucky! これまで全く顔を見せていなかったソウラン谷を囲む4000m級の山々もよく見渡せた。
5時30分に雑炊と卵焼きをいただく。クル発フライトAM8:30で、6時にアシュラムを出発するため、急いで身支度を整え、1階に集合する。既にアンドゥーが待っていた。森田夫妻、スタッフとの記念写真の後、アンドゥーが手配したタクシー3台に分乗し、クルに向かう。ジープトレッキング ドライバーの“安全運転”と違い、インド スタイル(前の車は抜き去るもの……)に冷や汗をかく。
7時30分にクルに到着するも、空港は開いておらず、隊長とアンドゥーがオフィスに行く。「今日のフライトは未定。デリーからの飛行機待ちである」との報告を受け、近くの茶屋でティー・タイムとなる。9時に空港に到着する。以前にも増して、厳しいボディ・荷物チェックを受ける。手荷物をすべて出し、カメラのバッテリーを確認するなど厳重に行われた。
予定より 1時間30分遅れてクル空港を飛び立つ。今年のモンスーンの勢いは弱いらしく、デリーに着陸するまで視界は良好だった。無事デリーに午前中に着いた。往復の飛行機といい、トレッキング中の天気といい、今回は非常に運が良いようだ。タラップを降りると、下界のムッとした空気が身体にまとわりつく。マナリの涼しさが嘘のようだ。
・空港到着ロビーでアルワリアと合流し、往きに宿泊したパークホテルに到着した。ホテルのレストランはビールが10ドルとエキシペンシブのため、アルワリアがビールを調達し、隊長の部屋で乾杯!ほろ酔いで1階レストランで昼食を済ます。
ここで福田隊長が体調をこわし、今日はホテルで身体を休めることとなった。日本を出発してからの様々な諸手続きや心労が重なり、デリーについてホッと一息ついたところであったのだろうか。我々参加者だけでなく、アルワリアやサンジャイもとても心配していた様子で、後でサンジャイの奥さんが薬を届けてくれた。この後福田隊長が抜けてしまったわけであるが、どことなく雰囲気がさびしくなってしまった。
・休憩後、午後3時30分から政府物産館へ。午後4時〜5時までショッピング。引き続きホテル・カニシカのサンジャイ宝石店で宝石ショッピング。女性陣を始め、小生は生まれて初めてダイヤモンド・ネックレスを90ドルで購入。奥さんが喜んでいる顔が目に浮かぶ。
・ 夕食は午後8時30分にホテルを出て、高級インド料理店の「ゲイロード」へ。チキンスープにカリー、ナンと最上級の味を楽しむ。しかしメンバーにはトレッキングの疲れが少し出ているように感じられた。明日は、タージマハルに行く者、ゆっくり静養する者に分かれて、インド最後の1日を楽しむことになった。
第10日目 8/10(土)
天気:曇り、晴れ
行程:デリーの休日 タージマハル見学
記録:井上貴裕
6:30 起床
7:00 朝食、1階レストランでバイキング。
7:15 福田隊長部屋に集合。隊長は大分回復したようだ。
7:50 宮田・逸見・滝沢・井上の4人とアルワリアでタージマハル見学に出発。タクシー2台。他の人は今日は休日。
10:40 アーグラの手前で小休止。インドの「マクドナルド」で、チキンバーガーとコカコーラ。チキンバーガーはカリー味だった。
12:20 タージマハルに到着。ここでゆっくり見学した。
14:15 見学を終わり、アルワリアと合流。彼も待ちくたびれたことだろう。
14:20 タージマハルの門前のレストランで昼食。
15:50 大理石の土産物屋。何も買わなかった。
16:30 アグラ城は堀の外から見る。
18:15 デリーに向かって走っている最中、パンク。タイヤの交換。
18:50 途中の茶屋でチャイ。
20:35 デリー、パークホテルに到着。福田隊長の部屋に戻ると、本日隊長の誕生日につきお祝いの準備が出来ていた。みんなで赤いバラの贈り物。サンジャイからはクルタとパジャマのプレゼント。みんなで歌を歌ってお祝。
19:00 ディナーのために出発。今日は隊長も参加できる。中華料理店。ワンタンのスープ、酢エビ、八宝菜、魚、パイナップル・チャーハン、あんかけハンなど。ここはビールや酒はなかった。
13:00 歩いてホテルに帰った。隊長の部屋に集合してニューデリーでの費用について集金。その後風呂に入って就寝。
・AM7:00に起床し、ホテルのレストランへ向かう。7:15分に全員揃い。休養組、タージマハル組に分かれる。昨日予定どうりにクルからデリーに飛行機が飛んでくれたおかげで、休日が出来た。福田隊長は相変わらず。朝食に出てこなかった。
さてアグラまで片道200km。今まで順調だったので、今日は何かありそうだ、と期待を胸に車に乗り込む。市街地を抜け周りが農村風景に変わる頃、標識に“80”の文字が。「へえ〜、インドじゃ制限速度が80kmなんだ」なんて思っているうちに、やがて「SPEED LIMIT END」の文字が…。絶句…。ドライバーは100km近いスピードを出している。その脇をリキシャや歩行者、牛、馬がいる。恐い恐い…。
「アグラ 40」の標識が見えると近くの「マクドナルド」で小休止。さすがに牛肉はないので、チキンバーガーとコカコーラを腹に流し込む。コーラには氷は入っておらず、安心して飲めた。チキンバーガーはカリー味。でもおいしい。
12:20にタージマハルに着く。とてつもなく暑い。入場料は25ルピーだが、taxesが500ルピーもする。世界遺産に登録されているためだろうか。中にはいると夥しい数の人、人、人…。ただでさえ暑いのにもっと暑くなりそうだった。しかし、タージマハルは美しく、大きい。暫くの間、その大きな建物に見入ってしまった。タージマハル内に入り棺を見学した。だが実はそれは偽物で、本物は地下に安置されているらしい。残念ながら今日は本物の近くには寄れず、階段の所からしゃがんで見ることとなった。その後思い思いに写真撮影。歩いているといろいろな人から写真を撮ってくれと言われる。そんな些細なことだが現地の人、外国の人と交流できておもしろい。ここで一つ気がついたのは、どうやらインドの人々は日本人に興味があるようだ。歩いていると「Hey Japanie」と声を掛けられる。何故なのでしょうね……。
あまりアルワリアを待たせるのも悪いので、そろそろ退散することにする。2時間弱の時間が「あっ」という間だった。名残惜しく、何度も振り返り、タージマハルを後にする。近くのレストランにて遅い昼食を食べる。ビールやジュースが火照った体にス〜と入っていき、とてもおいしかった。予定通りアーグラ城と風の宮殿に行こうとアルワリアは言うが、我々はタージマハルだけで十分満足だった。時間がおしてきたし……。大理石のアートを売っている店に行き、少し見学。そこの店の人と、よく分からないが「友達」にされてしまった。別に悪い気はしないんですけどね…。気をとり直して、我々はアーグラ城に向かった。途中思わぬ渋滞にはまる。事故があったらしい。それだけ危ない運転をしていれば、事故だって多いはず……。でもそれを「危ない」と思うのは我々の常識であって、インドでは「安全」なのかも知れない。別の道に行き、柵の外から見学。時間がないのでデリーに帰ることにする。
出発して少し行くと「ドン」という鈍い音がした。大して気にもとめなかったが、その30分後、ガタガタと異様な音がする。タイヤがパンクしていた。タイヤを交換した後、6:50頃ティタイム。先行していた宮田先輩の車が、我々がなかなか来ないと心配していた。ここで気づいたのだが、ドアも壊れていた。ドアの取っ手がバキバキに壊れていて、外側からはドアが開かない。どうやらぶつけた時にやってしまったようだ。何はともあれ、無事にデリーに着いた。
この間デリーに残った人たちは、ショッピングしたり、福田隊長の誕生パーティーのための花を買ったりして、のんびり過ごした。
今日は福田先輩の誕生日。皆で歌を歌い、バラの花のプレゼント。先輩もすっかり元気になっていた。本当にお疲れさまです。その後サンジャイ氏たちと中華料理レストラン「Fa yian」にて夕食。ワンタンスープに始まり、酢エビ、八宝菜、魚、チャーハンと続く。インドにて中華を食べられるなんて思ってもみなかった。アルコール類は無いようなので、珍しくお酒なしの食事となった。そうそう、デリーにいたサンペル君も一種になって夕食を食べた。帰りは歩いてパークホテルへ帰ったが、そんなに遠くないようだ。福田先輩の部屋に集まり、ミーティング。
今日がインド最後の夜。淋しい。明日が来てほしくない。まだインドにいたい。そんな気持ちだ。それぞれが楽しく過ごした1日でした。
第11日目 8/11(月)
天気:曇り
行程:デリー滞在、デリー → 機内泊
記録:滝沢健次
8:00 ホテルのロビーの食堂でそろって朝食。福田さんは昨夜サンジャイ氏からプレゼントされたインド式のクルタ、パジャマを着て現れた。
午前中は自由行動。宮田さんはアルワリアとデリー駅・交通博物館へ行き、息子さんのために電車の写真を撮るという。他の人は、休養とショッピングの予定。
10:30 そろってショッピングに出るが、コンノート・プレイスは休日で閉店。やむなくホテルに帰ってお昼寝などをして休み。滝沢は別のセントラル・コテージへ行って、買い物。
12:45 福田隊長の部屋に集合。アルワリアとサンジャイ氏が来訪。ビールを飲みながら、アルワリアが持ってきた紅茶、カリーなどを買う。
13:45 ホテルのレストランで朝食。
14:30 自分の部屋に戻って、大荷物をパッキングし、引き続きホテルに滞在する福田さんの部屋へ移動。アルワリア・サンジャイ・ボビーも来て歓談。
16:15 アルワリアら3人はお帰りになった。その後福田さんの部屋で記録の整理、読書・お昼寝など。トレッキング中の高度障害についての論議もした。
17:15 荷物をロビーに移動。
17:25 パークホテルをチェックアウト。車3台で空港に向かう。福田さん・アルワリアも空港まで送ってくれた。
18:00 インディラ・ガンジー国際空港に到着。見送りの2人に別れを告げて、構内に入り、すぐのJALカウンターで搭乗手続き。続けて大荷物のチェック。
18:30 出国チェック。この後は免税店をのぞいたり、読書したり、しばらくはのんびりお休み。
20:00 チェック・イン。手荷物の検査はかなり厳しいものだった。
20:30 JAL427便に搭乗。機内はがら空きで、座席は2つおきに座りゆったりしていた。
21:07 離陸。すぐにインドの大地には灯りも見えず、暗くなった。
23:30 機内のライトはオフになった。
・朝はゆっくりの食事で、福田隊長もようやく体調が回復し、全員が一緒の食事となった。福田さんは、昨夜のバースデイ・パーティでサンジャイ氏から贈られたクルタとパジャマの姿で現れた。クルタは涼しそうでなかなかお似合いだ。
・午前中はフリー・タイムで、買い物の人はコンノート・プレイスに出かけたが、本日日曜日のためどこも閉店。仕方がないので部屋に帰ってお休み。期せずしてお昼寝の時間となった。
・12:45福田隊長の部屋に集合。アルワリア・サンジャイ・ボビーも来室。アルワリアがお土産用に用意してくれた紅茶・カリー・マサラなどを希望の数だけ買いながら、ビールを飲んで歓談。
この旅もいよいよ最終盤を迎え、帰国目前となった。最初は長い旅行のように思えたが、経ってみるとあっけないものだ。今回の旅行は井上君の高度障害、吉田さんの体調不良、デリーに戻ってきてからの福田隊長の体調変調など困難はあったが、山では全行程好天に恵まれ、全員が無事チャンドラタールに到達できた。幸運に恵まれたと言っていいだろう。また、村越先生のケルンを湖を見下ろす岡に造ることが出来た。何よりも良かったと思う。
・今回の旅は考えさせられることが多かった。人間の生と死、家族の意味、インドの経済発展と貧困の問題……。そんな根本的な問題を我々に考えさせる条件は何かと考えると、インドの赤茶けた大地と照りつける太陽、インド・ヒマラヤの氷河を抱いた山々、大褶曲の地殻変動、貧しいけれども家族で助け合って生きる人たちなどなど、この社会が我々に見せるすべてのものが我々を考え込ませてしまうのだ。
ともあれ今回のインド・ヒマラヤ トレッキングの旅は終わった。またこの広大なインドを訪れる日が来ることを祈って、インドの大地を飛び立った。
第12日目 8/12(月)
天気:晴れ
行程: → 成田
記録:滝沢健次
2:30 機外が明るくなった。
〈インド時間3:00→日本時間6:30に変更〉
7:00 朝の機内食
8:14 成田空港に着陸。入国手続き、間もなく荷物も出てきた。
解散式、吉田会長のご挨拶。お疲れさまでした。
9:20 成田空港発 大宮駅行きのバスに乗って帰った。
栗原 幸子
まず日本から持参した米について。アルファ米は“軽くて便利”というイメージがあり、今回も持って行った。しかし、自分自身が食してみて、元気な人なら良いのかもしれないが、高度障害で食欲がなく少しでも食べなくてはならない人には食べにくいかもしれないと思った。それは口に入れるとごそごそし、あまりおいしくなかったからだ。「日本の米なのにどうして?」という気がした。お湯を入れなべに移してグツグツ煮て蒸らしたのに、口当たりが悪かった。今度行く時には、少し重いが、真空の出来ているご飯を少し持って行くと良いと思う。
日本茶は“粉”ではなくて、茶こしを使ってお湯をさして飲む“日本茶”が良いのではないかと思う。私個人の考えでは、決して粉が悪いというわけではないが、スタッフにお湯を沸かしてもらうのだから、茶こしでさしたお茶が私には必要だったような気がする。トレッキング中私も食欲がなくなったが、お茶が飲みたかったのが忘れられない。高度障害を改善するためには、水分の補給が大切だが、日本茶は我々には飲みやすくて、有効である。
品名 |
数量 |
金額(円) |
使用状況 |
|
A隊 |
B隊 |
|||
アルファー米 |
2食入-6袋 |
合宿の残り |
2食入-3袋 |
2食入-3袋 |
餅 |
1kー1袋 |
780 |
14個 |
16個 |
400g−1袋 |
438 |
|||
ラーメン |
5袋 |
625 |
4袋 |
6袋 |
5袋 |
248 |
|||
鰹節 |
6P |
118 |
2P |
4P |
味噌汁 |
10食 |
268 |
7食 |
3食 |
12食 |
100 |
0 |
12食 |
|
ポカリスウェットの素 |
5袋 |
498 |
2袋 |
3袋 |
焼き海苔(小切り) |
30枚入-1袋 |
298 |
13枚 |
17枚 |
ザーサイ |
1袋 |
100 |
0 |
1 |
ビビンバ |
1袋 |
100 |
1 |
0 |
キューちゃん |
2袋 |
200 |
1 |
1 |
らっきょう |
2袋 |
200 |
1 |
1 |
高菜 |
1袋 |
148 |
半分 |
半分 |
ゴマ昆布 |
1P |
218 |
半分 |
半分 |
食料品合計金額 |
4339 |
|
|
|
消費税(5%) |
217 |
|
|
|
合計金額 |
4556 |
|
|
|
|
|
|
|
|
*その他:日本茶(スティック)、緑茶、梅干し、味噌 |
|
円支出 |
|
|
|
内訳 |
|
|
|
成田〜デリー往復航空券 (127600*9人)+(124300*2人) |
1,397,600 |
||
航空券 振り込み手数料 |
|
525 |
|
VISA (1200*11人) |
|
13,200 |
|
交通費 (VISA申請・受領) |
|
7,300 |
|
ミーティング お茶・コーヒー |
|
4,029 |
|
お土産 カジュアルソックス |
|
2,520 |
|
タオル ギフト |
|
1,575 |
|
五家宝 |
|
|
3,200 |
成田空港で酒・タバコ |
|
16,000 |
|
トレッキング 食料 |
|
4,555 |
|
薬品 |
|
16,864 |
|
パルスオキシメーター 賃料 |
|
10,000 |
|
ファックス・通信費 |
|
3,000 |
|
写真代 |
|
|
2,000 |
|
|
|
|
ドル支出 |
|
|
10,065ドル |
内訳 |
|
|
|
8/2 航空機重量オーバー |
|
120 |
|
8/8 トレッキング経費 70*4日*9人 |
2,520 |
||
アシュラム宿泊・会員 20*4日*3人 |
240 |
||
学生 15*4日*1人 |
60 |
||
会員外 25*4日*5人 |
500 |
||
サンペルへ心づけ |
|
190 |
|
8/9 クル〜デリー 航空機重量オーバー |
60 |
||
8/10 サンジャイ氏支払い |
|
6,075 |
|
デリー〜クル航空券 9人 |
|
|
|
パークホテル宿泊 3日*9人 |
|
||
サンジャイ氏 心づけ |
|
300 |
|
|
|
|
|
ルピー支出 |
|
|
17,888ルピー |
内訳 |
|
|
|
8/1 空港〜パークホテル運転手心づけ 50*3台 |
150 |
||
パークホテル荷物ボーイ 心づけ 50*2人 |
100 |
||
夕食心づけ |
|
100 |
|
8/2 朝食心づけ |
|
100 |
|
荷物ボーイ心づけ 50*2人 |
|
100 |
|
空港まで運転手心づけ 50*3台 |
150 |
||
クル〜マナリ タクシー 2台 |
|
1,400 |
|
タクシー運転手心づけ 100*2台 |
200 |
||
8/3 マナリ R.チョップシティック昼食 |
1,500 |
||
〃 心づけ |
20 |
||
8/7 トレッキング スタッフ心づけ |
|
9,000 |
|
(運転手1000*4人、コック1000、ガイド3000、アシスタント500*2人) |
|||
アシュラムコック 心づけ |
|
200 |
|
アシュラムボーイ 心づけ |
|
50 |
|
マナリ〜クル タクシー 3台 |
|
2,100 |
|
8/9 マナリ〜クル タクシー 心づけ 50*3台 |
150 |
||
チャイ 65、 心づけ 5 |
|
70 |
|
デリー空港よりタクシー 心づけ 2台 |
100 |
||
パークホテル荷物ボーイ 心づけ |
100 |
||
同人会員へお土産 |
|
98 |
|
8/11 クル〜デリー航空機重量オーバー20ドル相当 |
950 |
||
お土産代 |
|
|
800 |
電話代 ホテルよりサンペルへ |
|
250 |
|
荷物ポーター |
|
50 |
|
空港へ運転手心づけ 50*3人 |
150 |
||
|
|
|
|
円支出 |
|
|
1,482,368円 |
ドル支出 |
円換算 1ドル =120円 |
1,207,800円 |
|
ルピー支出 |
円換算 1ルピー=2,6円 |
46,509円 |
|
合 計 |
|
2,736,677円 |
|
1人あたりの経費は 約 274,674円です。 |