1999年 7/25〜8/22インドヒマラヤ登山隊 登山報告 隊の構成行動記録 グーグルアースで見る |
過去9年間蓄積してきたインドヒマラヤトレッキングの成果に基づいた、『同人』結成以来初めての海外登山は、昨年の偵察で設定した「あの氷河を登って、その奥にあるピークを登攀する」と言う課題を達成することができました。 しかし、もう一つの目的としていた「未踏の無名峰6184mへの登頂」という課題を果たすことは、残念ながらできませんでした。これは、偵察時点で設定した氷河そのものが無名峰6184mへ続くものとは異なり、6184m峰への氷河を取り巻く尾根の一部にできた副次的な氷河で、計画段階で我々が入手した衛星地図(30秒メッシュ)にも記載されておらず、地形的に多少の疑念を抱きながらも、これを6184mに続く氷河と誤解してしまっていたことが原因です。 更に、我々の計画した地域については、地図情報の完全な空白域であり「マナリの登山学校」における(1/50000地図)にも記載されていないことも付記しておきます。 このような地域の登山を計画するとき、いろいろな手法がありますが、偵察にかける時間的な余裕と情報収集の手段の少ない我々の場合は、「偵察時の視覚情報(写真)」に基づく計画というアバウトなものにならざるを得ませんでした。 計画を進めてゆく時点でも、日程・現地要員の計画などでの判定材料として、現地との折衝の際使われていたのは「写真」情報でした。 このような経緯から、登山の開始時点でのガイド・ハイポーターの対応も当然のように偵察時に決めた「氷河」を対象としてのものでした。その結果の所産が「あの氷河は登ったが、6184m峰には登れなかった」ということなのです。 詳細な情報の得られないままの計画で実行した登山でしたが、それにしても最高到達高度5600mのピークを5人もの人間が踏みました。天候の悪化が予想され、一次のサミットでうち切らなければ、この人数はもっと多くなったと思います。 会として初めての海外登山でもあり、会員の皆さん、関係する地域の皆さんから、大変多くのご援助、ご声援を頂き、誠に有り難う御座いました。登山報告と併せて厚く御礼申し上げます。 終わりに、今回の登山を契機にして、一度ねらった6184m峰にこだわった、計画の整った登山も今後の課題として行きたいと思います。宜しくご指導賜りますようお願い申し上げます。 |
隊長 澤入 保忠 的確な判断・統率力でアルピニストの本領を発揮。終始一番元気で、キャンプでは釜揚げ素麺で皆の心と身体を癒してくれた。 |
副隊長 装備 相澤 鎮夫 裏方に徹しつつも、明解な言動で結果的には重要な牽引力となる。苦しいモレーン上の荷揚げには何度も先頭に立つ。 |
副隊長 記録 山崎 晃 行動中ビデオ、カメラを駆使して活躍。氷河上では往年の心身を再生させた。美しい挿し絵は皆の気分を高揚させた。 |
登攀隊長 総務 村越 昇 登攀・組織運営の最前線で精力的に活動した。当会の欠くべからざる人物。次回遠征でも、核となるであろう。 |
記録 渉外 高荷 信夫 英語力で難しい交渉や現地スタッフとの意志疎通に活躍、寡黙だが、目立たない気配りが後で効いてくる貴重な存在。 |
医療 会計 豊島千恵子 小柄で静かな存在であるが、心身タフでおおらかな紅一点。朝夕の健康チェックを楽しみながら受けることが出来た。 |
総務 会計 石川 邦彦 パソコンを駆使して情報を収集し、煩雑な申請や業者の交渉をまとめ上げた。穏健な印象だがなかなか情熱的。 |
輸送 食料 福田 和宏 誕生日に登頂し、パンケーキで祝福された。忙しい中学の先生。技術トレーニングの遅れを最後まで独習していた。 |
装備 輸送 安藤 太郎 環境問題に詳しい緻密な理論派の力量が装備担当として発揮された。優しい気配りで心身を癒された隊員が多い。 |
記録 医療 宮内 浩志 山旅大好きな地球物理学専攻院生。粘り強さで結局課題をやり遂げ、村に入るといつも子供達に取り囲まれている。 |
装備 輸送 本田 "本田がいない"の長老達の心配をよそに、岩陰の植物を見つめているマイペース派。氷河の登肇では力量を発揮。 |
食料 会計 KA その探求心と情熱で準備段階から隊の先頭に立っていた。高所での食糧を成功させた。 |
リエゾンオフィサー ガウリ・スウィニ ガイド(サーダー)パサン ハイポーター プラカッシュ 、 ディナナク キッチン ラタン ポーター オンパルカッシュ、 スレンダー |
7/25先発7名出発 成田→デリー 8/3マナリ⇒ジスパ 8/4ジスパ⇒チッカ→パラモ→ザンスカル・スムド手前のキャンプ地 8/5キャンプ地→BC(4100m)福・安・本は上部4300m付近まで偵察 8/6 曇り時々雨 村・宮・KはBC→ABC(4500m) 他の隊員はデポ地(4400m)まで荷揚げ 8/7 曇り時々薄日、または雨 相・福・安・本はBC→ABC 他はBCで休養 8/8 晴れ 宮・KはC2偵察 相・福・安・本はC1へ荷揚げ後ABCへ(本はC1にとどまる) 8/9 曇り時々雨 村・本はC2(5500m)へ 宮・KはC1で休養 8/10 曇り時々雨(上部は雪) 村・本はC2から、宮・K・福はC1からピーク(5600m)登頂 澤・石・安はABC→C1 8/11 晴れ、夕方より雨 澤・相・山・高・豊・石・安は氷河上5300m地点へ 村・福・宮・本・KはC1で休養 午後全員でC1撤収、ABCへ 8/12 曇り時々雨 ABC撤収→BCへ 8/13 雪、みぞれのち晴れ BC撤収→パラモ キャンプ地 8/14パラモ→チッカ⇒マナリ 山荘アシュラム帰着 8/15〜18マナリに滞在 村は急病で8/16夕方マナリ発、8/18帰国 8/19マナリ⇒デリー 8/20デリーに滞在 8/21デリー→(機中) 8/22→成田 氏名略字
澤=澤入 相=相澤 山=山崎 村=村越 高=高荷 豊=豊島 |