ネパールの心

高 野 忠 夫

今年の夏もまた、ヒマラヤトレッキングの仲間たちとインドへの旅に出かけた。とは言え、今回は、ニューデリー、カルカッタとネパールの首都カトマンドゥと都市の観光が主であった。

インドの八月はちょうど雨期で、スコールが来たと思うと強い日差しで、すごい蒸し暑さである。それに加えて、大都会の中を走り回る車、車。しかもその多くは、日本では見られないようなポンコツ車が群をなして走り回り、その排ガスだけでもいっそう蒸し暑さが助長される。

そこへ行くと、ネパールは山国でもあり、首都であるカトマンドゥはインドよりは落ちついた感じのする街である。しかもここまで来るとチベットの隣ということもあって、サリーは着けていても、中国人や日本人のようなノッペリした顔つきの人たちが多くなって来る。

私たちは、ネパールにまで来てヒマラヤを見ずに帰るのは何としても残念だという思いで一杯であった。しかも泊まっているホテルの名が「アンナプルナ」ときているのだ。

隊長が、旅行者やガイドの人たちから聞き出して来たところ、カトマンズから西へ車で7ー8時間行ったところに「ポカラ」という町があり、ここからのヒマラヤの眺めはすばらしいということがわかった。但し、雨期の今ではヒマラヤの山々を見られる確率は20〜50%だということである。しかし、私たちは折角ネパールまで来たのだからと、この確率に私たちの思いをかけることにしてポカラまで車を走らせたのである。

その夜はポカラの人造湖の中に浮かぶ小島にあるホテル「フィッシュ・テール」というネパールでも最高のホテルで、世界各国の要人も泊まったといって、その写真が玄関に飾ってあった。

朝になるとボーイが『山が見えますよ』と起こしに来るという話しに期待しながら寝に就く。ところが夜中から雷が鳴りだし、ついにドシャブリの雨に私たちの夢は完全に押し流されてしまった。

悪いことは重なるものである。昨日の自動車の旅で何時間もゆられ通しで、しかも食事の時冷たいビールを飲んだのがきいたらしく、そうでなくとも下痢症の私の腹は遂にやられてしまった。

そういうこともあって、朝食もそこそこに帰途についたが、途中、昼食で寄ったレストランのトイレで、私は腹巻きがないことに気がついたのである。

パスポート・航空券・現金など、最重要品の入った「腹巻き」をホテルのベットの枕の下に忘れて来てしまったのである。

たまたま、このレストランは、昨晩泊まったホテル「フィッシュ・テール」と同系列のレストランであったので、隊長から話を聞いた案内人の運転手がすぐ支配人と相談してホテルに連絡をとってくれた。

15分もすると運転手がニコニコしながら戻って来た。「腹巻き」があったこと、そして「飛行機ですぐにカトマンドゥに送ってくれる」とのことであった。

とっさに私が思いだしたのは、今朝、ホテルの部屋を出た時行き交ったメイドさんたちの姿だった。『そうか、彼女たちが取っておいてくれたのだ』と。

出てくればいい方で、出て来ても少なくてもキャッシュは無くなっているのではないだろうかというのが大方の意見である。勿論、パスポートや航空券が無くなれば、少なくとも一週間は帰国が遅れることを覚悟しなければならなかったのである。

夜7時、カトマンドゥのホテル「アンナプルナ」に帰着。今、旅行社の社長が空港に「腹巻き」を取りに行ってくれているとのこと。しばらく待って、社長がかえって来ると、ホテルの支配人を立会人にして、「腹巻き」の中を私に確認させた。何と、全く手つかずにすべてがきれいに返ってきたのである。

昨年、ガケ崩れで足止めをくい、帰りの航空券もキャンセルされた中で、ともかくニューデリーまで徹夜でバスを飛ばし、ホテル「カニシカ」に着いたとたん、「全員が予定通り帰れることになった」と聞いた時と同じ様な喜びであった。隊長の話では、『やはり最高のホテルに泊まったのが良かった』と言われた。世界の要人たちが泊まるようなホテルでは、その権威を汚さぬよう、従業員にもそれなりの教育、訓練をほどこしているのであろう。

しかし私にはそれだけではまだすっきりしないものを感じた。どんなに教育・訓練を受けたとしても、少なくとも彼女の生活からすれば、給料の何倍もの金が目の前にある。一枚や二枚の札を取っても分からないのではないだろうか?それを思うと、何一つ手つかずに返って来た事に素直に感謝しなければならないのではないだろうか?

日本人は、外国旅行に出るとき、万一のことを考えて「腹巻き」などという物を持って行くが、今回のネパールの彼女たちの心は、この「腹巻き」とは無縁のものであったのだ。

私はそう思いたいのである。

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