(3)ザンスカール トレッキング隊記録
第1日 | 8/ 4 (日) | 行程: 東京(成田) → デリー | |||
記録:福田 和宏 | 天気:曇り | 気温:デリー32°C(17:00) |
8:00 京成上野に15名顔をそろえる。村越・渡辺・諸貫の3名はミャンマーからの合流
8:28 特急成田空港行きの人となる¡
10:00 第2ターミナルのカウンター前¡その後¤チェックイン
11:00 出国手続き
12:50 AI 308便、定刻(12:20)を30分遅れで離陸。
〜これよりインド時間(+ 3.5 時間)〜
17:05 デリー着陸。その後入国手続き。
17:50 ホテル・カニシカの宝石屋を営む友人サンジャイ氏の迎えのバスでカニシカへ向 かう¡18:20 ホテル・カニシカ到着¡先発の3人と合流した。
20:00 レストランTHE VILLAGE BISTROで¤ サンジャイ氏によるWELLCOME PARTY。
早朝、高崎線の人身事故による不通とのアクシデントで気をもんだが、その後開通し、当初の予定より10分遅れ程度で無事全員が京成上野に集合できホットした。
今回の旅には参加を見合わせた、青木・松本2名の見送りを受け、これから始まる旅への期待を胸に、心軽やかに「京成上野」を特急にて後にした。
成田空港は夏休みであるにもかかわらず、さほどの混雑もなくチェックイン・出国手続きをスムーズにすませる。免税店にてインドでお世話になる諸氏へのお土産、煙草・ウイスキーを購入し、30分遅れであったがエア・インディアの人となった。
デリーに到着し、先立ってミャンマーを旅し本日同じくインドに到着した3名と合流。久しぶりの異国での再会、そしてこれから始まる壮大なトレッキングに心はずむ思いであった。
ホテルカニシカでは、友人であるサンジャイ氏がマリーゴールドの首飾りをメンバー全員に用意してくれ、心暖まるもてなしを受け、インドへ来たことを改めて実感することとなる。
インド初日の夜は、サンジャイ氏招待によるパーティでインド再訪を皆で喜び合った。 さて、本日一番のプロブレムは、明日のレーへのフライトがウェイティングの状態であるということを知らされたことであろう。まさか飛行機の予約がしっかりとれていなかったとは我々にとっては寝耳に水であった。なるようにしかならないのがインドの旅であろうが、最初からの難題に頭を抱えることとなる。村越隊長・サンジャイ氏の様々な交渉の努力が報われ、何とかザンスカールの夢が叶えられるよう祈りつつ、長い一日が終わろうとしている。明日は一体どうなることやら・・・。
第2日 | 8/ 5 (月) | 行程: デリーにて滞在 | |||
記録: 丹野 和信 | 天気: 晴 | 気温: 32度C(13:20) |
5:00 起床。
6:16 ホテルを出発する。
6:42 空港に到着する。
7:50 再び、ホテルに戻る。
8:00 村越の部屋でくつろぐ。
11:00 ジュースを買いに初めてインドの街を歩く。
11:30 お昼寝。
13:00 デリーを観光する。
16:20 市内観光から帰る。
16:50 ホテルのプールで泳ぐ。
19:00 急遽、明日9名、明後日9名のエアチケットが手にはいる。
20:00 サンジャイ氏の招待で、夕食をゲイロードで食べる。
22:40 ホテルに戻る。
・昨日の話だと、今日一日で全員をレーへ行かせる事は、無理だそうだ。明日以降の1
6名分のチケットは手に入ったが、どうしても、あと2名分だけ手に入らない。今日は、間違って手に入れてしまったウェイティングチケットを使ってその2名分、あわよくば、それ以上の人のチケットを手にいれ、できるだけ多くの人をレーへ行かせるつもりであ
る。そのため、荷物を持って、全員空港へ行く。
・村越隊長、その他の人々の必死の努力も空しく、その2名分すら取れなかった。
・諦めて、もしものために、未だチェックアウトしていなかったホテルへ戻る。
・残りの2名については、サンジャイ氏が何とかして、手に入れるよう努力してくれる
そうである。
・ホテルに戻ってからは、特にやることもないので、後は各自自由行動となった。
・若者達は、歩いてニューデリー駅まで行ってきた。(行きだけ)その途中、リキシャ
ー運転手のしつこい客引き、ボッタくろうとする偽駅員、また、それらを追い払ってく
れた親切なインド人と遭遇した。まるで本に載っているようなことを体験して、思わず
「インドにいるんだ。」としみじみ感じてしまった。
・新たに、全員分のチケットが手に入った。一時は「トレッキングは出来るのだろうか。
」と不安になったが、とりあえず一安心である。それにしても、サンジャイ氏の力はす
ごい。(“腕っぷしが強い”という意味ではない)
第3日 | 8/ 6(火) | 行程:デリー → レー(9名) デリー滞在(9名) | ||
記録:富田 寛之 | 天気:晴れ一時雨 |
6:00 起床
7:00 先発隊(高野¤野口¤山崎¤森田¤宮内¤武政¤諸貫¤丹野¤前川)出発
10:45 滞在組(加藤¤村越¤栗原¤大嶋¤豊島¤児王¤福田¤富田¤渡邊)ホテル発
10:55 国立博物館到着、館内見学
12:45 博物館出発
12:50 ホテル着
13:30 昼食(WIMPYのハンバーガー¥ポテト)ホテルの部屋で。
18:30 ロビー集合¤サンジャイ氏の案内でインド舞踊見学へ出発。
18:55 劇場着、舞踊見学
19:50 〃 発
19:55 ホテル・ブロードウェイのレストラン着 夕食
21:30 〃 発
21:45 ホテル着、解散。
朝6時頃¤ 同室の武政が起きだして準備を始めた¡ 今日は武政を含めた9名がレーに向かって出発することになっている¡ 残りの9名はデリーに残り¤ 明日レーに行くため今日は一日フリーになっている¡
9時半頃に村越隊長の部屋に行き、全員でお茶を飲む¡ この後皆¤ 国立博物館に見学に行くとのことになり、私もついて行くことにした¡ オートリキシャで博物館に着き、館内を見学する¡
昼食はホテルに戻り¤ 買ってきたハンバーガーとポテトをビールを飲みながら食べた¡
部屋で談笑した後¤ 自分は昼寝をする¡
夕方¤ ロビーに集合してサンジャイ氏の招待でインド舞踊を見学しに行く。薄暗い体育館のような劇場で、蚊に刺されながら数々のショーを見た。
夕食はホテル・ブロードウエイのレストランで食べた¡ 食後、口直しに出てきた葉につつまれたものについて渡邊日く¤¢カメムシみたいな味¡£という不可思議な食物だった¡
明日はやっとレーに行ける¡ トレッキングに期待と不安が入り交じる。
《先発隊 すでにレーに到着していた》
第4日 | 8/ 7(水) | 行程: レー滞在(ゴンパ巡り) | ||
記録:宮内 浩志 | 天気:曇り |
各自起床、血圧や酸素濃度などの測定 13:00-45 昼食
8:00 朝食 14:00-40 シェーゴンパ見学
9:00 前川をホテルに残して出発 15:00-55 ストックゴンパ見学
10:23-11:20 ヘミスゴンパ見学 16:25 カングラチェーン着
12:05 ティクセゴンパ着
前川、明け方頃から様子がおかしく、何度もトイレに行っているようであった。朝食も食べず。頭痛の人も数名。高度障害が出始めたのであろう。前川を部屋に残し、他はゴンパ巡りに出発する。ガイドはチベット人女性のアンモさんという人で、去年も我々のグループの案内をしたとか。
まず、ラダック最大のヘミスゴンパへ。崖側の建物が雨で崩れてしまい、もとは中庭であったところが、前庭のようになってしまっている。修復のあきらめの顔が目に浮かんでくる。インド人のしたたかさを改めて感じた。ふいにおかしさがこみ上げてくる。またインドに戻ってきた、そんな気がした。修復の工事をしていたが、もちろん機械などは使わず、人力で行なっている。いったいいつになったら出来上がるのだろう。内部には素晴らしい曼陀羅や壁画が数多くあった。
次にティクセゴンパへ。小さい山の上に建つゴンパである。金色の大きな仏像がある。ティクセゴンパの近くの食堂で昼食になる。ホテルで作ってもらった弁当と、チョーメン(焼きそばのようなもの)、スープの入った麺(ラーメンのようなもの)を皆で食べる。麺の方はどちらも歯触りがあまりよくなく、決しておいしいと言えるものではなかった。
シェーゴンパも、小高い丘の上にあり、息を切らして上る。砂漠と、インダス川沿いの緑とのコントラストが美しい。ここまで上がった甲斐があった。高野が反対側に降りてしまい、もう一度上って探したりもしたが、無事合流し出発する。
ストックゴンパでは、ミュージアムを見学する。一つずつ部屋の鍵をあけて説明してもらう。内部での写真撮影は禁止である。曼陀羅などの仏教関係のものの他にも、王室関係の展示物も多かった。あまりにも説明が長かったためか、先に数名が帰ってしまう。
ホテルに戻ると、前川が入院したと聞き、びっくりする。一人で部屋に置いてきてしまって悪いことをしたと思う。さぞ、不安であっただろう。後発隊は、全員無事レーに到着している。スケジュール的には、日程を短縮することになるものの、なんとか当初の予定のコースで行けそうである。明日は、レーに滞在と決定する。
夕方、サンペル君の車で病院に行き、福田と交代する。前川の調子は悪そう。点滴を受けながら、眠っている。病室の雰囲気はいいはずもなく、暗い大きな部屋で一人、所在なく座る。たまに看護婦さんが来て、点滴を交換していく。8時半に諸貫と交代する。彼はこれから一晩中付き添うことになる。
ホテルに戻り、前川がいなくなって寂しい部屋で眠る。明日には退院できるといいが。
《後発隊 本日レーに移動》
第4日 | 8/ 7(水) | 行程: デリー → レー(後発隊9名) | ||
記録:富田 寛之 | 天気:晴れ |
6:00 起床(308号室でお茶)
7:00 朝食
7:35 ホテル発
7:55 インディラガンディー空港着
10:14 離陸(M9-127便)
11:09 ジャンムー空港に着陸
11:45 〃 離陸
12:35 レー空港に着陸(サンペル君出迎え)
12:50 タクシーでレー空港出発
13:20 ホテル・カングラチェーン着
13:30 前川は病院へ。福田付き添い¡
14:10〜50 昼食
18:00 福田¤宮内と付き添い交代¡
19:00 夕食
20:30 宮内¤諸貫と付き添い交代¡
朝6時、部屋のべルが鳴り、出てみると村越隊長がいて、お茶とのこと。308号室に行ってお茶を飲む。部屋に帰ってパッキングをし、ロビーのレストランで朝食を食べる。その後バスに乗って空港へ向かう。今日こそはレーヘいける。数日間の足止めは残念であったが、いい休養にはなったと思う¡
空港でのチェックは事前に聞いていたほど厳しくはなかったが、インドの国内線が初めての人は戸惑うことが多い。一時間の遅れで離陸し、レーに飛び立った¡
ビジネスクラスは快適で、しっかり機内食も出た。途中、ジャンムーに着陸した。アクシデントでも起きたのかと思ったが、予定どおりらしい。ヒマラヤ上空を通過しているはずだが雲が厚く、峰々は望めなかった¡
レー空港に到着するとサンペル君が出迎えてくれた。タクシーでホテルへ向かう。風景は今まで見たことのないような素晴らしいものであった。カングラチェーンに着くと、先発隊はゴンパ巡りに行っていて留守だったが、前川一人が部屋でぐったりしていた。聞くと吐き気などかはげしく、痙攣まで起こしたらしい。サンベル君の勧めもあり前川は入院することにし、福田を付き添いにして残りは昼食を食べることにした。
第5日 | 8/ 8 (木) | 行程: レー滞在(後発隊はゴンパ巡り) | |||
記録: 諸貫 和豊 | 天気:晴 | 気温: 22ßC(13:30) |
6:00 各自起床、血圧、酸素濃度などの測定。
8:00 朝食。渡辺、病院の宮内と交代するために出発。
8:30 丹野、渡辺と交代するために出発。
9:40 ゴンパ巡り隊(村越、大島、加藤、福田、豊島、児玉、渡辺)出発。
10:00 宮内、山崎がタクシーで病院へ。
11:50 前川、退院してホテルへ戻る。
12:50 前川、丹野、武政、富田、おかゆを食べる。
14:08 ゴンパ巡り隊、ホテル着。
14:15〜15:00 昼食。
18:00 ミーティング(中庭で)。
19:30〜20:45 夕食。
・昨晩、20:30頃宮内と、前川の付き添いを交代。前川は、青い顔でうずくまるよ
うに寝ている。かなり苦しそうだ。看護婦が来て、前川におしっこがでたか尋ねる。で
た、と言うと、なにか注射を射ち、薬を飲ませていた。しばらくすると、前川の容態も
ずいぶんと良くなったようで、サンペルの差し入れたバナナを食べるようになる。往診
に来た医者も明日には退院出来るだろうと言っていた。まずは一安心。
0時頃には、優しい看護婦さんが何度も「彼はもう大丈夫だから、君も寝なさい。」と言いにきた。とはいえ、深夜の病院はかなり不気味で、ドアにカギはかからないうえ、数人の、患者や得たいの知れない男が廊下をうろついている。実際我々のいる部屋にも車イスの男が勝手に入ってきて、じっとこっちを見つめていたりした。結局ろくに寝れなかった。
朝、6:15頃、山崎、サンペル、宮内が来る。前川は下痢以外は体調は良くなったとの事で、宮内を残しホテルへ戻る。
・朝食時、ヤング隊の体調を聞くと、渡辺以外ほぼ全滅。若者は、そろって体調が悪い
ようだ。自分は眠かったので、朝食後すぐに寝てしまう。その間に、ゴンパ巡り隊は出
発したようだった。
・昼頃起きて、体調の悪い人のためにおかゆを作る。前川や丹野もかなり回復したよう
だ。ゴンパ巡り隊が到着してから昼食。
・昼食後、不調の前川、富田以外の若者で街へ出かける。案の定、丹野はボられ、およ
そ100Rsのぼうしを400Rsで買わされていた。
・18:00からミーティング。トレッキングは無事行けるようである。ただし、日程
の遅れた分、最初の2日と最終日の行程が長くなるようである。3500mのレーで体
調を崩している我々が無事行ってこられるか不安である。
・明日からいよいよジープでトレッキングに出発である。不安と期待の入り交じる中眠
る。
第6日 | 8/ 9 (金) | 行程: レー → カルギル | |||
記録: 武政 憲吾 | 天気: 晴れ一時雨 | 気温: 25ßC(21:20) |
5:30 起床(お茶をわかして飲む。)
6:30 血圧、酸素濃度などの測定。
7:00 朝食。 7:50 出発。 8:55〜 9:05 休憩。
11:05〜11:35 休憩(カールジ)標高約3000m。チャイ、ビスケットを食べる。
11:50 パスポート・リストエントリー。
12:45〜12:52 ムーンランドで写真撮影。標高約3630m。
13:00〜13:47 昼食(ラマユルゴンパ入口)
14:20〜14:30 FOTULA TOP(3800m)で休憩。
15:58〜16:07 NAMIKALAで休憩。
16:40〜16:55 WAKHAWADOで休憩。チャイ飲む。
17:03〜17:07 CHAMBA MULBACKで写真撮影。
18:20 カルギルのHOTEL D’ZOJILAに到着。
19:30〜20:20 夕食。
・予定より2日遅れで、カルギルへ向けてレーを出発した。メンバーの体調は、数人が少し熱がある程度で、前川はだいぶ回復したようである。
・レーからカルギルまでの時間は7〜10時間で、道も悪く、かなり体力を消耗するとのことである。ジープには3人ずつ、病人と看護人、年配の方と茶坊主、という組分けで乗った。
・道は舗装されてはいたが、やはりインド。かなり道が悪く、体が大きく揺られ、気持
ち悪かった。しかも運ちゃんは、埃や排気ガスが入ってきても気にせず窓を開けっ放し。しかし、思っていたよりジープの乗り心地は良く、お尻は痛くなかった。
・山を登っていくほど道は悪くなり、おまけに道が狭いため、前でトラックとトラック
がすれ違うのを何度も待たされた。また、同じ隊のジープが前に近づくと、抜かさなく
てもいいのに、と思うのに、強引に抜こうとしてた。日本では考えられないことである。しかし、追い抜くと気分は良かった。
・ジープの窓から見える山々は、茶褐色で、わずかに丈の短い草が生えている程度で、
岩とがれきと土だけである。緑色の山だけを見てきた我々にとって、とても魅力的であ
った。形状も、ごつごつした山や、尾根の曲面が美しい山など多様で、見ていて飽きな
かった。
・途中の街で何度も小さな子供達が、我々に笑いながら手を振ってくれる。そして、我
我もそれに応える。たったそれだけであったが、インドの山奥で子供達とコミュニケー
ションした気分になった。
・ホテルに到着後、各測定を行ったが、標高が下がったせいもあって、みんないい数値
を出していた。
第7日 | 8/10 (土) | 行程: カルギル→ パダム | ||
記録:渡辺智一郎 | 天気:晴れ |
5:00 起床
5:40 血圧、酸素濃度の測定を行う。昨日より標高が低いため、多くの人が血中酸素濃 度が上昇する。
7:00 ホテルで朝食をとり、ジープに分乗しカルギルを出発。昨日とは異なったジープ をチャーターする。レーからのジープは管轄が違うためにカルギルより先に入れ ないらしい。
7:30 Naktul山を見つつ休憩
8:00 Pharunaにて休憩。8:30 Sanko(3015m)にて休憩をとる。
9:50 ヌン山を望む。3215m
11:40 クン山を望む。素晴らしい景色に感動。
14:45〜15:30 昼食
17:50 ペンシーラ峠を通過。山の間から見える氷河が美しい。
23:00 パダムよりも数キロ奥のテン場に到着する。
23:15 軽い夕食とチャイ、その後、酸素濃度の測定を行う。
カルギルよりも標高が高いためか今朝よりも低い数値が出る人が多かった。
0:30 就寝。
カルギルからパダムへの道は昨日までと異なって悪路となった。結局15〜16時間もかかった。ジープは、早朝には調子がよいが、日中気温が高くなるとすぐにオーバーヒートする。オーバーヒートすると、エンジンに湿った土を附け、上から水をかけて冷やしていた。
ジープからの景観はとても素晴らしく、ヌンやクンなどの7000m級の山々が間近に見られたことは感激であった。またヒマラヤの褶曲がはっきりと見え、かつて海の底であったことが容易に想像できる。しかしジープでの走行による砂煙、振動がとてもひどく、また、長時間であったため大変疲労がたまった。
前川は体調も良くなり元気になった。ペンシーラ峠付近で野口の調子が悪くなり、少し心配である。他の人も長時間のドライブのため、元気がない。また今日、、8月10日は福田の誕生日であった。簡単ではあったがささやかに祝った。
明日はジープ隊とトレッキング隊に分かれて行動する。明日からのトレッキングが楽しみである。
みんなに今日の疲労が残らなければよいが‥‥‥‥心配である。
第8日 | 8/11(土) | 行程: パダム→ シラ→ ムニ→ ドルゾン | |||
記録:前川 哲 | 天候:晴れ | 気温:9℃(6:00) |
6:00 起床
7:23 朝食
8:00 故柿沼氏追悼式
8:38 出発 ジートレ隊と別れる
9:25〜9:33 休憩
9:46 バルダン・ゴンパ手前で¤ゴンパの撮影のため止まる
10:21〜10:32 バルダン村の手前で休憩
11:31〜11:47 休憩(岩影のあるところで)
12:56〜13:20 休憩(ムニ村の茶店)チャイとマンゴジュース
ムニ〜レル間¤栗原乗馬
14:25〜15:08 昼食(レル湖のほとり)
15:56〜16:03 休憩(レル川を越えてすぐ¤谷間の入口付近。水が残り少なくなる¡)
16:44〜16:52 休憩
17:12〜17:45 休憩(イッチャル村付近)
18:01 豊島身体の不調のため遅れる。豊島のため全員の水500mlを集める。
19:10 ドルゾン先のテン場着。血圧・酸素濃度測定¡
20:20 夕食
21:20 各テントへ
・今日より6泊7日のトレッキング開始。予備日をすでに使っているため、予定ではムニ村までの行程であったが、変更しドルゾンへ向かう。
・朝食後、ケルンをたて柿沼氏追悼式を行う。ジートレ隊・トレッキング隊そろっての記念撮影をする。出発準備を終えた後、ガイドとの間で自己紹介を行う。(ガイド・・・パルカッシュ、サブガイド・・・アンドゥー)
・出発。ツァラップ川の左岸を歩く。気温もまだ低く、全員順調に歩きだす。10時間ほど歩くと川岸の巨大な岩の上に建つバルダン・ゴンパがみえてくる。バルダン・ゴンパ先でいったん谷間を抜けて、開けたところへ出る。対岸のバルダン村を見ながらしばらく歩き、再び谷間に入りツァラップ川の左岸の斜面を歩く。ここから道がしばらくガレ場となり、谷の傾斜もきつくなる。ドルゾン村あたりから日ざしが強くなる。雲ひとつなく、谷間に日影はない。炎天下を歩いてムニへと向かう。
・岩影を見つけて休憩をとる。
・ムニ村の手前で、高度にして200mほどの登り。予想以上に疲れる。後ろに我々の荷物を背負った馬が歩いてくるのが見える。この登りのあたりで栗原が足の不調を訴え遅れ始める。
・ムニ村に到着。栗原は少し遅れて到着。茶店に入り長めの休憩をとる。日影がありがたい。
・ムニ村より栗原乗馬する。ムニ〜レル間は、再び開けて、緩やかな傾斜地を周囲の山を見ながら歩く。眺めがよい。この間、運良く、太陽が雲の影にかくれたため、快調に歩くことができた。
・レル湖のほとりの木影でようやく昼食を取る。外国人トレッカーが湖畔にテントを張りザンスカールの午後を楽しんでいる。そのことがよけいに我々に疲労を与える。全員すでに疲労困憊である。まだ1/3程今日の行程が残っている。
・重い腰を上げドルゾンに向かう。栗原馬を降り歩く。
・レル川を渡ってすぐの谷の入口で休憩。栗原再び乗馬。
・再びツァラップ川の左岸の斜面を歩く。テン場の先まで延々谷間が続く。日が傾き谷に日が射し込まなくなる。
・休憩を一回取った後、イッチャア付近で休憩。水が残り少なくなってきたため節約して使う。豊島身体の不調のため遅れ始める。
・豊島歩きだすが、隊についてこれないので村越とともに別行動となる。後ろの2人のために残りの全員の水を集め約500mlを置いて、我々は先に行く。
・ドルゾン村を越え、しばらく行くと対岸にテン場が見えてくる。橋を渡り、テン場に到着。豊島・村越は20分遅れてテン場に到着。すでに日はおちていた。
・行動時間10時間30分の長い道のりであった。
第9日 | 8/12 (月) | 行程: ドリゾン(3700M) →ジャンタン(3820M) | ||
記録:福田 和宏 | 天気:晴れ時々曇り |
6:00 起床
7:25 朝食 丸パン¥ハチミツ¥ジャム¥バター、卵焼き、チャイ・コーヒー
8:20 本日の行程確認後、出発
9:08 最初の休憩 3710m地点の水場で洗面
10:25 2回目の休憩。ピプラの茶屋でチャイとマンゴジュース
〜この間2回休憩〜
13:00 昼食 見晴らしの良い岩の上でランチパックをひもとく。チャパティ、コンビー フ、チョコ、マンゴジュース、リンゴ
〜この間2回休憩〜
15:50 茶屋で休憩 だらけないよう気合を入れての最後の一本。
16:30 テン場到着。夕暮れをテントサイトで楽しむ¡ ポテトチップが美味¡
18:50 夕食 トマトスープ¤焼きそば¤ニンジンとピーマンのあえもの¤じゃがいもカレー 風味¤羊のレバー¤カシューナッツとフルーツのあえもの¤チャイ
20:18 各テントへ¡ 今日もいい夢がみられそうだ¡
ザンスカール川の支流 ツァラップ川の流れの音で目覚める¡ しばらくしてモーニングチャイが運ばれて来て¤ さあ¤ 今日はどんな景色がみられるかと心おどる思いである¡
皆の体調に若干の不安もあるが (パルスオキシメーターの値が低い・足の不調・だるいなど)、歩行には支障なさそうである。
ゆっくりゆっくりのペースで全員隊列をくんでの歩行にチームの一体感を感じる。
ツァラップ川の上流に向けてひたすら川沿いに突き進む。氷河を源としたこの河川は¤コンクリート色の濁流¡ 焼けるような日差しの中で時折川面からの涼しい風が心地よい¡
ランチは絶壁の上といった感じのようなところである。皆の食欲もまあまあのようだ¡だされるリンゴは小粒で見た目はおいしそうなのだが・・・。
富田の調子が悪く、ここからしばらくは馬上の人となる。諸貫の足も良くない様子で杖をつきながらの歩行である。
日暮れ前にテン場につく。絶好のキャンプ地。緑の大地に青い空、四方を山にかこまれ・・・。しばし優雅なひとときを各自それぞれ満喫した様子である。
その後、風が吹き始め、雲行きがあやしくなって、食堂テントに避難。そのまま談笑の第2段の始まりである。早くテン場について、のんびりと何をするでもなく談笑に花を咲かせるひとときが実に楽しい。
夕食はなかなかのおいしさである。私たちの慣れもあるかもしれないが、スタッフ諸氏の心づくしの手料理に食べることの楽しさを再確認する毎日である。
第10日 | 8/13 (火) | 行程: ジャンタン(JAMTANG) → キータンカ(KHEYTHANK) | ||
記録:村越 昇 | 天気:晴 |
6:00 起床 6:30 morning tea・健康測定
7:00 朝食 美味しいホットケーキ
8:05 出発 朝から炎天・・・重い足を踏み出す
8:50 休憩 涼しい巨岩の影、ツァラップ川の水辺、対岸のプルネ村は二つの川の合流 点
9:55 休憩(3,940m)200m高度を上げる。Tさん限界乗馬
10:40 休憩(3,925m)ヤール村、小さなため池で子供が水浴していた。
11:20 休憩 徒渉点・・炎天、水をかぶり体を冷やす。 12:35 休憩 テスタ村手前、涼しい流れのそばで小休止 13:00 休憩 Mr.ドルジェ(アンドゥの隣人)が実家に来ていて、チャイ、チャン、ツ アンパを用意してごちそうしてくれた。
14:00 〜14:40 昼食休憩(3,995m) クル村の茶屋・・パンケーキは美味、フラン ス人のパーテイは20日間でラマユル・ゴムパへ抜けるとのこと 15:30 休憩 清流の辺でへたりこんでしまう。タングゼ村手前
16:20 休憩 上のタングゼ村・・麦畑の中を子供が走ってくる。
17:25 休憩 タブレ村・・雲が出て、時々パラついて寒くなる。
18:50 キータンカ村キャンプ場(4,045m)・・二つの川の合流点対岸に村
20:00 夕食・・・Kさん持参のソーメン少しづつ食べる。
昨日は、午後4時30分に着いたのでくつろげて、今朝はみんな比較的元気である。しかし、Tさんは疲労・発熱で食事を受け付けず、心配である。Fさんも発熱でつらそうである。ガイドに馬の準備をさせる。ジャンタン村は2軒ほどである。上流方向に鋭い穂先をもつ大きな山が見えるが氷河はついていない。標高は昨夕3,820mだったが、朝は3,800mと計測されている。気温のためかも知れない。
今日は歩き出して3日目、相変わらずツァラップ川の左岸のガレ場の斜面をあるいは生コンのような色をした水面すれすれ、そして水面より数十m、場合によっては200m高くなった段丘の気持ちよい大麦畑の中を歩いている。標高は3日間で300mしか上がっていない。毎日同じようだが、今日は変化があったようだ。
2本目の急な登り・・ツァラップ川は、切り立った岸壁の間はるか下を流れる・・これを抜けると谷は大きく広がり、90度の角度で合流してくるパグタル川の間にプルネ村がある。このプルネ村から有名なパグタル・ゴンパに日帰りで行く日程を組むザンスカールトレッカーも多いとのこと、この場合は、パダムから右岸のコースをとることをアンドゥーが教えてくれた。やがて谷が広がり、両岸の段丘は所々緑濃く、畑と村の存在を知らせている。
今日は5つの村を通過し、6つ目の村にキャンプサイトを設定した。対岸にも3つ村があった。ジャンタン村→ヤル村→テスタ村→クル村→THANGTSE村(LOWとUPPERがある)→タブレ村・・・そしてテント場のキータンカである。テスタ村が一番大きくて20戸位ありそうであった。村の人口は畑の面積で決まる。2戸位しかないと思われるものもある。家は日乾しレンガを積み屋根には柳の細い枝をやや厚めに敷き詰め、その上に泥を塗る。屋根の上には今大量の乾草などが積んである。乾燥のためであろう。屋根にソーラーが置いてあるのが目立った。畑のほとんどは大麦と所々エンドウでそば畑も1つ見た。上手の上の扇状地の扇頂付近から、流れを作って潅漑しているようであるが、どの麦畑も成長の悪い部分あるのは水が不十分のためであろう。
村には学校はなく、「Naiture is school.」とアンドゥーは言う。子ども達が集まってくる。10才位になると赤子を背負っている。顔も手も真っ黒だ!遠慮しながら「ボンボン」と言う。飴をねだっているようだ。
クル村の昼食時、フランス人のパーテーに会う。10人位の若い男女でシンゴラを越えてきて、20日間かけてこれからラマユルゴンパに抜けるという。日本語を習っている女性が話しかけてきた。
ここキータンカ村は、ツァラップ川が左に曲がり(正面から別の谷が入っている)、300mほど上流の両岸にある。上流の正面に鋭い山はゴンパランジョン山と言う。その左背後にはたっぷり氷河をつけた山が見える。NO NAMEだとガイドが言う。
全員疲れ果てて到着、でもヤング達は直に回復し、荷物運び・お茶入れその他を手伝って中高年をいたわってくれる。昨日、羊を殺したらしく、昨夜はレバー、今夜は腸詰
めが出た。
第11日 | 8/14 (水) | 行程:キータンカ → ラカン | |||
記録: 丹野 和信 | 天気: 晴後曇 | 気温: 20ßC |
5:50 起床。
6:40 健康チェックを始める。
7:20 朝食。(蒸しパンと目玉焼き)2つとも、とてもおいしい。
8:24 出発。
9:15〜39 最後の村カルギャ村のティーショップでマンゴージュースを飲む。
10:35〜55 4180m地点で小休止。エーデルワイス発見。
11:50〜12:00 4230m地点で小休止。
13:23〜14:18 4320m地点、ゴンパ・ランジョン山の麓で昼食。(チャパティ、ツナ、ジャム)
14:25〜15:15 何回かの渡渉を繰り返す。
15:37〜16:01 4400m地点で小休止。
16:52〜17:01 4440m 〃
17:15〜17:30 キャンプサイトのすぐ手前の川(川幅、約50m)を渡渉する。
19:20〜20:40 夕食。(モモが出る。)
・ガイドに言われたとおり、今日はUp−Downの少ない緩やかなツァラップ川沿いの道
を歩く。
・我々の行程では、峠越え前の最後の村カルギャ村に着く。この村は、水がなかなか豊
富で、テスタ村程ではないが、農作物がよく育っている。
・ティーショップでチャイを飲もうとするがないらしく、しかたなくマンゴージュース
を飲む。
・ゴンパ・ランジョン山を常に正面に見ながら、谷間の丘、または平原とでも表現した
らよいのだろうか。そんなところを延々と歩き、黄色の花の咲いている小川で、2回休
憩する。途中、レーを出発してから初めて、一人の日本人とすれ違う。
・ゴンパ・ランジョン山の名前の由来は、その昔この山から、寺から流れてくるお経や
音楽が聞こえてきたことからきたそうだ。
・ゴンパ・ランジョン山を右にまき、また川沿いを歩きながら、何回かの小渡渉をする。・4400m〜4440mの間の川沿いの道で、見るのも珍しいブルーポピーを見つける。
・夕刻でしかも高度が高いせいであろうか、結構肌寒い。そんな中、本日のメインイベントである大渡渉をする。川の水は、足の指がちぎれるかと思うほど非常に冷たく、渡
り終わった後、「地面って、こんなにあったかいんだ。」と思わず感じてしまった。
・キャンプサイトのすぐ隣にあるティーショップ兼ホテルに、一人の日本人と二人のフランス人のトレッカーがいて、色々話をしながら、一緒に夕食を食べる。
第12日 | 8/15(木) | 行程: ラカン → シンゴラ峠 → ラムザック | ||
記録: 大嶋 博 | 天気: 曇 時々雨 |
5:00 起床 5:30 健康測定(パルスオキシメータのみ)
6:20 朝食 7:12 出発
8:11 休憩(4,620m)ラカンゴンマ、ここで馬の背組と別れる。
9:10 休憩(4,630m)雪渓の下、雨が少し降ってくる。
10:20 休憩(4,800m)二つの急な雪渓を上がった所
10:50 後続の馬が着く、Tさん酸素を吸う。
11:55 休憩(4,960m)雨が強くなる。
12:15 シンゴラ峠(4,960m)故柿沼先生の散骨式をみぞれの中で行う。
12:45 休憩、氷河の上の道をくだる。
13:35 休憩(4,720m)雨上がる。
14:43 休憩(4,570m)TさんとKさん再び馬に乗る。
15:35 休憩(4,480m)ラジャクゴンマ、また雨が降り始める。
16:35 休憩(4,400m)雨が上がる。
18:02 ラムザック着(キャンプ地)
いよいよ今回の難関のシンゴラ越えである。前日の徒渉で熱発したK・F・M・O・Tのうち、Tさんを除いて熱はほぼおさまった。朝食前の健康測定も良くない者が多かった。 緊張した雰囲気で7時すぎにテント場を出発した。最初の急なモレーン越えはかなりきつかった。その後はモレーン沿いの緩い登りが続き、ラカンゴンマと言う所で調子の
悪かったT・K・Kさんは後続の馬を待つために別れた。約2時間で雪渓の下に着いた。8時頃は太陽も少し顔を見せていたが、9時頃からぱらぱらと雨が降り始めた。
雪渓ははじめ急な登りが続き、次に少し緩くなって雪が切れ、またかなり急な登りとなり約1時間で雪渓の上にでた。ここで3回目の休憩をとった。しばらくして馬の背組の3人が着いた。馬は雪の上がよわいらしく、雪渓をさけて沢の左斜面の岩場を登ってきた。
Tさんがかなり不調のようなので、持参の酸素を約10分程度吸った。みんな羨ましそうに見ていた。
標高4,800mの3回目の休憩場所からは、傾斜は緩くなったが、雪の道が続き、登るにつれて風雨が強くなった。途中1回休憩を入れて、12時15分に目標のシンゴラ峠に立つ事ができた。みぞれまじりの風雨の中で故柿沼先生の散骨式を行った。悪天候のために線香も立てられず、小さなケルンをつくったのみで残念であった。
今回の目的地のシンゴラ峠は風雨のため何も見えず、小さなケルンとタルチョがはためくのみであった。思ったより残雪が多く、チラっと氷河が見えたのみで期待していた景色は全く見えず、本当に残念であった。
みぞれまじりの風雨の中、全員命からがら下り始めた。1時間位石ころだらけの氷河の上道を下り終わった頃、風雨がおさまって来た。それからモレーン沿いの道となり、峠から5時間30分、休憩を6回とって午後6時にキャンプサイトのラムザックに着いた。
結局登りの標高差530m、下りの標高差670mの行程を約11時間かけて踏破した。天候に恵まれなかったが、ようやく目的を果たしたという満足感は残った。
第13日 | 8/16(金) | 行程: ラヌザック→ パラマオ | ||
記録: 富田 寛之 | 天気: 霧 後ち晴 |
6:30 起床
6:52 緑茶を飲む¡
7:02 モーニングチャイ
7:30〜8:15 朝食(チャパティ¤ツナポテト)健康チェック
8:55 出発
9:45〜10:00 一本
11:03 ザンスカール¥スムドゥ着(3880m)、茶屋でチャイを飲む。
11:40 〃 発福田¤諸貫馬に乗るため残る。
12:40〜12:52 一本ポカリを飲む。
13:37〜14:30 昼食(ハム¤ツナ¤卵¤バター¤リンゴ¤チョコ¤ジュース)
15:18〜15:25 一本
16:00 テン場(パラマオ)着(3680m)
18:55〜19:57 夕食(スープ¤ライス¤マトンのから揚げ¤野菜炒め¤じゃがチーズ¤
マトンカレー¤カシューナッツ人りカスタードのマンゴーソース和え)
20:30 就寝
朝、6時半に目が覚めると外はガスがかかっていた。緑茶を飲み、続いてチャイを飲むと目がさえた。諸貫は熱があり耳が痛いとのこと。福田は先日より若干好転したもののまだ熱がある。豊島はだいぶよくなった。よって福田と諸貫は馬に乗ることになった¡ ツナポテトのおいしい朝食を食べ、出発。パラマオに向けて歩きだした¡
川沿いのガレ場の道を下る。途中、何度か沢を渡る。場所によっては危険な所もあり¤
ガイドの助けを借りる場面もあった。道が砂地に変わり、つづら折れの急な下りを降りて橋を渡ると、二つの川が合流するザンスカール¥スムドウ(スムドウとは¢出合い£の事)の河原に出る。ここにはテントの茶屋が2軒あり、そのうちのひとつでチャイを飲む。この付近で10日ほど前にヨーロッパのトレッカーが山賊に殺されたとのこと。恐ろしい。ここから河原の大きな石がゴロゴロするゆるい下りの道を下って行く。途中で昼食を食べて、何度かゆるいアップダウンを繰り返すと、畑が見えてきて、やがて今夜のテン場パラマオに到着する。今までで一番早い到着だった。
スタッフの作ってくれたカレー味のスナックや、日本から持ってきたうるめやらっきょうを食べながらお茶を飲んでくつろぐ。
豊島はいぜんとして食欲なく、諸貫は耳がまだ痛いようだ。明日はジープが来る時間が分らないのでなるべく早く出ることになった¡
明日はトレッキングの最終日だ。無事に終わることを願う¡
第14日 | 8/17(土) | 行程: パラマオ → チッカ → ダルチャ → コクサール | ||
記録: 宮内 浩志 | 天気: 晴 |
5:25 モーニングチャイ
6:15-40 朝食(パンケーキ、卵焼き) 朝食後、スタッフも含めた全員で記念撮影。
7:08 出発
7:40 パラマオ川を渡る。両岸が岩に挟まれており、迫力ある流れ。
7:56-8:03 休憩(3620m) ここからジープがようやく1台通れるような道路。
8:33 チッカ村着(3650m)
10:34 出発
10:47 パルカッシュ戻る。
11:00 ラリック村着 チャイ屋で待つ。
11:32 村越、アンドゥ、馬と共にダルチャに向け出発。
12:10 昼食
14:40 バスが来る。
14:45 出発
15:05 ダルチャ着 村越、リグジンのお出迎え。チャイ、バナナ、リンゴを頂く。
15:54 バスの故障修理終了。
16:06 出発
16:15 ポリスチェック通過
20:10 渋滞で止まる。原因は軍のバスが壊れたとのこと。この間、ほとんど止まったまま。たまに少しだけ動く。
22:30 渋滞を抜け出す。
23:30 コクサール着、チェックあり。夕食(グリーンピースとポテトのカレー、ダル、ライス、チャパティー、コーラ、チャイ)
モーニングチャイの声で目覚める。豊島は相変わらず、諸貫は熱が少し下がったそうである。今日はトレッキング最終日、皆元気でマナリに行きたかったが・・・。 朝食後、スタッフも含めた全員で記念撮影。料理のスタッフ3名は、これからすぐパダムへ戻るということである。今までおいしい食事を有難うございました。
アンドゥも言った通り、キャンプサイトから1時間半くらいでチッカ村に着く。先にダルチャへ向かっていたパルカッシュを待つため、しばらくフリータイムとなる。とりあえず、予定していたトレッキングはここで終了ということで、村越隊長がトレッキング終了宣言をする。その後は、村で写真を撮ったり、昼寝をしたりと自分の時間を各自楽しむ。今までと違って、この村の子供はあまり愛想がよくないような気がした。また、この村からヒマーチャル・プラデッシュ州に入り、電気が通じている(この州では、全ての村に電気が通じている)ため、電信柱が写真を撮るのに邪魔になるという、これまでの村にはない経験をした。
2時間ほど待ったが、荷物を乗せた馬たちも先に行ってしまい、パルカッシュもジープも来ないので、チャイの店がある次の村まで行くことにした。途中でパルカッシュが戻って来る。まだダルチャにジープが来ておらず来るのは午後になるだろう、今朝マナリを出たのではないか、と彼は言う。
ラリック村の道端にあるチャイ屋でチャイを飲んだあと、馬の荷物の解放のため村越とアンドゥは先にダルチャへ向かう。他は、チャイ屋の中で寝たり、集まってきた子供達と遊んだりして過ごす。親しくなった子に梅干しをあげたところ、変な顔をして食べていたが、結局全部食べたのにはびっくりした。かわりに、いんげん豆が大きくなったような、シェイマという名の豆をくれる。生でも、皮をむいて中身だけ食べられる。なかなかおいしい。おやつ代わりなのだろう、子供達はその豆をたくさん持っていて、よく食べていた。
ようやく、バスが到着。皆、喜んで乗り込む。ダルチャでは、村越とリグジン氏の出迎えを受ける。チャイとバナナ、リンゴでしばし休憩する。バスの故障を修理し、出発したと思ったら、ダルチャの橋を渡ってすぐにポリスチェックがあり、待たされる。
バスは、昨日マナリを出たのだが、2、3日前の豪雨で途中で道が不通になっていて、開通するのを待って一番で来たということである。数百台ものトラックが道路の開通を待っていたそうで、それらが狭い道を対向して来るため、バスは止まったり戻ったりを繰り返して、なかなか進まない。途中の渋滞では、抜けるのに2時間以上かかった。 午後11時半、コクサールに到着。ようやく夕食にありつく。腹ぺこで、若者は特によく食べる。
第15日 | 8/18 (日) | 行程: コクサール → マナリ | |
記録: 児玉 浩子 | 天気: 曇 後ち晴れ |
0:50 コクサール出発
5:10 ロータンパス通過
5:55 マリー通過
6:10 渋滞で完全にストップ
9:10 渋滞解消
10:20 バシスト村、アシュラム到着。森田先生ご夫妻にご挨拶して、さっそく温泉へ。
12:10 温泉から全員戻る。下山を祝って乾杯。昼食。
13:30 隊長から部屋割り発表。7時からディナーの連絡後、ごちそうさま。
各々談笑したり、洗濯。食後ショッピングと時を過ごした。
19:00 マナリのレストラン・チョップスティックで夕食。
20:50 アンドゥーのジープとタクシーに分乗してアシュラムへ帰る。
21:00 アシュラム着。
21:40 会計係集金。750ドル。就寝。
コクサールを出てから、ドライバーの仮眠のためか、どこかで1度しばらくバスは止まっていたと思う。
6時10分、マリーを下った所で渋滞。8時を過ぎた頃から数m進むためにエンジンがかかったり切れたりしていたようだ。
8時20分、またエンジンが止まった。左手は雨にぬれいつでも崩れる用意の出来ているような大きな岩を見せる山肌、目の前30mくらい右手にはやはりエンジンを切ったトラックが何処までも続いている。道の右手には、朝もやの立ちこめる中、杉だろうか、針葉樹の並びが美しい。さて、バシストの温泉に入れるのはいつのことか。
8時37分エンジン始動。隣の鉄パイプを積んだトラックと接触しながら前進。道路には車から降り、渋滞状況を見守るギャラリーがいっぱい。「ゴトン!」また接触した。ドライバーのいらいらが限界に達したのか、そうした方が車によいのか、エンジンをしばらく空ぶかしした後、8時48分またエンジンは切れた。
またエンジンがかかる。数m進んで止まる。これを何度も繰り返したら、この渋滞から抜け出せるのか?
それにしても右手の山は美しい。少し先に雪を冠した鋭い峰が顔を出す。みんなに応援(?)されて、丹野、トイレの旅から無事帰ってきたかと思いきや、バスの方を見て、“忍”の一文字状態。
9時10分、バスは順調に前進を始める。左手のツリフネソウの濃いピンクと薄いピンクが優しいジュータンを敷きつめている。切り立つ山肌‥‥‥‥うわっ、急ブレーキ!対向車は頑丈そうなトラック。ブレーキ回数が多くなる‥‥‥‥落ちる滝が、茶褐色と緑の岩肌に白い筋をつけ、この山に一層躍動感を与える。昨年のインド旅行でもこのいろは坂のパノラマに感動したのを思い出す。
10時20分、念願の山荘・アシュラムに着く。8時間の予定が、21時間35分のバスの旅となった。
いつも青年のように若々しい森田先生と奥様に挨拶し、温泉へと直行する。みんな別人のようになって帰ってくる。乾杯!昼食はお雑煮、サラダ、トースト、ご飯、ソーメン、ふきと竹の子の煮物。すべてに舌鼓。それにしてもやせで大喰いの前川君、元気になって良かった。秩父の山の会の飯塚さんが、腕をふるって下さった。締めくくりはコンニャクそうめん。
昼食後、各々気ままに時を過ごす。みんなが洗濯をしたので、アシュラムの水が断水するというハプニングも起きる。
7時からレストラン・チョップスティックに来ていただいたお客様は、ガイドのカルカッシュさん、アンドゥー君。ホステスは豊島さん。メニューは@スープ A水ぎょうざ Bシャナックレー(ミートパイ) Cモモ(肉とベジタリアン) D肉だんごのあんかけ E五目そうめん Fフルーツ・デザート。デザートの中にザクロの薄紅色が彩りを添えている。ザクロは英語で hanatan だそうだ。
やあ、喰った、喰った。会計はホステス役の豊島さんのルピーの札束。ごちそうさま。
ここアシュラムは森田先生の豪快な笑いに包まれて、とても安心できる場所。豊島さんも、栗原さんも復活。めでたし、めでたし。では、また明日。
第16日 | 8/19 (月) | 行程: マナリ → デリー | |
記録: 豊島千恵子 | 天気: 曇り |
7:15 起床、モーニングチャイ
8:15 朝食・健康チェック(これが最後)・パッキング(10kgまで)
10:45 アシュラム出発。4台のジープで出発。
11:00 マナリの町を抜ける。
12:15 チェックポイント クルの町へ入る。
12:50 クル空港着。アンドゥと別れる。延々と待たされる。
16:00 荷物チェック始まる。サンペルと別れる。
16:40 離陸
17:50 デリーに着陸。またまたサンジャイ氏のお迎え有り(2台の小型バス)
18:45 ホテル・カニシカに到着。
19:30 隊長の部屋でデリー到着を祝う。柳(東京 登稜会)、飯塚、森田雅夫の各氏
も同席
2Fのバイキングレストランで夕食。柳、飯塚、森田雅の各氏同席。
20:30頃 各室へ、就寝。
*マナリの朝はとても静かだ。激しい乾燥と埃の中に居たせいだろうか、ここの湿気を
こんなに気持ち良く感じたのは初めてだ。
*朝食も美味。ラーメン、餅は、持ち込みだがこれも美味。ミルク入りスクランブルエ
ッグ、サラダ、トースト、pure蜂蜜、ピーナッツバターなどなど。森田千里先生の自然総合博物館の実現のお話など伺いながらいただく。
*最後の健康チェック。P¥Oの値も皆正常またはそれ以上。
*パッキングがたいへん。飛行機の都合で、メインザックを10kgに押さえなければ
ならない。だいぶアシュラムに置いていくことになる。ご迷惑をかけます。
*森田先生ご夫妻とまた来年を約束して下の道へ降りる。長い間アシュラムから手を振
ってくださる。本当にお世話になりました。リグジンさんも最後まで運転手に細かく指
示してくださる。ガイドのパルカシュ、リグジンさんともお別れ。一路クル空港へ。
*クルへの道は昨年の大洪水の為か、河原に平行していた道がすっかり無くなってしま
い、工事中の道を進む。
*空港に着いてもそう簡単ではない。サンペルが最後まで待機していてくれる。荷物は
やはり超過。飛行機が飛べないほどではないが、全員で20kg→1,460RS取られ
る。予定の時刻になっても飛行機はデリーを出ていないらしい。バナナ、なしなどを食
べながらゆっくり待つ。
*16:40やっと離陸。18人乗りの超小型機、スリル満点。しかし案外穏やかに『耕して天に至る』クル谷を通過。
17:40デリーは、スモッグで少し霞んでいる。
*隊長の部屋で、デリー到着祝い。森田雅夫、柳、飯塚の各氏と一緒に飯塚さんのキン
ノールの美しい女性の話や、いつもは岩登り専門の柳さんのトレッキングの話など、時
間を忘れる。夕食も、ホテルの2階のバイキングレストランでご一緒に、話の続きをし
ながら楽しく過ごす。
第17日 | 8/20 (火) | 行程: デリー滞在 | |
記録: 栗原 幸子 | 天気: 曇り 時々雨 |
7:30 起床
8:20 朝食、カニシカホテル内にて
10:00 ロビーに集合、サンジャイ氏の店でお話をする。
11:00 セントラルコテージへ買い物に出発する。
12:30 ホテルに帰る。
13:30 ロビーに集合、近くのインペリアルホテルに行き昼食をとる。ヤング達はジャン
パスホテルへ。 15:40 ホテル・カニシカに帰る。
16:30 部屋にもどり、パッキング等を行う。
18:45 カニシカを出発し、デ²ナーのためレストラン・モーテ²マハルへ向かう。
19:15 デ²ナー開始、いつものタンドールチキンを食べる。
21:00 〃 終了、タクシーホテルへ
21:30 隊長の部屋にてお茶を飲み、夕食代の清算を行う。
22:20 部屋にもどる。
今回の旅で、はじめてのんびりした1日だった。思い思いにデリーの休日を、ショッ
ピングを楽しんだと思う。
セントラルコテージでの買い物にも慣れ、あれとこれを買って・・・とスムーズに出来るようになった。 夕食は、明日からバナラシ(ベナレス)・カジュラホへ出発するヤング達、帰国する残りのメンバー、とにかくこの旅で最後のデ²ナーという事で恒例のオールドデリーにあるレストラン・モーテ²マハルへ向かった。時間が早かったようで、他のお客はほとんどいないので店員さん全員が来てしまい、まるでお祭りのようだと誰か言っていた。ウェイターが「これはどうだ!」とか言ってどんどん食物も持って来た。それを全部食べてしまった。外での食事も楽しいものである。
今回のトレッキングで馬に乗せてもらってたいへん助かった。その気持ちを表すのに今日のデ²ナーの時にわずかばかり出資した。本当にありがとうございました。
第18日 | 8/21 (水) | 行程: デリー→ 帰国 | |||
記録:加藤 俊夫 | 天気:曇 時々小雨 |
8:00 バラナシ方面への小旅行に出発する一行8人を見送る。
隊長、福田君
8:40 ホテルでの朝食の後、一部屋を確保。各自の荷物をまとめ、帰国までの談笑の場 とする。
以後はそれぞれ自由行動。三々五々、コンノートプレイス周辺やセントラルコテ ージなど散策。ゆとりのフリー・タイムを楽しむ。時々シャワーのような雨。ホ テル内の店々も仲間達が入れ替わり立ち替わり、なかなかの賑わい。
15:20 宮内君、一人旅に出発。ザンスカールの疲れもみせず、隊長の細々とした注意を ザック一杯に詰めこんで‥‥‥‥。
17:00 帰国準備。おみやげの紅茶も届けられ、整理と最終パッキング。
18:20 カニシカ・ホテル出発。バスにて一路空港へ。思い出の町に、雑踏に黄昏が近い。18:50 デリー空降着。出国の手続きにはいる。出国税3000ルピー。
22:25 離陸。
23:25 機内食。
《日本との時差3時間30分を修正すると、あっと言う間に夜明けの気配が窓辺に 近づいてくる感じ》
機中泊
第19日 | 8/22 (木) | 行程: 機中泊 → 成田空港 → 大宮 | |||
記録:加藤 俊夫 | 天気:曇、晴 |
7:00 点々と眼下に続く緑の島々。絵はがきのような瀬戸大橋が朝日に映える。やがて 黒く逞しい富士山、山頂火山。
10:07 着地待ちの飛行が少々あって、ようやく成田空港着陸。
10:40 入国手続き終了。さっそくささやかに帰国の祝宴。酒のうまさよ、寿司のうまさ よ。睡眠不足の身にここちと良いふるさとの味、ふるさとのざわめき。
12:20 ONライナー乗車。2700円。
15:00 大宮駅到着。重いザック2個も軽々と背負って一路帰宅。
感激、感動の旅の毎日、本当にお世話になりました。