トレッキング記録    熊谷トレッキング同人

「今年も行って参りました」                                   福田 和宏

 
  Date  SCHEDULE  ACCOMMODATION
1
 
08/05TUE
12:40 NARITA (JAL471)→ 17:35DELHI DELHI
 
SANJAY HOUSE
 2
08/06 WED
 DELHI
SANJAY HOUSE
 3
08/07 THU
 VOLVO NIGHT BUS
DELHI →
IN THE BUS
 
4
 
08/08 FRI
 → MANALI MANALI ASHRAM
5
 
08/09 SAT
MANALI
MANALI ASHRAM
6
 
08/10 SUN

TREKKING@
MANALI → CHHOTADRARA
 
CAMP 
7
 
08/11 MON
TREKKINGA
→ CHANDRATALL →
CAMP
8
 
08/12 TUE
REKKINGB
CHHOTADRARA → MANAL 
MANALI ASHRAM
9
 
08/13 WED
 
MANALI
MANALI ASHRAM
10
 
08/14 THU VOLVO NIGHT BUS
MANALI →  
IN THE BUS
11
 
08/15 FRI
→ DELHI DELHI
SANJAY HOUSE
12
 
08/16 SAT
DELHI DELHI
SANJAY HOUSE
13
 
 08/17 SUN 19:35 DELHI → (JAL472)  IN THE AIR
14
 
 08/18 MON → 07:25 NARITA  HOME
 

 高校時代、山岳部員であった私は顧問であられた村越昇先生に連れられ、山へでかけていました。毎回「30万円ためろや。一緒にインドへ、ヒマラヤへ行こう。」この言葉を呪文のように聞かされ続け、1987年大学生の時に実現することとなります。

 2008年、それから20年あまりが過ぎ去りました。もはや先生と一緒にでかけることがかなわない今は、「30万円ためて、村越先生に会いにインドへ、ヒマラヤへ行こう。」そんな心境で毎年夏を迎えています。

 というのも、2002年2月先生がお亡くなりになられてしまい、その年の夏に、先生にとっても私たちにとっても特別の地であるインドヒマラヤ・チャンドラタールに遺骨を納めケルンを積むこととなります。

 この地を訪れると、高校入学以来ずっと私たちを導き続けてくださった、先生の重低音な懐かしい声が聞こえるような気がしてなりません。

 見送ってくださる方々・出迎えてくださる方々に支えられながら、ケルンへの墓参も今年で7年目となりました。幸せなことです。

 今回のケルンへの墓参は、マナリの森田先生ご夫妻、そして、リグジンさんも加わり、村越先生もさぞ驚き懐かしく思われたにちがいありません。森田先生ご夫妻は、山荘「アシュラム」のお客さんの来訪の出入りが激しい最中,つかの間の休めるタイミングを返上して同行してくださいました。また、リグジンさんは、村越先生が初めてヒマラヤをトレッキングされた際のガイドであり、サンペルさん・アンドゥさんの2人の息子に仕事を託し引退された後も、ケルンでの供養をいつか果たそうとリハビリにも精を出されていたそうです。

 往年の名ガイドが復活を果たし意気揚々とされている姿に仕事を奪われたガイド1人。ボスたちが居並ぶ中とまどいを隠せないキッチン2人。助手席にステッキを携えたかつての頭領が見守る中緊張気味のドライバーが2人。私を含めて総勢9人のにぎやかなインドヒマラヤの旅となりました。


@インドへの出入り・航空機・空港について

[成田→DELHI]
 JAL471便、12:40のフライト。自動チェックイン機での搭乗手続きを促され、しばし、苦手なコンピューターの画面と格闘。ようやく出てきた搭乗券をもってカウンターでメインザックを預けてすべてが終了。この間一切手荷物検査はない。聞くと、預かってからX線をかけるとのこと。昨年、ライター5個がひっかかりその場でメインザックをほどき没収となったので、今年は1つも入れておかなかったからよかったものの、預け荷物にはクレーム無きよう配慮が必要だと感じる。それにしても後で何かひっかかったらどうなるのだろうか。呼び出されるのか、勝手にあけられ取り除かれるのか。

 出国手続きでは係官に確認し、液体は禁止だが中身さえ捨てれば、ペットボトルはOKとのことで、日本製の信頼感のあるペットボトルを水筒がわりにもっていく。フィルムシールドはやはりたずねられ、開封検査。ライターは1つ持ち込みが許可とのこと。

 搭乗ゲートではめずらしく、パスポートチェックがあった。
 JAL機は今までの経験の中で最もすいていた。毎日運行となったことが影響しているのだろうか。航空券は正規割引運賃の最も安いもので¥156000それに、税金・燃油特別付加運賃¥31260が加わった。7月1日以降発券分はさらに¥12000値上がりしたそうだ。 DELHI。インド時間(日本時間−3:30)19:05着陸。到着人数も少なかったこともあり、入国審査もスムーズ。両替も混み合うことなく、だまされもせず$1=Rs41.45のレートで$200かえてレシートをもらっておいた。

[DELHI→成田]

 JAL472便、19:35のフライト。JALのチェックインの際は、毎年空港へ入ってすぐ実施していたX線をかけることもなく、行き同様、そのままカウンターへ。スムーズだが見ていないところで検査されていると思うと複雑な心境である。

出国手続きに続く手荷物検査では、すぐ取り出せるようになっているフィルムシールドが開封の要求にあう。係官、出てきたCANONのカメラに興味津々。これはいくらするのか、インドではどれくらいだなどと質問してくる。余計なことだというような私の態度が気に入らなかったからだろうか。その後、サブザックの中身すべてを見せることとなる。

 毎年帰りの空港ですることといえば、最後まで出せずに持ち続けているエアメールを託し、翌年分の切手を購入しておくこと。ところが、チェックインカウンター脇にあった郵便局はそのスペースを失っていた。出国後のエリアに移ったのではとのかすかな期待もかなうはずがなかった。来年分の切手はいいとして、すでにRs8の切手がはられ一生懸命書いたはがきについては何とかインドで出さねばならない。ゲートで搭乗客の見送りに出ているJALの日本人職員に丁重にお願いをして、ポストに入れてもらえることに。さわやかな思いで、インドを後にすることができた。

 早朝到着した成田は、お盆休みもピークを過ぎJAL機も混み合っていたわけでもなく、すべてがスムーズであった。税関でもパスポートと私の顔を見比べ「どちらからお帰りですか」との問に、「インドです」と答えただけ。私にしては珍しくすんなり通過となった。

A DELHI・MANALIの往復について

 DELHI 18:38、VOLVOのデラックスバス、コンノートプレースを出発。はるか北方568KmのMANALIへと向かう。45人乗りのバスは満席。ちなみに値段は片道1031Rs。(1Rsは約2.7円) 途中3回ドライブインで大小の休憩(食事・お茶)をとりながら、ちょうど翌朝9:00に無事MANALIのバザールにて下車。

 14時間程度の運行予定。日程を組む上での確実性をとり、最近はJAGSONの航空機でKULLUへ向かうとことはやめている。過去5回に2回はフライトキャンセルで、タクシーに変更せざるをえなかった。飛んでも、SHIMLAに目的地が変更となってそこからまたタクシーだったり・・・。当然、MANALI(帰りの場合はDELHI)の到着が大幅に乱れ、多大な迷惑をかけることとなる。乱暴いや無謀な追い越しをかける、ドライバーが多い中で、少しでも大型車の方が・・・。という思いもある。

 今回、実は帰り、確実性を信じていたこの夜行バスにも落とし穴があることを認識させられた。大雨による道路決壊で立ち往生。最長記録の38時間の長旅となった。

B 村越昇先生遺影の地・ケルンへのジープトレッキングについて

[MANALI ・ CHHOTADRARA間]

 行きの場合、8:00頃出発すると、80分程度でMARHIの茶店に着く。ここでチャイを飲む。スタッフは朝食というのがいつものパターン。ROHTANGまでは60分程度。途中ブルーポピーが8月中旬だと終わり気味だが、毎年、数カ所でみることができる。ROHTANGからCHHATRUの茶店までは80分程度。ここで昼食のダルカレーをいただくのもおきまりコース。緑の美しい大自然の中のテント場までは10分程度だ。

 帰りも同じコースで同じようなことをしながらMANALIへもどるとお昼過ぎにはASHRAMに迎えられ、幸せなことに冷たいビールをごちそうになることに。

 [CHANDRA TAL 往復]

60分程度でBATALの茶店につく。今回は、KUMZUMLAのチョルテンに足を伸ばし詣でる。分岐までもどりCHANDRA TALへの道を進む。遺影の地は車窓を眺めていて唯一草が育ち、緑がまぶしくみえる場所である。CHANDRA TALの丘にたつ築6年の第1ケルン。丘にはいくつもケルンがあるが、最も北に位置し一つだけなので見つけやすいと思われる。、西北西にMULKILA(6517m峰)と氷河、東側の眼下にエメラルドグリーンの湖がみえる。第2ケルンへは、北に見える急な斜面を15分程登り切ることになる。