カジュラーホー
豊 島 千 恵 子
インドに着いて早々のカジュラーホーは、デリーの喧騒が嘘のような静かな村だ。千年の遺跡が圧倒し、その間に人間が生活させてもらっているようだ。
数えきれないほどのミトゥナ像で埋め尽くされた塔。あまりにも多く、あまりにも大きい塔に、1つ1つの彫刻の形より、これを造った人々のエネルギーはいったい何を求めていたのだろうと、計り知れない力に思いをめぐらす。
今遺跡を守っている人々は黒カビと戦っている。高い塔に足場を組み、小さなへらで丹念に落としてゆく。22もある遺跡を順に巡ってゆく。けっして全てが綺麗になることはない作業をゆっくりと休みなく続けている。
西の寺院群を廻って、カジュラーホーで最も賑やかと思われる角の店で休憩。日本語の上手な我々のガイドによると、人口は約5000人、主に冬小麦を作り4月に収穫する。収穫した小麦の3分の1が小作(彼はハリジャンと表現した)の取り分だそうだ。水争いも多く、けっして楽ではないとのこと。
商人は比較的安定していて、中でも食糧品を扱う者は儲かるそうだ。しかし、今はホテルが一番、彼自身もこの近くに建築中だ。静かな村も確実に建築ラッシュに見舞われている。
東の寺院群は、西の寺院の偉容とは違う取り残されたような静かさだ。遺跡の囲いの入り口には老婆が佇み、寺院の階段では犬が座り込んでいる。「ここは何処‥‥‥‥」一瞬立ち止まりそうになる。
最後に近くの集落に案内してもらった。ぬかるんだ道の両側に低い長屋式の土塀が続いている。4・5歳くらいから15歳くらいまでのだろうか、子供たちが大勢ついて来る。ガイドに遅れないように早足で歩き、奥の家へ案内される。塀の内側は、ちょっとした広さの庭だ。
何となく父親らしい人が出て来て、トランペットを吹き、息子か兄弟か分からない男たちが鼓笛隊の小太鼓をたたきだす。マニ車とマラカスの間のような物でリズムを取る。どうやら楽隊の一家らしい。ピンクの薄い服を着た少女が、うつむき加減だがリズミカルに踊る。裸足の足元が小気味よい。おやおやと思う間に、私たちについて来た子供たち、近くの大人たちが入り口に溢れてしまった。一家は突然の珍客にも全く表情を変えずに続けている。
お礼に50ルピーを渡して庭を出る。彼らはこの村の祭りだけではなく、遠くの村や町まで出かけて行くそうだ。
集落の出口まで子供たちが追って来る。夕方のカジュラーホーは一段と静かだ。
ホテルへの帰り道、骨董品の良い物があるとの触れ込みで土産物店へ寄った。入り口から妙に日本語のうまい太った男が馴れ馴れしい。例によって見るだけで良いからと、本物の仏頭だという物を見せられた。鍵のかかった小さな部屋に確かにそれらしい仏頭がごろごろと並んでいる。半信半疑で値段を聞くと、20万〜30万円と答える。何だか怪しげで、(本物だったらもっと危ない)しばらく冷やかしただけで退散した。
翌朝、ホテルのロビーに太った彼が偉そうに居るには驚いた。彼はあのみやげ物屋の主人で、このホテルのオーナーだそうだ。何処まで信じて良いかとっさには判断が付かないが、どうやら本当らしい。しかも近々日本に来るという。我々についたガイドも日本に来ると話していた。彼は商才を働かせ、相当な努力をして日本語を学びここまで成功したと、誇らしげだ。
村の真中をどっかと遺跡が占める静かなカジュラーホーでも、インドらしいしたたかさをまたまた見せつけられた。