インド雑感
山 崎 晃
・・・環境への順応から考えたこと・・・
「インドへ行く」というと、「暑くて大変でしょうね」と返ってくる。だいたいその年のインド行の話が具体的な動きになる頃は、インドの各地が熱波に襲われ、気温が45度を越え、何人かが死んだというニュースが流れる。だからインドで暮らす4億の人々がみんな暑いおもいをしていると錯覚している。
しかし、私たちのインド旅行は、いつも日本一暑い熊谷よりもはるかに気温が低く、乾いた空気の快適な地域を巡っている。標高が高ければ当然気温はさがるのだから。
95年は、インドの最北部のラダックから、チャンタン高原の一角ツォモレリ湖周遊の旅だった。ラダックの中心都市レーは標高3500mで、気温は9月初旬で早朝0度前後、日中は20度ぐらいだった。街には秋の気配がただよい、紅葉も始まっていた。 気温の面から見れば日本の晩秋に近い。そんななかでのゴンパ巡りは、汗もかかず快適なドライブだった。
レー滞在の数日は、ゴンパ巡りも大事な目的だが、もっと大事な環境への順応という目的があった。気温については、着衣で調節し、必要ならば暖をとるという手段もあるので適応は比較的容易である。しかし、高度への順応はたやすいものではない。
高度順応といっても、本質は生命維持の基本的なもの「酸素の摂取」の機能がどうかということである。
高度3500mでの空気中の酸素の量は、平地の三分の二であり、高度5000mでは半分である。人間の五感ではこの酸素の量の変化を感得できないようだ。暑い、寒い甘い、辛いというようにはいかない。
レーの空港に降り立ったとき、顔がほてるような、上気した感じはあったが、息苦しいわけでもなく、自分では平地と同じ感覚で、「3500mならまだまだ」とたかをくくっていた。
しかし、ホテルについて、朝夕血圧や脈拍の測定をしてみて、感覚や意識でとらえられない「体」の適応への必死な働きがわかってきた。
走ったわけでもない、胸をときめかす想いをしたわけでもないのに、脈拍は平常よりも20程多く脈打ち、血圧も30ぐらい高くなっていた。計ってはみなかったが、1分間あたりの呼吸回数も多少多くなっていたに違いない。
ご主人はたかをくくってのんびり構えているのに、裏方の循環器は通常の営みを維持するために、懸命に働いていたのだった。この昼夜分かたぬ働きも、三四日たつと要領も解ってきたのか、脈拍も血圧も少々平常値に近づくように下がってくる。
高度順化はこの繰り返しである。言葉では知っていたが自分の体を通して、生理的な実際が理解できたことは、今回の旅行の収穫だった。
一応の高度順化ができて、私たちは、更なる高地のチベットから続く「チャンタン高原」のツォモレリ湖に向かった。標高5000m近い峠をこえて、褐色の高原に出た。 樹木のまったくない砂礫の丘陵が連なり、重なり、延々と広がっている。その果てに雪の峰が見える。私たちの感覚で見れば「不毛の地」である。
一日中ジープに揺られ、疲れ果ててキャンプ地に到着した。標高は4500mを越えている。夕方なので気温は5・6度にさがっていた。テントを張る作業がつらかった。 また、新たなる高度順化の営みが始まっている。食欲も気力も減退している。
テントの外に吊した温度計は、明け方マイナス4度を示していた。9月上旬でこの気温である。しかし、驚くべきことに、この湖畔にはチベット系の人たちの定住村落がある。湖畔のわずかばかりの平坦地に作物をつくり、100家族近い人達が住んでいる。 なぜここに住まわなくてはならないのか。もっと住みよい地もあるだろうにと思わずにはいられない。冬期にはおそらく気温はマイナス40度にもなろう。
私たちは短期の順応を繰り返して旅をしていたのだが、ここの人達は、高度といい、気温といい、凄まじい闘いともいえる順応をなしとげている。
人間という種は、なんと適応能力の高い種なのだろう。アフリカで誕生した人類の先祖は何回かの氷河期を生き延び、炎暑の地から、極寒の地へと広がり、氷結したベーリング海峡をわたり、南米の最南端まで5万キロの旅をしている。
数百万年の生き延びるための営みと、さまざまな環境への適応を計った営みが私たちの遺伝子に記録されてきているのだろう。
しかし、いまこの優れた資質が地球環境を破滅的な破壊に陥れている元凶なのではと思う。ちょっとやそっとの変化ではどうにでもなるという人間の傲慢さが、環境破壊や自然破壊を進めている。微妙な環境の変化で絶滅してしまった種は、何千何万とある。 地球規模の自然現象で滅びたものも多いとは思うが、近代に入ってからは、遠因・近因ともに人間によるものが激増しているのではないだろうか。
旅をして、さまざまな地で環境と長い歴史のなかで育まれた民族性豊かなものに触れ合えるのはとっても楽しみなことである。
しかし、私たちはともすれば、比較文化論をしたくなる。そして、破壊と収奪の上に築かれている日本人の消費生活を上に見る傲慢さを無意識のうちに抱いている。
何度かヒマラヤをめぐる国々を旅して、景観や人々の生活は見ることができたが、まだまだ知らないことばかりだと痛感している。
インドの人達の生活観、自然観、宗教、歴史等、限りなく学習の課題がでてきた。
口では、正義派でいても、どっぷりと消費生活に浸かっている自分がなさけない。インドはそんな自分をあからさまに映してくれる鏡であるようだ。これからもインドの旅は続くだろうし、続けなくてはと思っている。