ネパール・カルカッタにて
橋 本 隆 志
やっと入り口の手続きを終えカトマンドゥの玄関口に立つ。こざっぱりとして感じの良い空港である。いつぞやタイ空港の飛行機が周辺の山で墜落した空港である。どのあたりであったろうと見渡してみるが勿論分かろうはずはない。早速、客引きにとりまかれてしまう。 タクシーの中より周辺を見ると盆地であることがよく分かる。赤いレンガの家が非常に多くレンガ色一色という感じである。 裏道を通るのか、近道を通るのか方向が全く分からない。男性の帽子がインドと少し変わって、ネパール帽とでも言うのかピンク色の入った布で出来ていて明るい色と黒い顔が妙に目立つ。
翌日は1日をつかい市街及び周辺の主な寺院を観光する。最初行ったのがパシュパティナート寺院、ヒンズー教寺院である。丁度この日は特別な日(ガイドから後で聞いた)。月一度の参詣の日であり、その日は一日断食をして、各寺院を廻るという。婦人だけの参拝であり、ほとんどの人が真っ赤なサリーを着てバグマティ川(寺院の側をながれる川)で手を洗い、身を清め、花を持っての参拝である。我々異教徒は対岸より眺めて余りの光景にしばし言葉もない。バラナシの沐浴を見た後であり初めてではないのに想像をはるかに超えてしまっている。
釈迦の時代も現代もインドの中心的な信仰はヒンズー教で厳しい身分制が特徴であり、そんな時代に仏の前では誰もが平等であると釈迦は説いたという。ヒンズー教との心の故郷がガンガーであり、ガートで現世の汚れを流し、来世の幸せを祈る。目の前のこの人々の姿を見て、日常の中に深く浸透している仏教国の一市民であることになっている者は一体何を考えればよいのだろうか。
西欧では宗教と文化は切り離せない物だと言われるそうであるが、宗教を持たないことは文化的なレベルを疑われることになるのか。仏教では死は重大なテーマではないという。(もし本当なら小生は大きな間違いをしていたことになる。)生まれて来た以上死ぬのは当然である、だから今努力しなさいというのが仏教の教えだという。ヒンズー教との人々はどうなのだらう。
すぐそばの橋(寺院より50m位)のたもとは火葬ガート、先ほど火葬の火をつけた煙が立ち昇る。この川もガンガーに合流するのだろうか。この火葬の煙と、花を持って階段を登り寺院に入って行く人々を同時に眺めていた。
横道にそれるが、質量とは慣性の大小を量として表したものという。慣性とは現状を維持する性質即ち動いている物は永久に動いていようとし、また静止している物は永久に止まっていようとする性質がある。この慣性を量として表すという考えはほんの少し分かるような気がする。これと同じように宗教心を量として表すことがもし出来るとすると、(勿論不可能であろう)ネパールのこの目の前の人々の数値は一体いくら位になるのだろう。1リットル、1貫目、1ポンド、1メートルとか、単位は何と決めてもよいが、小生の数値に比べ、100なのか、1000なのか或いは10の10乗なのか。
人間は六道を輪廻するという仏教の考え方と同じであれば、(わからない) 人間界にいる時間は外の世界にいる時間に比べほんの一瞬で死は更にその一瞬なのでごく普通の出来事なのか。この様に考えると河岸で寺院参りと100mと離れない火葬場の煙は納得の行く様な気がする。信仰心の厚い国では道端の像にも供物を捧げるといった形と同じであり、ごく普通の風景なのか。
ボナタート寺院、白いストゥーパと呼ばれるドームの上に目玉のお化けが描かれている金色の塔のそびえる巨大な寺院。マニ車を回しながらストゥーパの周りを巡って礼拝する信者が多い。次はバクタプルへ。パタンと並び古都の一つ。町の中心がダルバール広場、町全体が灰色とレンガ色の中間のくすんだ建物である。中世の雰囲気を感ずる。伝統的なネパール建築による寺院の五重の塔より下の露店を眺めながら、午後に廻ったパタンの王宮、市内の旧王宮ハヌマンドカのダルバール広場(ダルバールとは王宮広場)その他今度来るチャンスがあれば十分時間を持ちたいところである。
ポカラ
標高800mの町、思ったより暑い。やっと6時間の道程を経て着いた町は予想外に静かである。晴れていればアンナプルナ8000mの山々が眺められたであろうに残念至極。ダウラギリ、マナスルも近いはずだ。
湖は夕方の日を受けてきらきら水面が光って水は予想外に透明できれいである。この湖の対岸にホテルがあるという。ドラム缶を着けた自家用筏に乗り対岸へ渡る。フィッシュテイル・ロッジ、これが今日のホテルの名前である。円形のコテッジが数棟並びバームクーヘンを等分に切ったような部屋、数日のんびりと過ごしたいものである。
夕方より激しい雨になる。明朝「山がきれいに見えるよ」の声を期待して就寝。一割か二割の可能性に、こめた願いも、望みも残念ながら夢と消え去ってしまった。
カルカッタ
進みたい放題、好き放題、勝手な方向にながれている。水面と地面が同一平面で、洪水とか水びたしとかごく普通の出来事で、珍しくも何とも無いことであろう。この川の上流では身体を洗い沐浴を、洗濯を、また火葬の灰を流すのである。ヒマラヤの向こう側からながれて来るというのだから驚く。ブンタールからデリーの機中で雲の切れ間より見えた何条かの蛇行した流れが眼下の川に流入していると思うと想像をはるかに越した世界がある。日本はせまい。
空港に着いた時はもう夕刻である。手続きを終え外に出た時はすでに夜になっていた。なんと暗い都会であろう。少し見慣れている筈なのに異常に暗く感ずるのは小生だけか。
雨上がりの悪路をとばす運ちゃんの目が鋭い。よどんだ空気、湿度100%の空気、それに騒音を混ぜ合わせたような空気である。CO2と車の排気ガスで喉が痛い。人人人‥‥‥‥だらけである。何の目的で人々は町の中を動き廻っているのだろうか。夕食でも摂るためか、或いは家路に向かっているのだろうか。西のアジア、南のアジアが混じりあって緊張感に耐えられず、思考力は完全になくなってしまう。カルカッタの夜は全くもって悪魔の世界だ。この暑さが太陽のせいだとすると太陽は身内ではなく敵である。
一夜明けると町はいつものインドの都会に変わっているのに驚く。田舎者の小生がネパールの地方から大都会に出てきて、あまりの変化に驚き戸惑ってか、疲労のせいか、暑さのせいか、今思い出しても不思議な一夜であった。
前半のヒマラヤトレッキングは雨にたゝられ、文字通りの雨期のインドをいやと言うほど見せられたが、後半ネパールでの印象が心に残る旅であった。