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ネパール・ジョムソン街道トレッキング



個人山行報告

  並木 利夫

期日 2014年4月2日(水)〜 12日(土)

行動記録

4月2日(水) 成田〜カトマンズ
 乗り継ぎ地香港の天候が悪く出発が1時間ほど遅れた。香港からダッカ経由でカトマンズに入る。夜11時すぎに着き、入国手続きのあと迎えの車でホテルへ入る。深夜のため市内の道路は渋滞もなかった。

 4月3日(木) カトマンズ〜ポカラ
 遅めの朝食で、9時ごろホテルを出て空港へ。11時50分ごろポカラに向け離陸、飛行時間は1時間ほどである。空港からペワ湖の中島にあるレストランへ直行して昼食をとる。食後ホテルへ入る。

 4月4日(金) ポカラ〜ナウリコット
 午前7時前にホテルを出て、7時55分発のジョムソン行きの便に乗る予定である。空港に着くと、早朝の1番機は飛んだが後の便は現地の天候の状況待ちということだった。待合室の屋上でヒマラヤの景色を眺めたり、写真を撮ったりして待っていたがなかなか飛ぶ気配がなかった。1時間余り過ぎた時点で飛ぶ見込みがないとツアーリーダーの判断で陸路で行くことに決定した。
 ジョムソン空港はネパールでも一番危険な空港と言われていて、昨年5月にも日本人12人が乗った飛行機が事故を起こし、全員が重軽傷を負っている。その中の一人で、ワンゲルの後輩が先日、今度は大丈夫だよ、事故を起こしたばかりだからと言っていたが、飛行機のキャンセルで本当に安心した。車4台が間もなく来て、参加者15名が分乗しジョムソンの手前ナウリコットまでのドライブとなった。
 9時10分空港出発。地図では途中のベニまではハイウェーとなっているが道路の中程までが簡易舗装されている様なもので、トヨタのランクルでもこの激しい振動は吸収しきれない。ベニから先はカリガンダキ川の渓谷に沿って付けられた道で、大きな石や岩がゴロゴロしている悪路である。ヒマラヤの温泉タトパニを過ぎたあたりからニルギリ南峰の真っ白な姿も見えはじめた。
4時40分ごろナウリコットの山頂に建つロッジに着いた。ここは元は日本人がオーナーだったそうで、日本人客が多く泊まっている様である。料理も我々日本人の口に合った様な味で食もすすんだ。屋上からはダウラギリT峰とアイスフォールが望め、反対側はカリガンダキの広い河川敷を隔ててニルギルの大きな山塊が見えた。

4月5日(土) ロッジ〜ジョムソン往復
昨日、飛行機が飛ばなかったためジョムソンまで車で行くことになった。チャーターしたバスはロッジまで入れないため山を下り、下の車道へ出てバスを待つ。8時40分に出発、トウクチェとマルファで休憩した後、10時半ごろジョムソンへ着いた。近くに広がる果樹園ではりんごの樹がよく剪定されているのが見られたりして、これが近藤亨さんが現地人に指導しているものかとすぐに解った。ここの気候はまだ春浅く、桃の花は満開のものもあったが、リンゴはまだ芽は硬かった。この辺りのカリガンダキの河原は広く幅は数kmもあり水はこの時期ほとんど流れていない。耕地の灌漑に廻されているようだ。この河原を下流(南)から上流(北)へ向かって強風が吹き荒んでいた。バスを降りた近くに『ネパール・ムスタン地域開発協会、どうぞお気軽にお立ち寄り下さい、近藤亨』と書いた看板を掲げる事務所があった。今日は土曜日のため戸が締まり誰も居なかった。近藤亨さんがここで地元の人に稲、麦作をはじめ果樹栽培の技術を教えている拠点である。今は高齢のためカトマンズの自宅に静養されているとのことである。平成12年10月に熊トレで講演して頂いて早10年余り、93歳の今もネパールの農業指導に情熱を燃やし続けていることに感動させられます。
 町並みのはずれから吊り橋で対岸に渡って、丘の上のゴンパの周りに民家が集っているティニ村へ行った。対岸から見るジョムソンの町の上にダウラギリ山群の山々を望み、手前にはカリガンダキの河原をはさんで秋まき小麦と思われる濃い緑の畑がパッチワークの様に荒涼とした風景の中に際立って見えた。ジョムソンの町へ戻り昼食をとり、ナウリコットへの帰途マルファに寄った。ここは古い街道沿いの街で、車道は街の外を通っている。街の入口にはチベット仏教のお寺が中心の街らしくマニ車のある門が建っている。狭い石畳の街道の両側に古い石造の家が立ち並び、中ほどに大きなお寺があった。その近くに、もう100年以上も前に河口慧海が暮らしていたという建物も立派に残されていた。街道に面した間口の広い建物で、三階建の最上階には立派な仏間もあり、今でも慧海がここで修業をしているかの様な雰囲気だった。5時前にロッジにもどった。

4月6日(日) セコン湖散策のあと〜タトパニ
朝7時45分にロッジを出て、いったん河原まで下ってから、隣の尾根に取り付き、中腹にあるセコン湖へ向った。多分氷河湖の様なものであろう、尾根が広く、平らになったあたりにあり、周囲は500mあるかどうかぐらいの小さな湖である。着いた時に丁度山側に霧が出てしまいダウラギリを写した湖は見られなかった。晴れていればロッジの寄せ書きに書かれていた様に本当にすばらしい景色だったかもしれない。周りはマツの樹林におおわれ所々にシャクナゲが赤やピンクの花を咲かせていた。ロッジにお昼すぎに着き、昼食をとった。このロッジでは隣にある学校の子ども達に毎日給食を提供しているそうで、今日も裏庭で10数名の子ども達が給食を食べていた。この辺では今、サクラ、ライラック、プリムラなどが咲き、日本の今と同じ様な気候だった。
午後は2時に出発してタトパニへ向った。車は主に道路では無い河原を走る。この方が山肌を削った道よりずっと走り易いのだ。2時間ぐらい走り、ガーサという車の中継地に着いた。ここでは地元の車は営業範囲が決っていて、そこ以外ではお客さんを乗せて走ることは出来ないということである。車と人でごった返す所でガイドはまもなく次の車を手配しタトパニへ出発した。6時すぎの夕暗のせまるころタトパニの宿舎に着いた。
 夕食のとき明日から始まるトレッキングのコック、セカンドコック、シェルパと個人で頼んだパーソナルポーター3人を含め、計11人の紹介があった。夕食の後、温泉に行った。宿の近くにあって、20m四方ぐらいのコンクリートで囲ったプールの様な形で、水はなみなみと満たされ、深さは1mぐらいあり、少しぬるめの温泉である。暗くて水の色や濁りなどは良く分からないが、あまり綺麗ではなさそうである。しかし汗と埃にまみれた体には有難かった。

4月7日(月)タトパニ 〜 シーカ
 宿を8時に出発、ロバ10頭を加えた大集団である。シェルパとロバは自分のペースで先に行き、お茶や昼食、夕食の準備をしているという形をとってトレッカーのために働いてくれている。タトパニを出ると少し下流でカリガンダキを吊橋で渡りゴラパニ峠へ向かうジョムソン街道へと入る。最近工事をして通した様な車道が続き、山を削っただけの土と砂だらけの道で乾期のため乾ききっていて埃がひどい。高度が上がるにつれて背後に白く輝くダウラギリと左手にはアンナプルナ南峰のピークが見えてきた。
 ガーラという集落の茶店で昼食をとった。先に着いたシェルパ達が食事を作って待っていたのである。彼らは良く訓練された集団で手際良く仕事を進め実に見事である。我々が食事をして出る頃、彼らも食事をし、食器を洗い、コンロや食料なども再び荷造りをして担いで運び今度は夕食作りという具合である。2時半ごろシーカの小屋に着いた。夕方、東の方から積乱雲が湧いてきて急に雨が降って来た。雷も鳴って電灯も消えてしまった。乾ききった大地には本当に恵の雨だった。電気はこの晩は来なかった。夕立が止んで夜中の星空はきれいだった。

4月8日(火)シーカ 〜 ゴラパニ
 昨夜の雨で埃が洗われたようで緑が輝いている。真っ青な空にダウラギキやアンナプルナ南峰がくっきりと見える。ロバは7時過ぎには上ってきて荷造りを待っている。8時に出発し、古い石畳の街道を進み、しばらくは車道は見かけなくなった。街道沿いの民家の周りには畑が広がり、放し飼いの鶏は自由に走り回りのどかな農村風景である。民家が途切れると広葉樹をを主とした原生林の様な森に入る。チトレという所で昼食を食べ、今日の目的地は近いので少しゆっくりした。この辺の標高は2000mを超えているが畑には野菜も作られていて、周囲の森にはシャクナゲの大木が枝いっぱいに花を咲かせていた。
 12時半に出発ししばらく行った所で突然重機のエンジン音が聞こえてきた。近づくと車道の工事で山の斜面を削っている現場だった。街道のすぐ上の斜面を原生林の木々をなぎ倒しながら工事をしていた。近い将来ジョムソン街道は車での刊行に変わってしまうかもしれない。2時近くにゴラパニに着いた。
 タトパニから約1500mの登り、標高2750mの街である。街道の峠に位置し昔から旅人の宿場として栄えた所であろうホテル、旅館が道の両側に建ち並んでいる。

4月9日(水) プーンヒル往復〜ヒレ
 宿を4時半に出発しプーンヒルに向かう。日の出は5時50分で、それに間に合うように出た。1時間余りで着き、3194mの頂上は霜が降りていて寒かった。風はほとんど無く良かった。寒さのためか暖かい珈琲屋が繁盛していたようだ。ダウラギリ、アンナプルナ、マチャプチャレなどの山々が朝日に照らされ美しかった。
 宿に戻って朝食の後、9時にヒレに向かい下山した。プーンヒルからゴラパニの下にかけてシャクナゲの大木が群落をつくっていた。南斜面になるこの辺はしめった南風が入り込んで霧や雲が湧きやすい所と思われる。大木の幹は苔で覆われ枝からはサルオガセの様な苔が垂れ下がっている。幹に生えた苔からは白い着生蘭の花が咲いている。高度500mぐらい下ったバイダンティという所の小屋で昼食をとり、4時頃ヒレ(標高1475m)の宿に着いた。両側から山が迫り、空が狭く見える所である。今日は1日中下りぱなしだった。明日はシェルパやポーター達ともお別れで今晩は賑やかなパーティーとなった。

4月10日(水) ヒレ〜ナヤプル〜ポカラ
 トレッキング最終日、宿を8時に出発し、ナヤプルに向かう。道もだんだん傾斜が緩く、幅も広くなって歩き易くなってきた。ナヤプルには 11時頃ついて4日間のトレッキングは終わった。お世話になったシェルパやポーター達に別れを告げ、バスでポカラに向かった。途中チベットから逃れてきた難民が暮らすキャンプを訪れた。ダライラマV世の仲間達の集団で大きな仏教伽藍を中央に配しその奥に高層アパート風のビルで囲まれた所である。
 ポカラに着いて町中で遅い昼食をとった後、ホテルに入った。シャワーを浴びたり、休息の後、7時位から街の日本食レストランで食事をした。

4月11日(金)〜12日(土) ポカラ〜カトマンズ〜成田
 飛行機でカトマンズに戻り、カトマンズ夜11時発の便で帰国の途についた。