(3)ラダック隊 旅の記録

第1日 9/ 3 (日) 行程 熊谷→成田空港→デリー空港→カニシカホテル
記録 山崎 晃 天気 出発時晴れ→デリー、雨

6:15 熊谷駅集合 6名ほぼ定刻に集まる。29分発 大宮で柿沼、千代田の両氏合流 8:04 京成上野駅発、特急で。スカイライナーは満員で席がとれず。 9:17 京成成田駅着 9:30 出発ロビーに揃う。AI301便は12:20が定刻であるが到着便が遅れて いるので待機となる。

16:30 情報が乏しく、あてのないまま空港の3階で一日過ごす。 16:30 搭乗始まる。 17:43 AI301便 ようやく滑走路を離れる。7000Km余のフライト

18:30 夕食の機内食が配られる。

《日本時間19:00=インド時間15:50に変換、以下インド時間》

22:00頃 デリー空港に着陸 23:00頃 荷物を受け取る。 23:40頃 森田千里氏の出迎えをうけ、サンジャイ氏の配慮によるバスで駐車場を出る 0:10 カニシカホテルに到着 手続き・部屋割り・その他

0:48 各部屋に分かれる

2:00頃 就寝はだいたいこの時間か

やはりインドは遠かった。この旅の出発からこのような〈待ち〉があったのでは、この先が思いやられる。3日の早朝から4日の朝まで、ほぼ24時間、いずれかの交通機関のなかでの生活だった。カニシカのベッドで足腰をのばしたのは、日本時間で4日の午前5時頃だった。24時間のうち睡眠はといえば、AI301便内でのうたたね程度である。長旅にもかかわらず、がんばって、全員元気である。

空港へは、一足先にカニシカ入りをしていた森田千里氏が出迎えてくれ、カニシカホテルでは、深夜にもかかわらず、サンジャイ氏の弟さんが歓迎してくれた。遠い地に数多くの知己がいることは有り難いことであり、我がサークルの宝である。 部屋は5、(柿沼・森田千)(橋上・加藤)(山崎・森田雅)(千代田・栗原)(藤井)という組合せだった。 カニシカホテルはどの程度のランクなのだろうか。定宿であり、お世話になって確保された宿舎だから、あまり文句も言えないが、ちょいと苦情も言いたくなる。 我が部屋は、照明が二つ三つ点灯せず、洗面所も換気が働かず、シャワーのお湯はぬるく、ベッドの掛け物は薄いカバーの布だけで毛布が入っていない。 一日を振り返って、NS隊はタフであると感じた。Nは年金生活者・Sは主婦しかも平均年令は60歳を越えているのだが。 特に精神的に強いようだ。これが肉体的な面をカバーして、安全で楽しい旅になりそうである。

デリー空港での両替は、最初に橋上さんがあたり、金額を確認し不足を請求したのであとの人は全員間違いない金額を受け取ることができた。

第2日 9/ 4 (月) 行程 デリー滞在 半日市内観光
記録 柿沼 博 天気 終日雨 一時強雨

6:00頃 起床 森田千里さんお茶を入れてくれる。恐縮 梅干しでお茶を飲む。 8:00頃 橋上・山崎氏来室 日程の概略を森田さんより説明を受け、日程表を完成 フアックスで日本へ送り、留守家庭への連絡の手配をする。 9:00頃 体温・血圧・脈拍の測定 ほぼ正常 器具は各部屋にまわす。 10:00頃 朝食 ホテル内のレストランで ヨーロピアン食 130ルピー

自由時間

11:30 雨のなか、小型バスで市内観光に出発 デリー門・大統領官邸等を巡る。雨に洗われた大きな並木通りを走る。

12:00頃 イスラム王墓見学 廃墟の如し

13:30°14:30 オールドデリーの HOTEL RAJPOUTにて昼食 宿泊客と間違われる。

Special Flide Rice 80ルピー Veditable Flide Rice 40ルピー 4

ビール3 ジュース 3 で チップも含めて 1000ルピー 1人当たり 400ルピー

15:00-15:30 クタブミナーレ 雨激しくびしょぬれになりながら、高さ約73mの塔を 見上げる。大きく高い、権力とイスラム文化の象徴。

16:00頃 レッド・フォルト城の城壁にそうように車で巡り眺める。遠くに雨に霞むジャ マ・マスジッドの2本の高いミナレットを見る。

途中みやげもの店に連込まれそうになったが、断固拒否する。

17:00頃 ホテルに帰着 1024室にて全員で歓談、森田千里さんよりおみやげを頂く。 18:00°20:00 サンジャイ氏の弟夫妻の招待で レストラン ゲイロードにてディナー。 ベジタリアン料理が大変おいしかった。

23:00頃 就寝

私はデリーの市内観光に数回行ったが、今日のような激しい雨のなかの観光は初めてである。どしゃぶりの雨のなか、カバンを背にずぶぬれになって帰っていく小学生、膝上ほどもある道路の水溜まりで、プールにいるかのようにハシャギ回るこども達、水しぶきを上げて走るオート三輪の数々、インドの人たちはたくましい。

それにしても、十数年前はじめて見たクタブミナールの真っ青な天空につきあげた巨大な塔を見たときの感動、フマユーントゥームの古色蒼然たる赤煉瓦に施された細密な透かし彫りの石造墳墓が語りかける歴史の数々、ジャマ・マスジットへ半ズボンで行った時腰巻きを巻かされて、広い階段を昇ってみた広大な礼拝広場、青空にそびえる二本のミナレット、そこにたむろするムスリミの老人達の彫りの深い髭面の奥に光る目¥¥¥そんな強烈な印象は回を重ねるごとに新鮮さを感じられなくなっていくような気がする。おかげでカルチャーショックによる下痢も最近はほとんどなくなった。

「日々に新たなり」という境地になることはいかに困難なことか、歳を重ねるのみ。 異なった地域、人種がながい歴史の中で創りだした文化に接することは、それを垣間見るだけでも非常に興味あることだ。特に文明文化という怪物によって歪められた人間関係が入りこんでいない地域の人々に接することは、自分をみるよい機会になる。

しかし、その地域の人々にとっては迷惑千万なことであろう。

第3日 9/ 5 (火) 行程 デリー滞在 2日目 空港で待機の一日
記録 橋上 定次郎 天気 晴れ

2:30 起床 モーニングコール 期待で眠気をはらい起きだす。 2:45 バッケージアウト ホテルのロビーでバスを待つ。 3:30 ホテル出発(チャーターバス) 3:50 空港到着 4:20 Security Check(IC 831便 5:50 予定)

5:00 Delay の表示がでて少々不安になる。

8:30 航空会社の手配で 空港内のレストランで朝食のサービス。

11:10 Cancelled の表示 12:30 バスにて航空会社の手配の Centaur Hotelへ移動開始

15:00 ホテル内で遅い昼食

19:00 明日のフライト予定 交渉開始 夕食 21:30 明朝何時でも出発できるように準備して 就寝

9/6 2:30 最新情報として、本日出発の可能性大の連絡を受ける。

早朝2時30分のモーニングコールにより起床。昨晩遅かったので眠い目をこすりながら出発の準備をする。ロビーに全員集合したが、チャーターバスは姿を見せず、やきもきしてタクシーを手配(駐車場で寝ている運転手をマイクで起こす)しているうちにやっと到着する。チップをやってタクシーをキャンセルし、3時30分ホテルをあとにする。早朝の市内はさすがにすいていて、20分で空港に到着した。荷物検査も済み、出発ロビーに入ろうかという時になって遅延の表示が出る。10時30分予定に変更とのこと。成田で5時間、デリーで5時間待ちとは、前途多難な旅になりそうである。

待合室での長い待時間も、山崎さんのカシミール美人のスケッチ、千代田さん他数人でレーへ帰るチベット人と身振り手振りでの会話、藤井さんをはじめとする人達のスナップ写真等、時間つぶしにはもってこいのショーを展開、手持ち無沙汰のおおぜいの観客の視線の的となる。

11時10分になって、遂に最も心配された欠航の表示に変わった。デリー周辺の集中豪雨が北に移動したので、現地は大荒れらしい。

フライト予定の2便とも欠航で事後処理に大わらわ、チェックインした荷物を引き取るのに苦労する。狭い通路を通り、普段見ることの出来ない機内預けのためのシステムを見ることが出来た。航空券を引き取り、インデアンエアラインズのチャーターバスにのり、空港付近の CENTAUR HOTELに14時40分頃到着する。15時インド風バイキング(カレー主体)の昼食をとる。食後、現在の状況・今後の予定について、森田先生を中心に話し合いを持つ。さまざまな事項の確認や連絡で時間が過ぎるのが早い。市内外の電話は全てオペレーター経由なのでらちがあかず、意志の疎通ができずお手上げである。森田先生の努力により、時々情報が入り助かる。サンジャイ弟氏の協力も大きく、まさに地獄で仏であり、感謝にたえない。

一昨年帰国の際経験した欠航のときの手続き・対応が大いに役立った。明日の再出発の成功を祈りつつ、疲れた体を横にする。

第4日 9/ 6 (水) 行程 デリー→レー(空路) レーの街の散歩
記録 森 田 雅 夫 天気 晴れ 気温 14時 20゜C 17時 14゜C

4:30 記録者起床 モーニングコールがあるはずだが音沙汰なし。部屋で雑談。 6:00 夜が明けたが何の電話もない。今日も駄目なのかと不安になる。 7:30 朝食 (バイキング形式) フライトの可能性大とのこと。 バッケージアウト ロビーに置き、朝食をとる。 8:05 ホテル出発 (送迎バスに乗って)

8:20 デリー空港国内線ターミナル着 8:30 チェックイン開始

10:15 搭乗機出発 10:20 離陸(機内に拍手がおこる)

11:20 レー空港到着 11:25 空港ロビー着 ローカル空港ずばり 荷物の受け取り 空港の建物を出る。サンペル氏出迎えてくれる。

12:43 2台のタクシーで空港を出発、レーの街を通りホテルへ。

12:55 KANG-LHR-CHHEN HOTEL到着 チェックイン手続き中 お茶のサービスを受ける13:40 14:00 血圧・脈拍の測定 軽い頭痛や血圧の上昇が見られる。

14:00 昼食 (野菜類がおいしかった) 約1時間かけてゆっくり味わう。 16:30 各自自由行動 レーの町中を散歩 ジャガ芋、大根など買って帰る

19:00 夕食(新ジャガをふかして食べる、大変おいしかった)

20:10 明日の行動打ち合せ(夕食の終了時に行なう)

20:30 各自自由行動 明日の準備・荷物整理・シャワー等 部屋ごとに就寝

ラダックへの飛行機が飛んだ。いや飛ぶそうである。ラダック地方の悪天候のため、二日間足止めされていた塔乗客の顔に喜びのほほ笑みが広がっていった。

同時にふくれあがった三日間の予約客全員が搭乗できるのかという不安がよぎった。 レーへの搭乗手続きの窓口は押し寄せる人々で大混乱である。我先にと先着を争う人々の顔は殺気立っていた。レー行きのフライトは増便されて、どうやら全員搭乗の可能性が見えてくると、待合室はおだやかな雰囲気に満たされてきた。

午前10時の便は少しばかり遅れて、無事デリー空港を離陸した。きせずして機内の乗客から拍手がわきおこった。まさに天にも舞い上がる気持ちとはこんなことか。

三次元空間の展望は素晴らしいのひとことに尽きる。平原の中を蛇行しているヤナム河、点在する集落、森や畑等が静かに後方に流れていく、やがて緑の山岳地帯の上空となる。山肌にくいこんだ渓谷が美しい。機内食に気を奪われている間に、茶褐色の岩肌の上に真っ白な雪をまとった山頂が続き、白銀の反射がまぶしい白き神々の住む世界へと移っていた。はるか彼方にはピラミッド型の8000m級の頂が見える。

残念ながら山名はわからない。今まで下から、横からしか見られなかった雪山を真上から眺める喜びを静かに味わっていた。 やがて褐色の盆地にわずかばかりの樹木や畑の緑と灰色の土の家々が見えてきた。夢に見た桃源郷ラダックである。機は右旋回をして着陸する。またもや拍手がわきおこる 3500mの高地の気配はみじんも感じられない。

やがてじわじわと迫りくる高山病の症状も今はなく、大自然に同化し、連綿と生きてきた同じモンゴリアンの異文化に触れ合う束の間の生活が始まろうとしている。

第5日 9/ 7 (木) 行程 ラダックのゴンパ巡り 第1日 お祭りとポロ
記録 加 藤 俊 夫 天気 晴れ 気温 5時 1゜C

4:30 最低気温 1゜C 昼間とまったく違う寒気に驚く。快晴・無風 6:00 血圧計が各部屋に回り、各自測定し記録する。 7:30°8:15 朝食 トーストと卵焼き 食後サンペル君より今日の予定を聞く。

8:50 ホテル出発 スタクナゴンパの坊さんのレーの住居を尋ねる。

9:10 お布施を出して旅の安全を祈願する。

9:40 タクシーに分乗してゴンパ巡りに出発

10:00 シェイパレス(SHEY)

10:35 チクセイゴンパ到着 ラダックで最初に参観したゴンパである。

11:30 チクセイゴンパ出発 帰路に向かう チョルテン群の撮影をする。

ラダックフェステバルに出会う 写真撮影に熱中

12:30 フェステバル会場をあとにする。 ホテルに帰着 昼食となる。

15:30°16:00 ラダックフェステバルの催物の一つである[POLO] を観戦する。

散策し、買物をしながらホテルに帰る。

18:30 夕食 購入してきた食品が好評 食事後は自由時間

21:00 各部屋ごとに就寝

高度順化とマナリからのジープの到着を待つためのレー滞在の二日目である。昼間は20度前後の過ごしやすい気温だが、早朝の1゜C の寒気には驚いた。

今日の行動の最初は、森田先生の案内で知り合いのスタクナゴンパの坊さんのレーの住居を尋ねた。そろりそろりと歩き、メインバザールの西側を下る。建物の一部屋に案内され、50Rpのお布施を包み白絹の布を首にかけてもらい、旅のつつがなきを祈る。

配車されたタクシーに分乗し、ガイドの女性を伴い、先ずは最初のゴンパめぐりに出発する。

シェイパレスは昔の王宮というが、坂道のはるか上に巨大な迷路のような土と石の城址が広がっているのみであった。

チクセイゴンパは小高い丘を建物が埋め尽くす大きな城壁のようだった。マニ車を回しながらゆっくり登る。おだやかなお顔に柔和な微笑みをたたえているチャンバーブッダが迎えてくれる。

ここからの帰路、道路際の大チョルテン群を撮影する。シェイパレスに戻ったが、ここをパスし、車を降り300m程歩いて、広場で行なわれているラダックフェステバルの会場に行く。太鼓や笛の賑やかな音曲、民族衣装と体いっぱいに付けた貴石や銀細工、そして歌い踊る優雅さ、アーチェリーそしてご馳走の宴、明るい日差しのなか、人々は楽しさに浸っていた。私たちも夢中になりシャッターをきる。あっという間に1時間がたち、なごりを惜しみながら帰路にむかう。

宿にもどって一息いれて、夕方からPOLOのゲームの観戦に出かける。ポロ競技場で勇壮なゲームを観戦する。地元の人達が大勢集まっていた。

このあとメインストリートを散策し、野菜など買い求めて宿に帰る。夕食はホテルのメニューに手作りの口にあう料理が加わり食欲が増した。

第6日 9/ 8 (金) 行程 ラダックのゴンパ巡り 第2日 LIKIRとALCHI
記録 栗 原 幸 子 天気 晴れ 気温 5時 0゜C

5:45 各部屋起床 血圧計が回ってくる。測定して次に回す。 7:00 朝食(パン・オムレツ・オレンジジュース・ティー) 8:19 ゴンパ巡りに出発 昨日と同じタクシーとガイド

8:35 インダス川にそって西にくだる。

8:42 チェックポイント タクシーによる観光のチケットを見せる。

8:55 高原状の荒地のなか、一筋の舗装道路。周囲一面に紫の花が広がる。

9:55 リキールゴンパに到着 標高 3700mくらいか?

10:55 リキールゴンパを出発 途中インダス川を渡る。橋の周辺で写真撮影。

11:48 アルチゴンパにつく。徒歩で堂塔に向かう。

11:55 途中のホテルで昼食。ホテルの庭で宿で作ってもらった弁当を食べる。

昼食後 ゴンパを拝観する。内部の写真撮影はOKだがストロボは禁止。

14:12 アルチゴンパ出発

15:00 広い高原状の荒地で写真撮影。

16:00 レー市街に入り、ホテル前まできたが、日本山妙法寺へ行くこととなる。

17:05 日本山妙法寺出発

17:14 ホテル着

17:40 ホテルの隣の民家へ行き、大根などもらってくる。夕食まで自由行動。

19:00 夕食 (ポテト・スープ等インディアン料理+手作り料理)

20:00 部屋に帰り休息。111号室に飲める人が集まり酒をのみ歓談。

レーにきて3日目になる。早朝の寒さはあまり実感がなく、日中のさわやかさだけが心地よい。まわりの山々は4日から5日にかけて降った雪で真っ白である。

タクシー3台で西にむかって走る。レーの郊外までは軍隊の施設や民家もあるが、その先は樹木がほとんどない茶褐色の荒野である。土地の起伏にそって一筋の舗装道路が続いている。その荒地や山裾を紫に染めている花がある。リモと言う、匂いはかめ虫のようなものだった。ときどき見える集落では、麦秋をむかえ取り入れる様子がみえる。 4000m 程の峠を越えリキールゴンパにつく。ここも山腹の小高い丘というか、台地状の地に建物が積み上げられている。堂内を見せてもらう、色鮮やかな壁画が目につく。 事前学習でいろいろと学んだわけなのだが、珍しさにおどろくばかりの観光客と同様だった。

アルチゴンパはだいぶ下った山間の盆地に建てられている。周辺はだいぶ観光地化されて、おみやげ店やホテルがある。お堂には全て鍵がかけられており、いちいち開けて入れてくれる。信仰上のものでなく、盗難防止の為らしい。

ゴンパ内の写真撮影が不安なので、絵はがきを買う人が多かった。350Rp もした。ドイツ製らしい。ゴンパの周辺には樹木も多く、農地もある。古くからのオアシスにゴンパが建立されたようだ。

日本山妙法寺からは、レーの街が見渡せた。ここも樹木の多いオアシスのようだ。

もらったり買ったりした野菜で手作りの料理が出せ、好評だった。

目次 》《第7日〜12日 》《第13日〜18日