熊谷ヒマラヤトレッキング同人
96年夏 インドヒマラヤ
代表 村越 昇
私たちの同人も6年目を迎えました。この夏それぞれの仲間が、6月にはマナリ近くのブリグの、8月にはザンスカ−ルのトレッキングをしっかりとしてきました。
昨年は気象条件を主としたアクシデントに悩まされ、出かけた3隊はいずれも物足りなさを感じて帰ってきましたが、今年の私たちは満ちたりた気分でいます。
6月、アシュラムから森田千里さんご夫妻たちと一緒に、コティからロ−タンパスにつながる尾根に上がったのは3人のベテランでした。雪が深く、予定していたコ−スは辿れませんでしたが、3人は雪線の下のお花畑でゆったりと花を眺め、夢のようなテント暮らしをしてきました。心配された高度障害も、かっての辛さが悪夢にしか思えないくらい何でもありませんでした。心身の状態が非常に良かったのだと思います。
8月、ザンスカ−ルを目指した18人は、ラダックのレ−からの2日間のジ−プの旅でまず衝撃を受けました。2日目のカルギルからザンスカ−ルに向かうペンシ=ラ越えの道は悪路の苦行にもかかわらず、いたる所からヌン峰などの氷河の高峰が眺望できる「絶景」に何度も歓声を上げましたが、レ−からカルギルへのフォトゥ=ラ越えの景観は「絶景」というより「凄さ」を感じて息をのみました。草木一本ない山肌や谷は、この世のものと思えないような形態と色彩をもち、まるで大地の皮膚をはがし、地球の内臓の一部を露出させているかのように思えたりもしました。
そうして到達したザンスカ−ルのパダムで、6月に急逝された柿沼博さんのためのケルンを積んだ後、熟年の4人の仲間は再びジ−プで、ザンスカ−ルのゴンパを見学し、日数をかけて、往路をレ−に戻りました。休憩もままならない日程や、途中から暗くなってしまった往路とは違い、ゆっくりの旅は、多くの新しい発見と感動がありました。スル川上流の氷河の峰々の景観は特にすばらしく、たくさんの傑作写真を蓄積しました。
20才から60才までの年齢幅をもったザンスカ−ルトレッキング本隊の14人は、パダムからツァラップ川に沿って遡行し、5050mのシンゴ=ラを越えてラホ−ルのダルチャまで7日間・・・・・・困難な場面も幾度かありましたが、集団的に解決し、ヒマラヤを歩いた実感を心と身体にしっかりと刻みました。
歩き出して4日目の朝までは川岸段丘上の村々を繋いで歩きました。早々に余裕を費やしてしまったために、一日の行程は長い道のりになり、強い日ざしと乾燥は仲間の喉や気管を痛め、陽が暮れてくると切なくなる程疲れもしました。でも緑の大麦畑に囲まれた村での、休息と子供たちとの交流は、私たちの気持ちを十分なごませ、トレッキングの楽しさを満喫してきました。深い谷の間からは、いたる所で氷河の高峰が望めました。
厳しい徒渉で身体ばかりか、肝まで凍えた翌日、ハイライトとなるシンゴ=ラを越えました。複数の病人もおり、途中から雨、峠ではみぞれという悪条件ではありましたが、集団的に緊張した体制を組んで無事に乗り越え、翌々日にはダルチャにたどり着きました。 今から思うと、シンゴ=ラをひとまたぎにしたように思ってしまいます。しかしダルチャで、半日以上遅れて私たちを迎えに来たバスの窓にマナリの統領のリグジンの姿が見えた時、〃あゝこれで無事帰れる〃と思わず歓声を上げてしまったものでした。
問題もありました。インド国内便の予約のトラブルで全員がレ−に揃うのが2日遅れ、早々と予備日を2日費やしてしまい、ゆとりのあるトレッキングが遠のきました。レ−では最年少のM君の高山病の症状がひどく、レ−の病院に入院しました。翌日午後には元気になって戻ってきましたが、仲間たちの不安は隠せず、M君は苦しく切ない思いをしました。また、39度ちかい熱のままシンゴ=ラを越えて何日も歩いたTさんの辛さも他人事には思えませんでした。長短はありますが、結局6人が馬の背を借りたことになり、「やはりザンスカ−ルは厳しい」と思いました。
さらにジ−プトレッキングの仲間は、デリ−からの帰国便がオ−バ−ブッキングで危うくデリ−に取り残されるところでした。
いずれも仲間たちの知恵と頑張りと協力と、さらにはインドの友人の献身的な助力でことなきを得ましたが、軽視しないで今後の課題にしていくべきだと考えています。
これらの課題は残しはしたものの、ここ数年間と比較しての気象条件・道路事情などに恵まれていたことも幸いして、私たちはそれぞれの今年のヒマラヤの山旅を成功させたと考えています。
昨年から課題となっていた、隊の編成、日程の組み方などの工夫には成果がありましたが、集団的な山旅のあり方の問題として、引き続きの検討課題だと思います。
各隊とも素晴らしいチ−ムワ−クを発揮しました。特にザンスカ−ル本隊では、大きな年齢幅のある集団が復活し、存在感のある中高年と、パワフルでさわやかな風の源のヤングが豊かで安心できるチ−ムを構成しました。
このトレッキングに一定の目標をおき、日常的なトレ−ニングと定期的な山歩きで自らを鍛えていた仲間は、やはり威力を発揮し、今回の成功の力になりました。あたりまえの事ですが、この仲間たちの努力を率直に評価し、全員の教訓にしたいと思います。さらに、「厳しくてもしっかり山を歩いてこよう」としたザンスカ−ル本隊の意気込みが中心にあったことが、それぞれの力を引き出したことになったと思います。
心配された高度障害にはやはり悩まされました。しかしザンスカ−ル隊がとった、標高3500mのレ−に数日滞在した後、一旦高度を下げたカルギルで一泊し、再び3500mのパダムに上がることで高度順化をする方法、これは基本的には成功であったと考えます。順化が完全であったとは思いませんが、パダム以降はかなりの仲間が症状を感じず、これまでの体験と比べると大きな前進がありました。パルスオキシメ−タ−などの器具や薬品の工夫にも成果が見られました。それに、良好な心身の状態が高度の対応に重要であることも実践されました。もう高山病は怖くないとは決して言えませんが、今回の詳細なデ−タ−を伴った体験は今後のヒマラヤの山旅に役立つものだと思います。
我々同人の最長老、皆が敬愛する柿沼博先生の6月のご急逝は本当に残念です。 第1回から全てのトレッキングに参加された先生は、その笑顔と若々しい言動でいつも私たちの励みになっていただきました。山旅の度にその地の砂を集められた先生は、毎年その砂で全員分の陶器を創ってくださいました。あのぐい飲みやコ−ヒ−カップは、いつまでも私たちの手元で、私たちの胸の中に先生の像を結ばせてくれることでしょう。先生は、今年もマナリ隊でのブリグの山旅を楽しみにしておられたのに、春からの心臓の不調で断念されました。「いいよ、いつでも行けるのだから!」とあの笑顔でおおらかに語られたのが、昨日のことのように思えます。存在感の大きかった大先輩、柿沼先生のご冥福を心からお祈りします。
今年も大勢の人々にお世話になりました。森田千里さんとアシュラムの存在は、私たちの山旅の大前提でした。企画の詳細から疲れを癒すおもてなしまで、今年も本当にお世話になりました。デリ−のサンジャイさんの様々なサ−ビスには大恐縮ですが、またまた国内便の予約のトラブルで全面的に助けていただきました。ありがとうございました。マナリの統領リグジンさんと二人のご子息には、今年も頑張ってもらいました。とくに明るく快活な次男のアンドゥ−君のザンスカ−ル同行は楽しい旅になりました。パルカッシュを先頭にしたスタッフのみなさん、良い山旅をありがとうございました。 そして、今年参加されませんでしたが、さまざまな協力をいただいた同人のみなさん、写真・登山用品・航空券などでお世話になった業者の皆さんに心から感謝いたします。
私たちはもう来年のインドヒマラヤのことを考えています。もう何年もインドに出かけていますが、インドの人々の生活の変化は加速度的になってきたように思えます。私たちはインドの大地と人々から、いろいろなことを学び、多くの恵みを受けてきました。今後もお世話になりたいと思っていますが、これからはそのお礼をしなければならないと考えています。お金や物ではなく、インドの人達が私たちとおつき合いをすることで楽しいこと、いいことがあるような、そんなお礼を考えていかなければならないと考えています。どうすればいいのか・・・・・・、 このことを今後の私たちの課題に加えて、これからも良い山旅を続けていきたいと思っています。