高山病にかかって
藤 井 日 出 子
まったく思ってもみなかった高山病にかかってしまった。「高山病ってどうなってしまうの?」とか、「酸素を吸ってどうなった?」とか聞かれる。
高度3500mと、比較的低い所でかかってしまった、その不名誉な記録を書くことにした。
9月6日、摂氏18℃、快晴のレーの空港に降りた。風が少し吹いて砂埃がたっていた。その時はまだ症状は出ていなかった。
果てしなく広がる白き神々の座ヒマラヤの上を飛行機で飛んで、興奮は未だ覚めやらず気が付かなかったのかも知れない。
ホテル KANG LHA CHHEN に着いて、荷ほどきをしている時から頭痛は始まった。
翌朝、体温は38度に上がっていて、頭痛が酷くなっていた。ゴンパ見学に参加したが、ゴンパの階段を昇るのに息がきれ、辛くて途中で降りてしまった。
帰路、幸いなことにシェー村でお祭りに出会った。大勢の女達が民族衣裳を飾りたてて踊っていた。男たちは異国情緒豊かな楽器をかき鳴らし、祭りを盛り上げていた。 弓矢を射る催しがあり、民族衣装を着た男たちが素朴な弓で的を狙い歓声をあげていた。こんな時は頭痛なんてすっかり忘れていたのだが撮った写真は斜めになっていた。 三日目の朝、咳や頭痛が激しかったが、車で行くのだからとゴンパ見学に参加した。途中、肩が凝ってきて背中の方まで激痛がはしった。肩を揉んでもらったり、叩いてもらったが、すぐまた痛くなった。
四日目になって、体温は37度に下がったが、前の晩は頭痛で殆ど眠れなかった。
皆さんが心配してくださった、頭痛薬・解熱剤・風邪薬・抗生物質等を飲んでみたが、なかなか治らない。そのうちに、室内の電灯の光も眩しくて、額から手が離せなくなった。「死ぬ!」と叫んだかどうか、酸素を吸うことになった。
森田千里氏が持ってきて下さった貴重な酸素を二本吸った。一本はドシャール湖で誰かが吸った残りだとのこと。
出来るだけゆっくり深く吸った。そして30分もたったろうか、すーっと波が引くように頭痛が去っていった。「助かった」と思った。皆に本当に迷惑をかけてしまった。 どうしてこうなってしまったのか考えてみた。思い当ることは、デリー市内観光のとき大雨が降っており、衣服や身体が濡れたところへ、車中のエアコンのききすぎた冷風があたり風邪を引いてしまったことだ。
それが誘因の一つかも知れない。それに心肺機能の疲労が重なっての高山病かも知れない。
「昨年まで大丈夫だから、今年も大丈夫とは限らない。」確かにそうであった。
レー・ラダックにあこがれて、それなりにトレーニングに励んだつもりであったが、前途は悲観せざるを得ないことになってしまった。
レーに病んで 夢は高地を 駆け巡ったのである。