「ありがとう」五題

千 代 田 徳 子

その一 私だって美人が好き

レーへ向かう飛行機が、大雨のために飛ばず、一日待たされた空港で素敵な衣裳のカシミール美人に逢った。

早速みつけた藤井さんが写真を撮りたいという。私が伺いに行った。「こんにちは、貴女とっても綺麗ですね、失礼ですが写真を撮らせてくださいますか」(私だってこのくらい言えます)藤井さんはカメラ、山崎先生は絵筆、お二人ともしっかり頑張って気分よさそうだった。

もう一組、お化粧をまったくしてない、それなりの買い出しらしい数人のおばさま達がいた。やはり一日中飛ばない飛行機を待っていた。ふるさとの母に逢ったような気分で色々と話をした。(実は私よりお若い方達でした)

空港レストランで昼食をご一緒したりして楽しかった。三日後にメモを頼りにレーの街を探したら、チベッタンバザールテントの衣料品屋さんだった。

ミセス・エンドルマとミセス・チンドルカである。「私も日本で酒売っているから、あなたも頑張って生きてね。また逢えるといいね」と言ったら目頭が熱くなるのを感じた。 レーの街の女たちよ、素晴らしい出会いをありがとう。

その二 栄養不足は自分の責任

東京で村越先生にインド料理店へ連れていって頂いた時は、とっても美味しかったのに、レーのホテルの料理には馴染めなかった。

高度障害と寒さもあって、ツモレリやツォカルの湖から帰ってきたら風邪を引いてしまった。

冷たいタオルや薬や煮込みうどんなどを心配して下さった柿沼先生はじめ皆さん、どうもありがとう。

今度は頑張ってインド料理に馴れるように致しまーす。

その三 もっとお金が必要だ

カニシカホテルの宝石商は親切で、そのうえ商売が上手い。涼しい気候のレーからデリーに帰った時のこと、私は空港タクシーを降りとき、急に暑くなったので、冬用のジャンパーを車に置き忘れてしまった。

サンジャイ氏は八方手を尽くしてトライしてくれた。見つかった嬉しさのあまり、彼の店で少々宝石を買いすぎてしまった。

お金が足りず困っていると、隊長が見かねてお金を貸してくださった。(帰ってから無利子で返しました) 隊長どうもありがとう。

その四 月夜のトイレ探し

カル湖(ツォカル)湖畔にテントを張った夜は、月齢16日の月が皓々と広い草原を照らしていた。女一人のテントは寒くて、夜中に目が醒め、トイレでもと思って外に出る。並んだテントの前に森田千里先生がスックと立って、タバコをふかしていた。

聞くと「あの丘のむこうならいいだろう、見ててやるから」とおっしゃる。しかし、その丘はかなり遠い。雲一つなく月は明るすぎる。

さっぱりしてトボトボと帰ってきたら「大丈夫だったか、キャーッと声がしたら走って行こうとおもっていたよ」と¥¥¥¥¥¥¥¥。 先生ありがとう。

その五 山に登ってお花が見たい

インドの旅に出発するかなり前に藤井副隊長から「そんな強気を言っているけど、しっかり山を登ってもらうよ。大変だから覚悟しておいて!!」と言われた。

けれども三日間ジープで入った奥地は広い広い大平原のようなチャンタン高原の一角で、表銀座縦走のような山登りはなかった。

話に聞いたヒマラヤに咲く花もあの寒さでは到底無理。9月にして山は冬を間近にしている。

マナリロードのロータンパスやバララチャの二つの峠が大雪で通行不能では、楽しみにしていたマナリの山荘・アシュラムに寄ることも出来ない。

飛行機から見たヒマラヤ山脈の実に素晴らしかったこと。夢を来年に繋ぐことになった初めてのインドの旅を、皆さんどうもありがとう。

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