インドの人々

諸 貫 和 豊

今回の自分のインド旅行・初めての海外旅行は非常に貴重な体験であった。今まで日本という島国を出たことのなかった自分にとって、異なる国、異なる文化、そしてそこに住む人々に触れ合えたこの旅は新鮮な驚きばかりであった。

ヒマラヤのトレッキングは、チャトルへ向かう道路が不通のため急遽変更となり、また、雨にたたられたり渡渉があったりとかなりたいへんなものであった。それでも、ヒマラヤの雄大な山塊や数多くのきれいな高山植物を見れたりしてすばらしいものであった。それに今となっては、渡渉でずぶ濡れとなってテントで震えていたのも良い思い出となったと思える。

トレッキング後の観光でも色々な経験ができた。アグラではタージ・マハールの写真をヤムナー河の対岸から撮るために、リクシャーの運ちゃんに秘密のスポットに連れてってもらえた。アグラ城ではその巨大さに驚き、タージ・マハールでは夕日に照らされたその姿の美しさに目を奪われた。また、アグラでの夜には夕食で食べた中級レストランの料理にあたってしまい、一晩中ベッドとトイレを往復したことも忘れられない。おかげで翌日のジャイプール観光はさんざんなものだったが。

その他にもインドでは数多くの真新しい体験をし、日本に戻ったのだが、いざ日本に帰ってインド旅行を振り返ってみると、たしかにヒマラヤの雄大さやタージ・マハルの美しさも印象深いけれども、より心に残っていたのはインドで出会った多くの人々の事であった。異国だ異文化だといってもやはりそれらを肌で感じて育ってきた現地の人々こそ、その国そのものであるからだろう。

とは言っても、実際インドへ行く前はインド人に対して不信感といったものの方が多かった。村越先生たちから「インドでは銀行でもお釣りをごまかす」とか「車より人間の命のほうが安い」だとか聞いていたためである。もっともそれだけでなく、自分が日本という豊かで安全な国に育ち、インドを無意識の内に豊かでなく危険な国として見下ろしていたせいもあったかもしれない。そんな先入観をもってインドに行ってしまったせいで、最初の内は町を歩いたり買い物をしたりするのにも気が引けていた。インドの町の喧噪もそれにおいうちをかけていた。そのころ自分は、インドの人を日本人じゃない人々として自分との間に一本の線を引いてしまっていた。

最初にその線を薄くしてくれたのが、トレッキングのスタッフのナマックさんを始めとする面々である。インドに来て初めて現地の人と身近に生活し、つたない英語で会話したり、一緒に笑いあったり、彼等の作ってくれた料理を一生懸命食べれば喜んでくれたり、そんなささいな交流の中でようやくわだかまりがとけたような気がした。彼等には彼等なりの価値観ってものもあるだろうが、人間として基本的な部分ではまったく同じなんだな、なんて当たり前の事にようやく気付いたのである。風来坊を離れるとき、いつもニコニコしながらタバコをもらいにきていたガントゥージーの目が潤んでいるのを見て、彼等は自分達以上に人間らしい人間なんだなと、つくづくそう思った。

そしてそんな出会いがもう一回。それはタージ・マハールの対岸にリクシャーで向かう途中の農村であった。今まで観光地の喧騒な町中ばかり歩いていたため、農村のような生活に密着した場所など近寄ったことはなかった。何より、そんな生活の場だからこそ自分達のような観光客は受け入れてくれないのではないかと思っていた。ところが、両側に家のせまった細い路地をぬけていく自分らにめずらしそうな視線を向けるだけ。何より子供達は、みんなとても嬉しそうに手を振ってくれる。さながらパレードのようだった。このときもインドの人を身近に感じられた一瞬だった。

そんなことがあってから、自分は少なくともインドに来る前よりははるかに素直な目でインドの人たちを見ることが出来るようになった。とはいえ、インドに住む全ての人が、純朴で素直な良い人であるとはけっして言えない。町中を歩けば物乞いはまとわりつくし、店ではたいがいボッたくられる。インドに来る前ならそんな人達を見て「ずるいやつらだ」としか思えなかったと思う。けれども、インドに来て、インドの人たちと触れ合い、またインドの貧富の差なんかを目の当たりにすると、それらもきっと彼等の生きていくための重要な手段の一つなんだろうと思えるようになった。日本という生きていくのに恵まれた国に育った自分たちと違い、彼等はきっと生きていくためにハングリーでなければならないのだろう。インドで出会った人々は、みんな目が生き生きしていた。というか、少なくとも日本の電車の中で疲れきって眠っている人達のような目はしてなかった。豊かであるがそれゆえの怠慢さや傲慢さもある国、また、貧しいがハングリーで生き生きした人がいる国。どちらがいいかなんて分からない。けれども自分がインドにほっぽりだされたらたぶん生きていけないだろう。

大学に入る時、これからとにかくたくさんの事を経験し、視野を広げていこうと思った。見たり聞いたりするだけじゃ分からない事がたくさんあると思ったから。今回のインド旅行は行ってみて初めて気付いたことばかりであった。そして今度再びインドに行ったとき、また違ったことに気付くのだろうな。日本に帰ってきてそんな事を考えた。

最後に、今回の旅でお世話になった村越先生をはじめ福田隊長やその他多くの人にお礼を申し上げます。