宿願のザンスカール 大 嶋 博
思えば、今回は1982年のバララチャラ以来4回目のインドヒマラヤへのトレッキングである。
私も50歳を越えて、糖尿病の糖負荷検査に引っかかったり、血圧が高くなったりして、早めにハードなトレッキングをしなければと思っていた時、村越さんもこの間の熊谷トレッキング同人のインド行きの中で、僻地旅行でなく「本格的なトレッキングをやらなくては」との思いがあり、今回のザンスカールトレッキングが実現したわけである。
ザンスカールへのトレッキングは、村越隊長がふれているように群馬高校教職員インドヒマラヤ登山隊の「シャルミリ」やリグジン氏から最初のバララチャラトレッキングの時から聞いており、私にとってまさに「宿願のザンスカール」と言うわけである。
<高血圧をかかえての高所トレッキング>
今年の1月に熊谷トレッキング同人として、ザンスカールへのトレッキングを決定して以来着々と準備を進めてきて、最終のミーテ²ングの直前に何となく気にしていた血圧を学校の保健室ではかって愕然とした。上が150で、下が107あるではないか!これではシンゴラ越えなどとても出来ないと思い、せめてジープ・トレッキング隊に参加できたらと思いながらミーテ²ングに参加した。隊長と相談して橋本先生の教え子の「内田クリニック」できちんと検査して結論を出すことにした。7月23日に気分としては宿願のザンスカールをほとんど諦めてクリニックに行った。先生の判断は「これなら特に問題はない。ただし確かに血圧が高いので、薬を服用するように」、そして先生曰く「医者に見てもらう前は神経質に心配して良いが、見てもらった後は無用な心配はするな!」言われ、まるで狐につままれたような気分で帰った。よほど神経質な顔をしていたようで、我ながら気恥ずかしい思いであった。かくしてかの芭蕉が「奥の細道へ旅立つような思い」でインドに向かった。
まず高度順化のための標高3,500mのレーで2泊と2,470mのカルギル1泊では、血圧が上140・下90であり、パルスオキシメータの値が90位、脈拍も90位でまずまず好調であった。
迷わず標高3,600mのパダムからいよいよトレッキングを開始して、ドルゾン村・ジャンタン村・キータンカ村・ラカンと泊を重ね、1日に100m位上げてついに5,050mのシンゴラを越え、4,200mの所にキャンプした頃には何と血圧が上130・下85と正常な血圧値になってしまった。その原因は毎日平均で9時間位歩いた事と3,500m以上の高所では一滴も酒を飲まなかったためと思われる。
心配した高度障害は、38度の熱を出した時以外パルスオキシメータの値も「80」を切ることなく、バララチャラの時に悩まされた頭痛も今回高度順化がうまく行ったためかほとんど無かった。
今度の経験で、いわゆる歳をとっても高度障害は思ったより少ないという事が実感できた事が大きな収穫であった。
<過酷で壮絶なザンスカールの風土>
ザンスカール地方は、標高が3,500m以上で、そこに入るためには4,000m以上の峠を越えて行かなければならない。山々は草木1本なく、約5,500mから上は雪と氷河の世界である。緑は谷間の傾斜の緩い斜面で、氷河からとけ出した水を引ける所だけにあり、そこが村になっている。村といっても比較的大きい所で50戸位、少ない所では2〜3戸というところである。畑はほとんど大麦とエンドウのみで、まれにソバが見られた。家畜では羊とヤクが中心で荷役・乗用の馬を飼っている様である。作物の種類が他のヒマラヤ山域に較べきわめて少ないのは、1人当たり畑面積少ないためと思われる。
彼らの食生活は、きわめて質素で大麦を炒ったツ±ンパと紅茶に塩とバターを入れたグルグル茶であるという。そしてお祭りや特別の時、チャンやロキシーを飲む位であるという。厳しい気候風土の中で良く生きて行けるものだと感心する。
彼らはラマ教への信仰が非常に篤く、子供が数人いれば必ず1人は僧にする様である。これは同時に人口抑制の知恵でもあると言われている。たとえ10世帯位の小さな村でも、入り口には必ずチョルテンとマニ石の塚があり、そしてゴンパがある。彼らはこつこつとためた富は法要とチョルテンそして寺への寄進に使われている様である。それが彼らが生きがいなのである。
我々日本人の宗教に対する態度と対比してどうであろうか?全く考えさせられる。私達日本人は、宗教をファションのように扱い、飽くなき物欲に踊らされ、自然を使い捨てにしているのではないだろうか。その結果、我々自身も使い捨てにされているのではないか。
まるでタイムカプセルのようなザンスカールを歩いて、こう考えさせられた。しかし 日本の資本と言う化け物がザンスカールを縦断する道路を計画しているという話である。