インドの旅雑感
野 本 良 子
今春夫の定年退職にあわせて、私も退職。「熊谷トレッキング同人」会長・村越先生からこの機会に是非2人でインドを旅して見ませんか、というお誘いをいただいた。少々不安もあったが、喜んで参加させていただくことにした。当会に加入してびっくりしたことは、8月のインド旅行のために、4月頃から色々な学習会を重ねてきたこと、また団結力と体力作りのために二子山合宿登山(セントラルラホール隊は富士登山)を実施して、旅行に備えたことなどである。今まで鎖で岩山を登ったこともなく、寝袋を使用したことも初体験であった。周到な準備をした後、7月30日にいよいよインドに出発した。
〈インドの人々の暮らしや町の様子〉
インドは初めてである。今まで本を読んだり、人の話を聞いたりして、少しは知識を持っていたつもりであったが、実際に自分の足で歩き、自分の目で見て、想像を超えるものがあった。正直言って大きなショックを受けてしまった。
ニューデリーは非常に緑の多い整然とした街で、政治と文化、教育の中心地で、オールドデリーと大変対照的である。
2日目に市内観光。最初はインド門、次はオールドÃÞØ°にあるレッド・フォートとジャマー・マスジット・モスクを見学した。特にÓ½¸の周辺は貧民窟が多く、人々のみすぼらしい様子は一言では表現できない位だ。道端には沢山の店が連なり食料品店に並べてある食品には黒い大きな塊まりとなってハエが群がっている。不潔と悪臭でいたたまれない。人々の猜疑心に満ちた目がいくつもいくつも私たちに向けられる。すぐさまそこから逃げ出したくなってしまう。
4日目はバラナシーを見学する。当地はヒンドゥー教の聖地で、ガンジス河の沐浴が有名なところ。オールドデリーと同様、想像以上の貧困と不衛生、その上道路は人また人、リキシャー、自動車、牛でごった返し、悪臭と喧騒で自分の置場所がない状態である。沐浴場では茶色く濁ったガンジスの水で、洗顔したり、口をすすいだり、また水浴や洗濯、お祈りを捧げている人たちでいっぱい。少しむこうには子どもの死体や牛の死体が浮いている。とてもこの世ものとは思えない光景に出くわしてしまう。まさに時が止まり、何千年も前と殆ど同じ生活をしているのではないかと思われる。ここが最もインドらしいという人がいるけれど、この文明の時代に「なぜ」という疑問が起こってくる。
終戦直後の日本も大変貧しかった。しかし色々な改革がなされ、今日のように世界でも有数な先進国として名声を博している。我が国だけでなく、1970年代、チベットやモンゴルなどでも農奴の解放や土地改革、寺院改革などが行われ、今まで秘境であったものが一挙に中世から近世を飛び越して現代的社会に変貌したと言われている。
インドは昔から厳しいカースト制と宗教上の問題があるが、しかし場所によっては少しずつ変化し、緩和されてきているという事である。出来るところから、わずかでも改革がなされ、人々の生活が貧困から解放されることを願わずにはいられない。特に子ども達や幼児を抱いた母親が私たちに差し出す手には大きな哀れみの感じを持ちつつも、願いを叶えてやれないもどかしさに苛立ちを感じてしまう。インド社会での福祉や教育の推進、その他色々な改革を心から望みたい。10年後の変化を期待しつつ。
〈女性の服装について〉
インドといえばサリーが民族衣装であることはよく知られている。絹の衣を風になびかせて、彫りの深い顔、澄みきった眼差しの女性は実に美しい。デリーの町々でよく見られた。今回インドを歩いて服装にも色々な形があることに気がついた。
a)おへその上少なくとも10cmはあいているチョウリというブラウスを着て、左肩から背へサリーの端を垂らしているタイプ。これはウッタルプラデッシュ州の女性である。
b)もんぺに似たサルワールと支那服のようなカミーズの組み合わせの上にドウパッタ(薄いスカーフ)を両方になびかせているタイプ。これはパンジャブの女性である。
c)青、黄、緑のどぎついコンビネーションをプリントしたサリーで頭まですっぽり覆い隠し、鼻輪と腕輪、足輪を鳴らしながら行くのはラージャスターンの女性である。
d)北部山岳のマナリなどではサリーはごく僅かで、ほとんどがチベット系の服装が多い。ウール地をピンで止めて、ワンピースのように着付け、頭をスカーフで覆う。農村地帯ではチェックの柄が多く、スカーフは後ろ結び。街での若い女性はレンガ色の無地の布が多く、スカーフは前結びが多かった。
以上地域や宗教により、デザインも多種多様であることを理解した。今後服装について更に形式と地形の関わり、機能面などについても興味を持って調べてみたい。
〈ヒマラヤの山々〉
後半は山岳地帯をジープでトレッキングする。4000m以上の高地、しかも雨で決壊した道路、でこぼこ道を難なく走る。山々の麓には緑の畑が広がっている。じゃがいも、エンドウ、菜の花が咲きほこり、絵を見ているようだ。その周りには雄大な山々が連なっているが、雨空で視界は悪く、なかなかヒマラヤの全容は見せてくれない。最も期待していたのに、残念の一言につきる。何時の日にかすばらしいヒマラヤ、頭に描いているヒマラヤを再び訪れたいものである。心配した高山病もなく、無事に下山することが出来た。
10日目にはマナリに到着し、アシュラムで森田先生に大変お世話になる。特に手作りの五目ご飯や卵スープ、漬け物、あえ物などとても懐かしく、美味しく感じた。インド料理に飽き飽きしていたので、生きかえった感じ。
今回初めてインドの旅に参加させていただき、色々な体験を得、色々な考えを持つことが出来た。また沢山の人々にお世話になり、教えていただいたことも多く、大変勉強になった。これからの人生に大きなプラスになってゆくことであろう。最後に大変お世話になったことを深く感謝いたします。