初めてのインド
中 野 章 義
村越氏から「インド良いとこ一度はおいで」と言われて四・五年が経過し、ついに参加する決心がついた。昨年も何とか参加するつもりでいたが、日程の都合がつかず、今年こそチャンスと思っていた。
四月中旬にはヒザの手術というハプニングがあったが、出発までには、まあまあ「使用可能」となった。この手術を行った病院と医師は、長谷川さんが一年ほど前に同じヒザの手術を行った同じ病院、医師で、長谷川さんとは陣見山でトレーニング中に偶然出会うなど、不思議な「因縁」を感じる。
妹尾河童が書いた「河童が覗いたインド」等を読んで少しはインドの様子がわかったが、しかし、見ると聴くでは大違いであった。いくつかの「カルチャー・ショック」を書いてみる。
<その一>
インドは暑い国という印象があり、六月の新聞では四十五度にもなり、死者も出たということだった。しかし、デリーの空港から外に出ると涼しく、二十八度程であった。東京は連日三十五度を越えていて、インドに避暑に来たというところであった。
バスで市内の中心に近づくと、街路樹が大きく立派であり、まるで森の中を走っているようである。ホテルの十四階から見ると一面の森が見えるだけで、建物は一部の高層ビルディング以外は見えない。遠くに「インド門」と「大統領官邸」が見える。多くの建物(おそらく金持ちの)は二階〜三階建てであり、街路樹の下にある。
<その二>
リキシャで朝九時頃、デリー駅へ行ってみた。その人の多いのには驚かされた。どこからこんなに人が集まって来るのか。客引き、路上で物を売る人、リキシャの若者、石鹸で体を洗う人、ただなんとなく佇む人など、駅前は大変な喧騒であった。ホテル周辺のゆとりのある空間と対象的である。
<その三>
山に入って四日目、ハムタ・パスに到着した。峠の周辺にはヒツジが放牧されていた。ヒツジ飼いが我々に近づき、何か話した後、また急峻な岩と草つきの斜面を軽いステップで登っていく。小雨が降りかなり寒いが、毛布をはおり、半ズボン、布靴という格好である。
ガイド氏を含めて、現地の人々は本当にタフであり、我々を援助してくれた。ただ感謝するのみである。
最後に福田隊長、青木君、松本君、ご苦労さまでした。