ザンスカールの子供達に ありがとう

武 政 憲 吾

今回のトレッキングでは、岩とがれきと土だけの乾燥した山々と、太陽の光に輝く氷

河に覆われた山々が印象的であったが、それと同じくらいザンスカールの子供達の笑顔

も印象的であった。その子供達との出会いが今回の旅を楽しくさせてくれた理由の一つ

であることは間違いないと思う。

レーからカルギル、カルギルからパダムへと二日かけて、トレッキングの入り口まで

ジープの旅をしたが、その途中何度も子供達が笑顔で手を振ってくれた。こちらは、細

い道の端を歩いている子供達にどけどけとクラクションを鳴らし、しかも土ぼこりを飛

び散らしていたのにもかかわらず、手を振ってくれ、時には声もかけてくれた。

パダムからチッカ村までの長いトレッキングの間も、何度も小さな村で子供達と出会

った。我々が昼食を食べていると、子供達が集まってきた。しかし、ザンスカールの子

供達は我々と一定の距離をおき、体をさわってきたり、物乞いをしてはこない。ただ、

食べるのをじっと見つめ、我々が持っている物を珍しそうに見ているだけであった。(

もちろん、子供であるから、残り物をあげると喜んでいた)村越先生の言われるように、子供達は、ただ物が欲しくて集まってくるのではなく、自分達とは異なる文化を我々を

通して学ぼうとしているのであろう。それは、我々がただの紙で、鶴や飛行機を折って

あげると、とても喜びながら遊んでいたのを見ても分かる。また、子供を写真に撮った

りすると「ボン、ボン」(アメ)と言いながら手を出してくる者もいた。しかし、写

真を勝手に撮った我々がとやかく言う資格もないし、私自身は、そういう子供達であっ

ても、デリーなどで感じた雑多さはなかった。理由はどうあれ、物をあげる事が良

いか悪いかはわからないが、アメ玉一つでその一時を互いに楽しめるのならそれでいい

と思う。

トレッキングの最終日、チッカ村で何時間もバスを待たされたが、そこでも二人の子

供と出会った。私が写真を撮り、そのお礼にとアメをあげると、律儀にもビニール袋に

入ったグリンピースを袋ごとくれた。英語も通じないので、感謝の気持ちを表すために

うまそうにそのグリンピースを食べてみせると、二人ははにかみながら笑っていた。私

も調子にのって梅干しをあげると、酸っぱそうにし、近くの小川に水を飲みにおどけな

がら走って行った。会話らしい会話は出来なかったが、互いに楽しい一時を過ごせたと

思う。

今回の旅で多くの人々を見てきて思った事は、人々がその土地、その環境で必死に生

きているということである。そして、どのような国、地域そしてどのような立場で生き

ている人であっても、それぞれに幸せがあるということである。我々日本人から見ると

それはちっぽけなものであるかもしれない。しかし、その幸せを追って毎日を生きてい

るのである。そして、その幸せを何に求めているかの違いが、インドの人々と日本の人

人の宗教に対する意識の違いであると私は思う。

最後に、お世話になった皆様に感謝申し上げます。