書き記しておくこと

富 田 寛 之

ザンスカールという聞き馴れぬ名の土地ヘ¤ 僕らがトレッキングに出かけてからすでに一カ月以上が過ぎている。旅という非日常的な時間の中で僕が体験し、そして考えた事は今、日本の日常的な日々の暮らしの中で過去のものとなり、その色合いは徐々に薄れている。それは仕方のない事だけれど、人間は思い出の中で生きていくことはできないのだから。新たな体験を求め、現実の日々を歩んで行くしかない¡

だけど僕たちには文字がある。書き記すことによってその形を残すことができ、それを伝えることができる。人間はそうやって文化を作っていったのだ。僕も何かを書き記すことによって残すことができれば、自分や他人のこれからに何らかの足しにはなるかもしれない。おこがましいことではあるけれど

トレッキングに際して¤ 今回は色々と本を読んで思い浮かべていた事と同じものもあったし¤ 違っていた事ももちろんあった¡ もっとも違っていたことは人間に対する評価である¡ 性善説にたって人間をみることは今までなかった僕だが¤ 人間もまんざらすてたもんじゃないと思えるようになった¡

山登りにおいて¤ 自分の足で荷物を背負い歩くことは¤ 虚飾を剥がし人間本来の姿を浮かび上がらせる¡ 同時に¤ 他を見る視線も変わり¤ 今まで見えなかったものも見えてくる¡ よく日本人の旅行者が非難されることに¤ 飛行機と自動車によって駆け足で観光地だけを見て回っている¤ ということがある¡ それでは異国¤ 異文化を深く理解できないではないか¤ という意見だ¡ 旅行の目的というのは必ずしも異国¤ 異文化を理解することではないのだけれども¤ 山登りというのはその点¤ 理解する可能性があるように思う¡ それはある紀行作家が言うように点の旅ではなく¤ 線の旅であるからだ¡ そしてなにより人は歩いていると¤ 色々考えるではないか¡

もちろんすべてを理解することは到底不可能であるし¤ 旅の中ではおのずと限度がある¡ より理解するにはそこに滞在し¤ 生活することが必要であろうが¤ 僕が好きなのは旅であり¤ 旅とは¢ 帰ってくること £だと思っているので¤ その中でできる限りのことをするしかない¡ でも¤ そこが旅の魅力である¡

ザンスカールで出会った数多くの人々¡ 彼らには自然の中で生きる人間の率直な姿があった¡ ガイドのアンドゥやパルカッシュたちには¤ 単に雇う者と雇われる者¤ といったものを越える真摯な姿勢が彼らにはあった¡ 僕らはその姿に敬意を抱かずにはいられなかった¡ 行く先の村々で¤ 僕たちを好奇の眼差しで見つめる子供たち¡ アメをもらおうと¤ 畑から豆を一生懸命もいで僕らに差し出す¡ ¢ ジュレー ! £と僕らが手を振ると¤ はにかみながら手を振り返す¡ テン場でくつろぐ僕らのそばに何をするでもなく立っている¡

茶店で父親を必死に手伝っている¡ そうした姿を見ると心が和むと同時にせつなくもなってくる¡ 自然の中に暮らす人と文明の中に暮らす人¤ どちらが幸福であるかなんて一概には言えない¡ 幸福なこと不幸なことはどちらにでもあることだから¤ けっして礼讃も同情もしないつもりだ¡ でも¤ けなげに生きる姿に僕らはやさしい眼差しを向け¤ 素直な気持ちになることは確かだ¡

現地の人々だけではない¤ 一緒に歩いた仲間たちに対しても言える¡ いや¤ というより自分に対してなのかもしれない¡

僕は今まで高校¤ 大学と登山を続けてきて山でバテたり¤ ましてや病気になったりしたことはほとんど無かった¡ そのことは自信にもなっていたが¤ 他人に対しての思いやりを欠くことにも繋がっていた¡ 過去¤ 登山中にバテた仲間に軽蔑すら抱いていたことは恥ずかしくも否定できない¡ 傲慢な自分がそこにはいた¡

しかし¤ 今回僕は病気になり¤ 熱やら頭痛やらで苦しい中を歩かなければならなくなった¡ 異国の辺境で¤ 高度が4000Mを越える状況での病気はかなり辛いものがある¡

心理的にもまいってくる¡ そんなとき心配してくれ¤ 何かと世話してくれたのは一緒に歩いた仲間たちであった¡ こうした状況に置かれて初めて思いやりの大回さ¤ 有り難さに気づくことができた¡ ありきたりだし¤ なにを今更なのかもしれないが¤ これは傲慢でニヒリストを気取っていた自分にとって¤ 今回の旅においてのひとつの変化である¡

今回¤ トレッキングで歩いた100キロあまりの距離は¤ 地図の上に引けばわずかな線に過ぎない¡ しかし¤ 自分の足で歩き¤ 人間の本来の高さの視線で周りを見ることができる線は太く¤ 濃いものになる¡ そのことを教えてくれるのが山歩きである¡ 結局¤ 僕がこんな割りに合わないこと( 登山とは運動エネルギーをフルに使った¤ 位置エネルギーの無駄遣いである¤ とは先人の言葉である¡)を続けているのもそのところにあると言っても過言ではなかろう¡

ただし¤ 線を太く¤ 濃くするには自分の( 身体的且つ精神的な )姿勢も重要なことだ¡

下ばっかり見て歩いていては見えるものも見えなくなる¡ ある種¤ 素質というのもあるかもしれないが¤ やはり努力が一番¤必要ではないだろうか¡

僕がここで書き記しておくことはこんなことである¡