アグラにて
・・あるいは僕の思ったこと・・
富 田 寛 之
ヒマラヤでのトレッキングを無事に終えた僕たちは、バスに揺られること数時間、インド観光のメッカ、タージ・マハールの町アグラに到着した。
ムガール・シェラトンホテルの豪華な部屋でくつろぐのもそこそこに、僕は同室のM君とアグラー観光に向かうことにし、ホテルの前でよって来たオート・リクシャーの運ちゃんと交渉して、値段が折り合うと、まずはヤムナー河対岸にあるイティマド・ウッダウラー廟に行くことにした。というのも『地球の歩き方』に載っているヤムナー河対岸から写したタージ・マハールの写真がいいので、同じ構図で写真が撮りたいとのM君の意向があったからである。
いざ行ってみるとイティマド・ウッダウラー廟からはタージ・マハールを対岸に望むことはできなかった。そこで僕らはリクシャーの運ちゃんに、
「ウィー ウォント トゥ テイク フォト タージ・マハール アクロス リバー。」
などとムチャクチャな英語で尋ねると、「OK、OK。」と軽く交渉成立。40ルピーの上乗せで行ってくれることになった。
リクシャーに乗ってしばらくすると市街地を抜け、田園地帯に入ると風景は一変した。雑然とした街中とは違ってどこか日本に似た雰囲気がし、疲れていた心がホッとする風景だ。しばらく走るとレンガ造りの建物が並ぶちょっとした集落にリクシャーは入っていった。リクシャーの幅程しかないでこぼこした道の両脇には家々が立ち並んで、その軒先には小っちゃな子供達がずらーっとたくさん、たくさんいて、僕たちが通ると立ち上がり、僕たちに向かって
「ハロー、ハロー!」
とみんなが皆、手を振ってくれた。僕とM君が手を振り返すとさらに一層ニコニコしながら嬉しそうに手を振ってくれる。みんなボロボロの服で裸足だったりするんだけど本当に楽しそうだ。僕たちはさながらパレードのようにこの集落の狭い道を通り抜けていった。
この体験は僕にとってちょっとしたものだった。僕は今回、インドへ行くことになって自分なりにいろいろと考え、『インドへ行って価値観が変わった。』なんていったステレオ・タイプなことを言わないようにするつもりで、考えをまとめていた。それはインドを無条件に受け入れたり、『これがインドだ。』といった妙な納得をしないようにするものだった。そんな僕はインドやインド人に対してどこか冷めた、突き放したポジションをとっていたのかもしれない。
でも、この子供たちを見て、その距離がぐんっと近づいた感じがした。ペシミスティックな考えが払拭され、人としての共有感みたいな、というか何と言ったらいいか『彼らは幸せでもある。』みたいな考えが、うまく言い表せないものの、頭の中に存在するようになった。埃や喧噪や混沌、物乞い・乞食に物売り、カレーといったものがインドの一面であるならば、あの出来事もまたインドの一面であり、事実である。この体験で僕のギアはニュートラルにもどった状態になったのである。
その後、希望通り対岸からタージ・マハールの写真を撮ることができ(『地球の歩き方』とは構図が違ったのだが)、次にアグラ城に行ってスナッパーと化し、そしていよいよタージ・マハールにたどり着きここでも写真を撮りまくってホテルに帰ったのだが、タージ・マハールもたしかに凄いと思ったのだけれど、アグラで、いや、今回のインド行で一番印象に残ったと言っても過言ではないのは、やはりあの子供たちのことなのである。
この次僕がインドへ行く時、どんな体験が僕を待ち、今ニュートラルなギアがどのギアに入ることになるのか楽しみではある。
余談ではあるが、アグラのホテルでの夜に僕は激しい腹痛に見舞われて、一時間ほどベッドの中で悶え苦しみ、M君は下痢と吐き気が交互に訪れてトイレを何度も往復するハメになった。そんな事からもアグラは思い出深い場所となった次第なのである。