インド・ネパール観光11日間の旅
宮 内 浩 志
昨年の報告集で、「次回インドを訪れたならば、ぜひ色々なところを歩きたい」と書いたのだが、今年早くもその希望がかなえられてしまった。
インド・ネパール隊は、「熊谷ヒマラヤトレッキング・グループ」と言うより、「インド・ネパール旅行11日間の旅」という感じで、観光や街歩きが目的の隊であった。そういう意味では、僕の希望にも沿ったものであった。隊の年齢構成も上から下まで適度にバラけていて、ほとんどが去年から知っている方々であり、6人という少人数という事もあって、まとまった楽しい旅となった。以下に旅の途中で考えたことや、ふと思ったことを書いてみよう。
タージマハルにて
「インド人も観光をする。」こんな当たり前のことに気づかされたのは、タージマハルでであった。門から入ってみてびっくり。何千人という人がタージマハルを見るために列を作って並んでいるのである。ちょうど金曜日で、イスラム教との関係であろう、入場料が無料の日だったのだ。きれいに着飾った人もいれば、普段着のままで来ているような人もいる。僕達も列の最後に並ぶ。その後ろには、子ども3、4人連れた人の良さそうな親父さんがつく。彼らもタージマハルを見に来たのかと思うと、妙に親近感がわいた。一言、二言言葉を交わす。いい感じになってきたと思っていると、突然、2人組が僕達の間に割り込んできた。しかし、その親父さんは文句一つ言わず、目を伏せている。僕は出て行けと何度も言ったが、その2人組は全く無視、結局居座ってしまった。子どもの見ている前で、親父さんは何故黙ってしまったのだろうか。或いはカーストのせいかも知れない。しかし、悪いことを悪いと言えないなんて‥‥‥‥。釈然としない物が胸に残った。そして、その事を除けば、タージマハルはとても素晴らしかった。
オートリキシャの謎
国立博物館からクトブ・ミナールへ行くのに、リキシャの交渉をする。最後には、博物館の警護にあたっている軍人にまで値段を聞いて、結局60RSでまとまる。ところが、走り出すや否や、3人乗ってギュウ詰めのリキシャに、もう1人飛び乗ってきた。(僕は、手すりに腰をかけ、上半身は道に出していた。それはそれで面白かったが。)そして、最後に飛び乗って来た奴が、一人当たり150RSだ、など言いだし、しまいにはカーペット屋にも行くと言い出す始末。運転手とグルになっているのだ。日本人だと思って、馬鹿にしているのだろうか。頭にきて、警察へ行けと言うと、道端にリキシャを止め、故障したという。仕方がないので、別のリキシャを探すことにして、降りる。しかし、これがなかなか見つからず、困って居ると、何故かさっきのリキシャの運転手たちが別のリキシャを止め、同じ値段で行ってくれることになった。一台のリキシャに5人も乗ったため、本当に故障したのだろうか。謎である。
カトマンドゥの人形屋で
カトマンドゥでの最終日、あるこぢんまりした人形屋に入った。急な階段を上がって、2階にその店はあり、夫婦だろうか、17、8歳くらいの真面目そうな男女が店番をしている。話をしながら、ふと机の上を見ると、平仮名を書いたノートがある。日本語を勉強しているのか、と聞くと、そうだと言って、階下から別の男性を呼んできた。その男性は25歳で仕事をしながら日本語学校に通っているという。しゃべれるの、と聞くと、はにかみながら、ちょっとね、日本語で返ってきた。
すっかり打ち解けて話していると、日本人はフレンドリーだが、インド人はノー・グッドだと言う。日本人とネパール人は顔立ちがとても良く似ていることや、日本のネパールに対する様々な支援(カトマンドゥ市内にも日本のODAで建設中の橋があった)も日本人に対する好感につながっているのだろう。歴史的な変遷や、日常生活上でのインド商人の横柄さが、インド人への不快感の原因であろうか。インドルピーがネパール国内は通用するが、その逆は成り立たない、という所にも現れる、ネパールとインドの経済的格差のせいもあるだろう。
彼らとの会話を通して、ネパール人は概してインド人よりも素朴なのではないか、と思った。高野さんのあの忘れ物が中身に手を触れられることもなく無事見つかったというのも、超高級ホテルだったから、というのはもちろん、そのようなネパール人の国民性のお陰というのもあると思う。
それほど話をしたにもかかわらず、(日本語もちょっと教えてあげたのに)、人形があまり安くならなかったのは、やはり僕が日本人だったからであろうか。