インドを垣間見て
武 政 憲 吾
人間は一人一人が、広い地球において限定されたなかに生きている。そして我々日本人は大陸から離れた島で生きている。従って当然の事として、海外に対して無限の憧れを持つ。「そんな我々自身や、我々の文化、習慣、感性が海外の人々からどのように見えるのだろうか。」インドへ行く前、そんなことを考えていた。
インドの町に立つと、行き交う人々の顔、服装、皮膚の色の多様さに驚く。そして、そんな人々が人種、言語、宗教、カースト制などの多様さと複雑さの中で、ごっちゃ混ぜになって生活してるのを見て一層驚く。様々な問題も抱えてはいるが、人間の生きる原点を見たような気がした。
また、インドでは至る所で、働いている子供達が目に入った。店番をしている者、チャイをつくっている者、道路工事をしている者など様々である。さらには、黄緑、ピンク、紫などの蛍光色のサリーを着た女性達が、工事中の道路で、頭の上にのせたザルに砂利などを入れて、のろのろ運んでいるのが目に入った。このような光景が目に入ると、どうしても自分と比べてしまう。大学生になるまで働いて収入を得た事はないし、日本で子供達が働いているのも見た事がない。そして、お金の心配することなしに教育を受けてきた。人格形成に重要な役割を果たす教育を、受けたくても受けられない子供達が世界に多くいる中で、僕の大学での取り組みを考えると、情けなくなる。
インドの人々の生活を見ると、確かに我々の住む日本は、生活水準において話にならないほど先進国である。しかし、例えば、人権に関することについて考えた場合、果たしてどのくらい先進国であろうか(どこの国と比べるというのではない)。大切なのは、生活水準ではなくて、生活そのものであると思う。
トレッキングにおいては、悪天候の続く中で、終盤になって、短い間ではあったが、ヒマラヤの景色を見る事ができた。しかし、それは、僕の心を震わせるのには十分な時間であった。真っ青な空の下で氷河に覆われた山々が、どっしりと構えていた。その存在を我々に示すかのように、氷河をきらきら輝かせていた。自然の雄大さを改めて知るとともに、そんな自然を相手にして、天気が悪い事に苛立っていた自分が、ばかばかしくなる。
今回インドへ行くことにあたって、全くと言っていいほど、積極的に勉強するという事はなく、ただインドへ行けるという事に満足してしまった。次回、インドへ訪れるならば、このへんを改善して更に多くの事を学び、楽しみたいと思う。最後に、皆様に感謝申し上げます。